3月2日(火)

ハイテンションで飛ばしてきた2月の反動でここ1週間くらい鬱である。季節がすっかり春になったのもむしろ恨めしい。ラフォルグの次のようななげきに共感している。(「最後のうた」から)

 人生は /  なんと騒々しいのだろう

「静かな生活」という小説を1976年頃「群像」だったかに発表した森本等という作家。いまはいずこにて如何なる生活を送るのやら。(紀伊国屋のデータベースでも1977年の単行本しかデータになし。)「洪水がくる前に」という小説を書いた高橋氏のこともわからない。

3月3日(水)

 お雛祭りの日。うちは女の子がいないので関係ないけど。昭和60年のこの日はたしか日曜日で、新設富士見台校の責任者Y氏(弱冠28歳)は、父母会を敢行した。その日は晴れていて暖かく、燦々と陽のあたる父母は皆新しい塾への期待に胸膨らませてご機嫌だった。そんななかに祖父として矍鑠参加したT氏のことが思われてならぬ。孫のT君のご両親は病気などでごたごたしていたように記憶している。ああT氏よ。それから数年して保谷の禅宗のお寺でご葬儀に参列しようとは。そんな想い出をWWWに開示して、T氏を顕彰したいのである。T氏の徳は、いまどこに生き続けているのか。もちろん、子供や孫にひきつがれているだろう。だけど14年前の春のある日の、あの笑顔や毅然たる優しさは、例えば僕以外のだれが知ろう。

3月4日(木)

 「日経ビジネス」や高校の同窓会誌が届き、読むのに忙しい。岡本かの子「老妓抄」読了。古さを感じさせない清冽な短編群に感心した。そもそもは瀬戸内寂聴「いとど華やぐ」(日経新聞に連載)に惹かれてのことだが、その前に岡本太郎「沖縄文化論」(中公文庫)が伏線となり、百目鬼恭三郎の賛辞がとどめとなっている。一冊の本を読むのにすら、これだけの準備が必要なのだな。ま、古さを全く感じさせない傑作短編集だと書いておこう。

3月6日(土)

 忙しさの極み。能力の限界を感ずる。岡本かの子「巴里祭・河明り」(新潮文庫)に突入。かの子の文学世界は、武田泰淳の膂力ある人間活写や稲垣足穂の未来派めく感性を想わせる。古さを全く感じさせない小説群だ。もっとも昭和のこの時期の作家にはそういうひとが多いけどね。

 King Crimson"LIZARD"、B面の表題組曲。当時(1970年頃?)YESにいたJon Andersonの透明なボーカルが恋しい。大学受験の直前によく聴いていたっけ。昭和49年の年末から昭和50年の冬にかけて。その冬は南国では珍しい大雪が降った。弟と雪だるまをこさえたっけ。

 川端康成「眠れる美女」(新潮文庫)、中学生の頃からずっと思ってた。なんていかがわしい小説なんだろうと。ようやく今回読んだ訳だが、自分はこのいかがわしさを受け容れる歳になっている。なぜかホフマンスタール「パゾンピエール侯爵奇譚」やムージル(ムシル?)の「三人の女」などを想い出した。

Winter kept us warm, covering



Poi s'ascose nel foco che gli affina

Quando fiam uti chelidon - O swallow swallow

Le Prince d'Aquitaine a la tour abolie

These fragments I have shored against my ruins

冬は人を暖かくかくまってくれた

ソレカラ彼ハ浄火ノナカヘ身ヲカクシタ

ワタクシハイツ燕ノヨウニナレルダロウカ おう燕 つばくらめ

廃墟ノ塔ニイルあきたーにあ公ダ

これ等の断片で僕は自分の廃墟を支えてきた  (西脇順三郎訳「荒地」より)

 山本おさむ「どんぐりの家」どこにもない。新青梅街道沿いコミック古本屋には氏の「ぼくたちの疾走」揃いをみつけて懐かしく思った。このまんがを読んだのはいつの頃だろう。随分昔じゃないかな。タッチが随分変わってしまったね。

 会社に行きがけに、石神井池や善福寺池をサイクリング。紅白の梅がまことに可憐である。ちびっ子釣り場は閑散。老人たちはぼちぼち釣りを楽しんでおられる。のんびりした会話を聴きながら、とうちゃんもつかの間のんびりした気分になれた。石神井公園草思堂にて、吉野登美子「琴はしずかに 八木重吉の妻として」(弥生書房)600円。これも何かの縁と思い、迷わずに購入した。善福寺池にて、自転車を止めてしばし読んだ。ふたりのめぐり会いの頃の詩人の純粋さに思わず涙が零れてきた。さて家に帰ってきて、先日上石神井で買った「女の生き方」四十選上巻(文春文庫)に、登美子さんのエッセイを発見して、二度びっくり。

3月7日(日)

 吉野登美子「琴はしずかに 八木重吉の妻として」、一夜で概要を読了。他に「四十年を看病に生きて」(吉野秀雄との後半生を書いたエッセイ)も読んだ。すべては2月25日の日経「春秋」欄から始まったのだが、逝去記事自体は見ていない。日経をざっと調べたが、すべて保管はしていないのでみつからない。今朝は近くの図書館に行って朝日新聞にざっと目を通したがこれまたみつからない。

 一目惚れしてもらい受けた妻と、すぐに生まれたふたりの愛児。ささやかなかけがえのない幸せのさなかでも、詩人の詩には「さびしさ」が消えることはない。あまりに激しい宗教的な希求からくる、罪障感のようなもの。あまりに垂直的で妥協を許さない芸術至上主義。その2つが詩人自身を焼き滅ぼしたのか。痛ましい夭逝である。とうちゃんが高校生の頃、この詩人を好きになれなかった理由もこの辺にあるのか。この詩人のなかに危険なものをかいでいたのかもしれない。それもわかるような気がする、とは、かつての自分と和解するような、優しくなだめてあげたいような不思議な了解である。もうひとつ、これは図書館で立ち読みしてきた角川書店版詩集の解説で読んだことだが、八木重吉を今日のような定まった評価のある詩人にした功績は、キリスト教団体の推挽にもある。一見平易でまねのしやすい詩は(決して平易でまねのしやすい詩境ではないのだが、そう思えるところがある)、たちまちのうちに八木流のエピゴーネンを生みブームを巻き起こしたのだとあった。その種の可能性があるということに、当時の自分はがまんできなかったのだとも思う。しかしこれは自分の早合点であって、作品論とは全く関係がないことである。

 他に、ジム・カールトン「アップル」(上下巻)(早川書房)図書館にて借り出す。下巻、ジョブズ復帰以降の波瀾万丈をおさらいした。

 正午くらいから冷たい雨。吉祥寺からの帰り、石神井公園草思堂にて、加藤周一「夕陽妄語」(朝日新聞社)300円。大江健三郎「懐かしい年への手紙」(講談社)450円。いずれもあまりに美本で安いので、読むかどうかはわからないが購入した。おまけにバタチャリア、ジョンソン「初等統計学1」(東京図書)こちらは店頭のただの本。定価合計5300円ほどの有益な書物が750円で手に入った。

3月8日(月)

 スタンレイ・キューブリック逝去。享年70歳。「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」「時計仕掛けのオレンジ」、他に「スパルタカス」「バリーリンドン」「シャイニング」、すべて映画の醍醐味を堪能させてくれた。この青春時代の想い出に感謝する。「フルメタルジャケット」は観ていないけど。遺作がこの夏公開されるらしい。このひとがいなければ「未知との遭遇」「スターウオーズ」も「ブレードランナー」も世になかったろう、そう思う。しかし、もっと長生きしてほしかった。

3月9日(火)

 懐かしい友から自宅に電話があったので、折り返し会社から電話した。T銀行のT君よ、ありがとう。今度会おうね。

 加藤周一「夕陽妄語」期待ほどの書物ではなし。しかし、かつて小生のエッセイをちゃんと読んでくれたたったひとりの大家として、ぼくは氏を限りなく徳としている。福永武彦・中村真一郎なき今、「マチネ・ポエティック」の創業者のひとりである氏は貴重である。御歳80歳になられる氏のご健勝を祈るや切である。氏の「羊の歌 正・続」(岩波新書)はかつて熱読した書物である。日本を代表するインテリ(ちょっと古い表現かな)だと信じている。大江健三郎の小説、案の上、いろいろと読みたい箇所を探したが、ついに読むところなし。「洪水は我が魂に及び」までは真剣に読んだが、「同時代ゲーム」からはいよいよ落ちこぼれた。そんな、不良読者のひとりとして、複雑な思いである。「芽むしり仔撃ち」や「死者の奢り」には本当に感動したんだけどね。たぶんね、ぼくのような読者はたくさんいるんだろう。そんな不良読者も、氏のノーベル賞受賞には喝采を覚えたにちがいない。それは氏の徳のひとつだと思う。なんて、えらそうなことを書く権利は全くないのだが、書いてしまう。

3月10日(水)

 仕事の帰り、ツタヤに寄って文庫新刊を閲覧してきた。読書に淫するなかれ、と自らを戒め何も買わずに帰る。一方で「聖なる読書」という概念に思いをいたす。<生涯たった1回の全身全霊をこめた読書>、例えば「青い花」体験。例えば「弥勒」体験。例えば「ナルシス断章」体験。ひとよ、笑わば笑え、と。東林さだおの文章に酔った昨晩であるが、さて今宵は?

3月11日(木)

 超人気タレントXさんが、小社の模試を年末に受けていたことが、テレビ局のオファーでわかってひと騒動。ま、うちの息子が好きなのも分かる気がする。親しみがわいたよ。どこまでが計算づくめなのか、わからないが。今朝夢をみた。成増まで伸びる笹目通りが、大きな河になっていた。清らかな青い水の流れる河を泳いでいる自分であった。不思議な夢、たゆたう、優しい、深い、暖かい、暗い、甘美な死を誘う、<水>に、起きてからも胸がときめいた。それはそれとして稲垣足穂の頁をつくった早稲田のひとに感服。

3月13日(土)

 てなわけで〜、人気タレントOさんの番組放映。吉祥寺成蹊大学を借りての年末の小社の模試の様子がFテレビでオンエアーされた。O氏、早朝から夕方まで半日に及ぶ受験を経て、へろへろになって取材の車に帰ってくる。全科目難しかったって、(そりゃそうだ)。ま、いいコンテンツをつくらなくちゃね、とつくづく思う夕べであったヨ。

3月14日(日)

 世間はすっかり春。吉祥寺のアーケード街を歩くアベックもなにやら楽しそうだ。精いっぱい腕を組んで健気に歩いてる。そんななか日曜出勤。うさ晴らしに、外口書店でジョゼフ・ニーダムの大著「中国の科学と文明」第5巻−天の科学−(思索社)定価約1万の本を1600円で購入。紀伊国屋データベースで調べると、社名が新思索社となってる。なにかの経営の事情で在庫が流れたものか?明らかに新刊である。安すぎて気味が悪い。帳場できょろきょろと挙動不審になってしまった。第一、1巻から6巻まで揃いで出てるのでバラで買うのは後ろめたいのだ。藪内清「中国の科学文明」、中山茂「星の古記録」(以上、岩波新書)、以下「淮南子天文訓」「史記天官書」(以上平凡社)「晋書天文誌」(中央公論社)「楚辞天問篇」(平凡社、または目加田誠「屈原」(岩波新書))など。他に沈括「夢渓筆談」。これらぼくの人生になんの利益ももたらさない本たち・・・。(以上うろ覚えで書いてます)

 仕事の帰りは上石神井硯文堂にて、カレッジライトハウス英和辞典(研究社)2600円で。新・英語をもう一度最初から、という中年の決意だ。

 とどめは、昨日開店した練馬高野台駅前BOOKTURNにて。典型的なコミック・文庫・CD・ゲームソフト・ビデオのリサイクル系古本屋(?)。昨日は開店祝いで次男と一緒に立ち寄ったら次男に開店祝いでPSの中古ソフトを買わされた。ので、今晩はひとりで。「はきだめに鶴」の法則を信じ、ひたすら書棚をスキャン。おおう!山口瞳「続 血涙十番勝負」(講談社文庫)、店頭で見るのは初めて。感動して、同じ山口瞳の「おかしな話」(実は帰ったら家の書棚にあった、トホホ)「困った人たち」(以上新潮文庫)と一緒にレジに運ぶ。レジの慣れぬ学生バイトが158円です、って。そんなはずはない、いやしくも天下に恥じることのない生活を送る一中年おじさんは、レジでハゲシク抗議した。それは税込315円である、と。学生氏曰く、なにやら開店セールで半額とのこと。いやあそうなのか、ますます儲かったゼ。

 郷里では、満40歳のいとこのHちゃんの結婚式。よかったねエ、と、ひとごとではなく心からうれしかったのでした。晩婚に福あり、ダヨ。

3月15日(月)

 疲れがたまってて切れが悪い。春の雨がしとしとと降った。今晩のETV特集、故大岡昇平氏の特集を見損ねた。本夕日経夕刊にて、小川洋子女史、「遺体」という表題で先日のタイタニックの後日たんを書く。ぼくの感想のフォローをしていただくようで興味深かった。

3月16日(火)

 生涯無資格・無免許を気取っていたが、そうもいかないので、TOEICの申込書をウェブで注文しておいた。中年以降の新たな目標のひとつとしたい考え。涙がエイズを駆逐するとか、眠りを誘因する微量ホルモンとか、アルツハイマー病の臨床実験にエーザイが投資するとか、そうした話題の多い今夕の日経であった。

3月18日(木)

 ああ、自分自身を救済しやう、と富永太郎のやうに自分を慰撫する夜である。寝る前に山口瞳「困った人たち」を細々と読んでいる。たったそれだけ。

3月19日(金)

 駅前BOOKTURNにて、山口瞳「なんじゃもんじゃ」(角川文庫)100円、「クリムト世紀末の美」(講談社文庫)250円。

 自分自身では極めて鬱だと思ってるが、ひとは「ハイテンション」だとおだてて駄馬の前に人参をぶらさげる。このギャップは今年何回も経験してる。ここにおいて鬱を脱し、またまたナチュラルハイの境地に帰れそうだ。「憂きことの なほこの上に 積もれかし 限りある身の 力ためさん」これって実朝だよね。

3月20日(土)雨のち曇り

 春の雨が沈鬱に降る。ドスト氏こと関画伯との珍道中「なんじゃもんじゃ」面白し。山口瞳の旅行記は傑作が多いヨ。

 図書館で諸橋轍次「十二支物語」(大修館書店)借りる。この本を昭和50年頃、渋谷の旭屋書店で買おうか買うまいか迷ったことがある。その本のあった場所を今も覚えていることだ。Barrons社のTOEIC学習書5400余円、紀伊国屋のBOOKWEBで注文した。洋書コーナーで注文したのだけど、ひょっとしてこれって和書コーナーで買うべきだったの?Shippingで3週間以上かかるっていうことだけど、新宿に行けば店頭にあったりして?ま、日本の店頭価格より随分安いから、気長に待とう。

3月21日(日)

 また雨だ。いやになってしまう。Dull root with spring rain, stirring (Eliot) ではあろうけど。今晩もずぶぬれになって帰ってきた。クリストファー・ウオーケンの「戦争の犬たち」という映画で、孤独なねぐらに帰ってきたウオーケンが壁を這ってるゴキブリを平手でたたき殺すシーンがあるけど、そんな風に、ずぶぬれで帰ってくると気持ちが荒れている。すさんでくる。さて、酒を飲みながら山口瞳の旅行記でもよもうっと。

3月22日(月)

 やっと晴れたと思ったら今度は冷たい風の吹き荒れる一日であった。春の嵐。風の冷たさを呪いながら自転車をコキコキして通勤した。だがしかし、強い風で東京近郊のスモッグは吹き払われ、季節のわりに明瞭な日差しが地面に濃い陰影を映していた。そんなアスファルトの道をみるにつけ遠い青春の日の早春のときめきを一瞬想い出した。吉祥寺ルーエにて江川泰一郎「英文法解説」(金子書房)1700円+税。新・英語をもう一度最初から作戦の、その準備だけは着々と整いつつあるよ。

3月25日(木)

 1ヶ月働きづくめで知恵もアイディアも枯渇したまま。孤独である。ヤマハ会長U氏、日経夕刊コラム「あすへの話題」のなかで、アラスカのサーモンキング釣りの昂揚を書く、「本当の趣味というものは、自分を高めてくれるもののようだ」と。ばかいっっちゃいけないぜ、U氏よ。庶民の下等な趣味はにんげんを卑しめるとでもいうのか。(例えば新木場でひがな一日釣り糸をたれるのは自分を卑しめるとでもいいたいのか)お手前の豪勢な趣味はよござんしたねエ、と嫌みのひとつもいいたくなるゼ。ひがみかもしれないが。

3月26日(金)小雨 長男の誕生日

 吉祥寺ルーエ地階にて、筑摩学術文庫や岩波文庫の復刊などをしばらく眺める。眺めただけ。外口書店では森茉莉「ベストオブドッキリチャンネル」(?)や岡本かの子「生々流転」(講談社文芸文庫)、どちらも手垢に染まってるわりに高いので敬遠。それでサ、流れ流れて帰宅途中の高野台駅BOOKTURNにて、山口瞳「けっぱり先生」(新潮文庫)、林芙美子「浮雲」(実はまたまた書棚にあった、最近2回目、トホホ、「放浪記」と間違えた)(角川文庫)、「高村光太郎詩集」(旺文社文庫)計315円。いずれも年月を経た本にしては清潔で安い。もっとも、読むかどうか分からないけどネ。

3月27日(土)

 最近よく降るなあ。仕事にいくつもりだったが、雨なので明日に順延。しかし家にこもっていると気が晴れない。山口瞳「なんじゃもんじゃ」読了。とある節で久しぶりに泣いた。その他は、英語のお勉強。

 新星堂などが参加しているMusic Boulevard 。オンラインCDショップなのだが、メニューが便利で、しかも内外のサイトを自在に駆けめぐって必要な情報を提供してくれる。Demis Rousos(Aphrodite's Child というギリシャのロックバンドのボーカリストで、その後ソロ活動。Aphrodite's Childのリーダーは、Blade Runnerなどの映画音楽でも有名なVangelisであった)という日本でなかなか入手できない歌手のCDがずらりと閲覧でき、しかもサンプルまで聴けて感激!そこでAphrodite's Childに飛んで、Complete CollectionというCD2枚組をオンラインで購入した。(Rain and tears とかEnd of the worldという25年ほど前のヒット曲も入ってる。昔もってたのだが、故あって売却したままになってた) 航空便の運賃が1枚じゃ割高なので、ついでにKing CrimsonのPoseidonとLark's Tonguesを購入。しめてCD$42、発送料$12あまり。買ったあとで日経で為替相場を確認したら1ドル117円位だった。

3月28日(日)曇り

 朝、富士見台の床屋Hで長男と一緒の散髪。長男の髪を刈ってもらう間、旧富士見台校舎の近隣をサイクリング。その昔夜勤のあと時々使っていた銭湯(番台が低くてお得だった)は駐車場になっていた。昔の生徒が住んでいたLマンション。初めて瀟洒なエントランスをみた。昔のことを想い出す。駅前山本書店にて、遠山啓「無限と連続」(岩波新書)、モンゴメリー"Anne of Green Gables"しめて420円。ここはお宝雑誌が増えてきたネ。

 午後、会社に顔を出す前に石神井公園に寄り道。きさらぎ文庫にて柳田聖山「一休狂雲集 純蔵主のうた」「一休狂雲集 夢閨のうた(講談社)計500円。店頭に堅い本がいっぱいならんでいて少し興奮した。草思堂にて竹田晃訳「捜神記」(東洋文庫)1500円、松村武雄編「中国神話伝説集」(教養文庫)180円。本日都合2600円也。悲願の「狂雲集」が手に入った。岩波の日本思想体系版ではないが、まあよしとしよう。梅や桜や木蓮や木瓜など、さまざまな花が一斉に咲いている。今年は冬が暖かかったせいか、桜の開花が早いが、その分、中途半端に咲いては散りそうな気配だね。

3月30日(火)曇りのち雨

 てなわけでまた雨である。深夜濡れて帰宅。侘びしい。

 ビクターとソニー、D-VHSの規格提携で合意とのこと(日経)。IEEE1934?(FireWire)なにらやきな臭し。PS2、D-VHS,そしてG3 Mac。技術革新についてゆくのも大変だ。なにせ設備投資が限られてるから。感性と技術の両方で時代の先端を突っ走りたいが。ああ、それなのに手前の仕事すら難渋する今日この頃である。

 「捜神記」をほそぼそと読むこの頃である。

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