2月2日(火)

 日経新聞「私の履歴書」今月の連載は清岡卓行。去年の今頃の連載は庄野潤三だったと思う。

2月4日(木)

 久世光彦さんの実母ご逝去。98歳の大往生というべし。百目鬼恭三郎の「の文庫談義」好著である。毎晩帰りが遅いが、少しずつ読み進めている。

 週刊ポストにて山本おさむ原作「コキーユ」の映画化を伝える。中原俊監督で風吹ジュンや小林薫が主演するとか。中年のファンタジー。いかがわしさを承知で監督は撮るのだ。それでもいいじゃないか。とうちゃんのカレンダーには2月17日に赤丸がついている。小学館マンガ文庫で「コキーユ」の発売される日。コキーユとはフランス語で貝殻。コクトーの詩、「私の耳は貝の殻 の響きを懐かしむ」、そうあれである。ついでにとうちゃんの戯作を初恋のMさんに捧げよう。

 

 あなたはいつも僕より3歳年上だった

ぼくが15の時にはあなたは高校3年生

ぼくが16のときにはあなたは19歳のOLだった

ぼくが18の時にはあなたは21歳の乙女であり

ぼくが22のときにはあなたは25

ぼくが30になったときあなたは33歳だった

時々あなたを想い出しては、あなたも年をとったのだと悲しく思うのだが

今自分が42になってみて、たとえば33のあなたはなんて若かったのだろうと

ひとり懐かしがったりする

やがて僕たちは老いの気配におされ

再びめぐり会うこともないままに死の予感におびえるだろう

語りつくされることのなかった僕たちのいのち

めぐり会うこともなかった僕たちの生よ

美しかったひとよ・・・・・・・(中断)

カレッジライトハウス英和辞典(研究社)購入。いい辞書だ。紙に顔を押し当てて香りを懐かしんだ。

2月5日(金)

 吉祥寺三角堂にて文芸春秋編「なんだか・おかしな・人たち」(文春文庫)。高橋義孝「実説 百間記」(もんがまえに月はJISになし)、中村光夫「狂気の文学者永井荷風」、金子光晴・山之口貘・草野心平「貧乏詩人大座談会」、今日出「飲む打つ買うの天才・青山二郎」他諸々。どうです、面白そうでしょ?最近文春文化に目覚めたよ。とうちゃんは長いこと岩波文化のひとだったからね。この手の本は古本屋でもいろいろと出てる。ま、ぼちぼち読むのだ。

 「雪国」のモデルの方が亡くなったって、新聞に出てました。私どもの予備校で教えている川端康成の研究家のH先生を想い出しました。

2月6日(

 若い社員U君ののお父様が亡くなられ、告別式に参列。環八を南下して井の頭通りと合流したところで東に左折。約50分の自転車旅行でようやく永福町駅近くのお寺についた。寒くはあるが快晴で雲一つない冬の日のお葬式であった。これだけで僕の今日は終わったのだと思う。若くして、精力的に働いてきたお父さんをなくした息子の悲しみを想った。ご冥福をお祈りします。さて、そこから井の頭通りを西に約35分ひたすらこいで会社に到着。少し残務を片づけて再び30分の後自宅に。というわけで都下冬の大三角形のサイクリングであった。

 東京に来て24年。なにかご不幸のある度に初めての場所に赴くとは悲しいことだ。

 寒い日が続く。しかも忙しくて自己喪失ぎみだ。心もからだも冷え切っている。暖かい癒しと慰めが欲しい。

 夜は、King Crimsonの初期の3枚を聴いた。

2月7日(

 今日は一日家でお仕事である。Aptivaのお陰で仕事もはかどるよ。うんうん。なんて、可愛いIBMマシンだが、近くのPC-DEPOTにいったら中古で8万円たらずだった。ショック。Macintoshのマシンを仕事用に買い換えたいのだが、1400でも5300でも結構高い。20万円位か。でも新しいG3 PowerBookに比べれば下方互換性では一日の長か?詳しいスペックは調べていないが、おそらくSCSIもローカルトークもEthernetも標準装備だろうと思う。ちょっと考えてしまう。

 仕事の仕上げは吉祥寺のオフィスにて。相変わらず孤独である。寂しい。明日は秋葉原や神田のスタジオで収録だ。

 本もこのところ閑話休題である。ぼちぼち読んでます。

2月9日(

 アイリス・マードック女史逝去。久野収氏逝去。氏と林達夫の対談集思想のドラマツルギー」(平凡社)は僕にとってもとても勉強になった本だった。

 アメリカで無料パソコン発売(?)との報。常時ネット広告が流れるのだとか。「タダより高いものはない」ということばをかみしめる。現在の大半の民放TVがそうであるように、結局かげで笑うのがスポンサーということにならねばいいが。有害ネットとかいってインターネットバッシングの風潮が世間の一部にあるのを憂う。はっきりいって民放が垂れ流している大方のバラエティー番組やのべつまくなしのCMが青少年に与える悪影響に比べれば、有害ネットなんて可愛いものだよ。ほんとこの世にテレビのなかりせば少年の生活はもっとのどかで有益であるだろうに、と思うのである。

 昨日は神田で英会話の収録。T.Clark氏相変わらずすてきなり。このひととも丸3年のつきあいになる。神田古書店街に寄ったら、高橋英夫「花から花へ」(新潮社)まだ店頭にあった。1600円。それでも買わなかった自分には、きっとこの本に対する劣等感があるのだろう。

2月10日(水)

 日経夕刊、宅配便業界の動向を伝える記事。なかでヤマト運輸担当部長曰く「現場に寄せられる消費者の声に耳を傾け、「ノー」ではなく「イエス」の態度で、あがってきたアイディアはどんなものでも前向きに検討する」と。なるほどネ。

 日経クリック3月号中身濃い。赤瀬川原平「老人力」(筑摩書房)1500円、ベストセラーだからあまり買いたくはないが惹かれて購入。このひとと筑摩とのつき合いは昭和49年頃の雑誌「終末から」以来か。同じ雑誌に奇態な辞書「集沫字解」を載せていた呉智英と同期ということになるのかナ。

 清岡卓行の履歴書興味深し。旧制一高の卒業生の層の厚さ実感。同窓会から会合の案内がFAXで届いていたけど忙しくていけなかった。

2月11日(

 赤瀬川原平「老人力」を夜更け疲れた頭で酎ハイを飲みながら読んだ。昔から、東洋には老いのユートピアを連想させる言葉がたくさんある。鶴は千年亀は万年。偕老同穴。翁と媼。長寿願望と一言で片づけられない。むしろ理想的な老年状態への憧れといったもの。松岡正剛も以前、「耄碌」を積極的に評価してたことがある。昭和49年に鹿児島で観た成島東一郎監督「青幻記」(原作は一色次郎)。沖永良部だったか、満月の夜の、を見下ろす高台での老婆たちの舞い。去年NHKで観た、沖縄の祭り。「村一番のべっぴんがさア」。気品ある老女の舞い。ここから謡曲世界へ。道教・神道・仏教の混交。東アジア(環太平洋)文化圏の南からの文化の伝播。盂蘭盆江の七夕祭り。わが郷里では盂蘭盆のあと、に七夕を流す。死者がそれにのって常世の国に還ってゆく。沖浦和光「竹の民俗誌」(岩波新書)。というわけで、実はぼくも少年時代から老人って好きだったなあ、としみじみ感じている。老人への憧れは、ぼくにとっては南島への憧れと渾然一体としているようだ。「東京物語」の笠智衆・東山千栄子の老夫婦。加藤嘉。

 今朝の清岡卓行。原口統三・中村稔・江川卓との出会いを綴る。貴重な連載だよね。忙しくてじっくり読んでないが・・・。

 ファイナル・ファンタジーVIII発売。オープニング映画の如し。なぜこんなに人気があるのだろう。

 午後からみぞれ混じりの雨がやがて初雪に変わった。去年の大雪を懐かしく想い出す。大雪の降った年って長く記憶に残る。非日常的な風景がこころの汚れを消し去るからなのか・・・。吉祥寺外口書店にジョセフ・ニーダムの大著「中国の科学と文明」(思索社)の軽装版、定価8500円くらいのところ各巻1600円で出てた。どうしてこんなに安いのか?買うべきか今考えている。

2月13日(

 近所の人類学のK教授夫妻からウサギ2匹を預かった。旅行にでもでかけるのか?昨日の日経夕刊でもウサギを飼う人が増えているとか報じてた。糞の匂いもほとんどしないし(草食だから?)おとなしいし、都会で飼うのには向いてるそうだ。ラビットちゃんそんなところで窮屈じゃないかい?って深夜話しかけたけど、深夜帰宅の闖入者におびえるだけで、返事してくれなかった。

 ヴァレンタインデーにちなんでチョコ1箱もらう。凱旋して帰宅した。今年は日曜日にあたるので売上激減を憂う声が以前からあったけど、我が社の女性たちはまめであるようだ。

 清岡卓行の履歴書。彼の本領は、詩よりも詩的散文にあるのだと思う。本日付履歴書、1945年6月の大連での原口統三との別れを記す。「それが彼と言葉を交わす最後の機会となった。」(記事より引用)

 午後は職場へ顔を出し残務整理、秋葉原のT本社スタジオへ向かう。そこで宮村優子さんの収録3回目。なんとか納品までこぎ着けたい。石神井公園にて、坂東眞砂子「蛇鏡」(マガジンハウス)400円。帰宅途中コンビニにて「週刊ザ・プレイステイション」(ソフトバンク)420円。ファイナルファンタジーVIIIの特集54ページフルカラー。シールやカレンダーもついた豪華版。安い。部数がさばけるからか。小社のCDも5万枚はいくだろう。それを全国の高校生に配るというのだから、宮村さんの事務所も真剣だ。宮村さんも真剣だ。「受験生って大変ですね・・・」そんなことはない、あなたのほうがたいへんだよ。ハードスケジュールの中、3回もつきあってくれたみやむ〜に感謝。

 小生は6月5日に新宿で開催する郷里の高校の新卒歓迎会企画担当じゃ。先日の同窓会には多忙で顔を出せなかったが、今日名刺のコピーが送られてきた。なにせ資金をあつめなくちゃいけないからね。子会社の役員、自分で会社を興した友人、ディレクター、主任研究員、弁護士他多士済々。とうちゃんもがんばらねば・・・と、鉄人ガンマのように発憤するのだった。JR飯田橋駅では小社のポスター大判が2枚、ホームをゆくひとの注目を集めていた。モデルの加藤あいちゃん清楚だね。

2月14日(

 坂東眞砂子「蛇鏡」途中で放棄。人間描写が類型的で、騙されてみたい気にならない。歳をとるに従ってこの手のホラーや伝奇小説には辛くなってくる。ということは昔読んだ本には甘いということか。昔読んだ半村良「石の血脈」「伝説シリーズ」夢枕貘のいくつかの本などのほうが面白かったよ。「神道集」「今昔物語」でも読んでみるか?

 長く寝た。・・・・・。清岡卓行の履歴書、敗戦を迎える。

 TITANICの謎のシーン。自分のために死んでしまったレオをの底に放擲し、生きるために渾身の力をふりしぼったヒロイン。ここに評価がわかれている。日経夕刊のコラムでとある女性エッセイストは「(自分だったら)亡骸を抱いてでもレオを連れてゆくだろうに」と書く。この大和撫子の述懐は理解できる。すると、キャメロン監督の万全の演出は(というのも竹書房の本などから如何に精緻な演出が計算されたかが窺えるからだが)ほころぶわけだ。ここにキリスト教徒と仏教徒の和解できぬ一線を見ないわけではない。中国では死後人間の構成要素は「魂」「魄」「塊」の順に、それぞれ分配されてゆく。キリスト教ではどうなのか?そこに亡骸に関する淡泊さを思わないではない。神道と仏教のくに日本では、遺体に払う敬意はなきひとへの敬愛とは別の、別の事情が関与していると思われてならない。そうこうすると「魔の山」「デミアン」の最後節に共感できなかった元ヨーロッパ文学愛好家である自分がいるわけで、そこから徐々にヨーロッパを見捨てていったわけだ。寺田透竹内健栗田勇。またまた「青幻記」で恐縮だが、南島における洗骨という葬送儀礼が、なぜこうも心に沁みるのだろう?「あなたは内地で幸福ではなかったですネ。こんなにお母さんが忘れられなかったところをみると」。少年時代に不慮の事故で死んだ若き母の頭骸骨を何十年かのち抱いて泣く田村高廣のことが、ぼくはなぜ25年間も忘れられないのだろう?

2月16日(

 「神道集」を引き続き読んでいる。寝る前に少し。本地垂ジャク、神仏習合の貴重なテクストである。わけのわからん物語世界である。次男は風邪で2日お休み。伏せった姿を見るといじらしくなる。男親のほうが濃い愛情というのもあるのだ。はたからは分からないだろうが・・・。小生の読書日記も幸いなことに好評で(主に社内で内輪ウケ)、今日は浪人したばかりの学生に勧める、元気のでる本なんてのを求められて閉口した。美保純・北方謙三「俺たちと唄おう!」(集英社文庫)なんていう本しか思い浮かばない。24年前、浪人した親友を訪ねて善福寺そばの下宿へお邪魔。そこで書いた「善福寺池にて」という詩。それを親友に捧げたことを想い出す。ま、そんなもんだよ、とうちゃんの見識なんて。

2月17日(

 という訳で、忙しい2月である。まだ2月は完全な休みがないのだ。携帯もポケベルもないひとりの遠出の日を憧れる。家族も捨てて、会社も捨てて、若人済度の大義も捨てて、自分自身のいのちを生きるために。なんて不穏当なことを書くのも、実は自分の人生がそうでないから書けるのだが・・・。この不誠実をある人は不快に思い、あるひとは共感するだろう。

 夏目漱石「草枕」を岩波版の全集ですこし読んだ。王維、陶淵明。本日発売の「コキーユ」を探したが本屋になし(上石神井の本屋や、南田中ツタヤ)。

2月18日(

 閉店間際のツタヤで山本おさむ「コキーユ」(小学館文庫)購入。1時27分読了。・・・・。石井方式漢字の覚え方(学燈社)、30年目の3回目の購入。やっと届いた。清岡卓行の履歴書、あの有名な詩句

 ああ /  君に肉体があるとはふしぎだ

の創作のいきさつ。殺伐たる朝、朝刊の片隅にこの行を含む詩「石膏」のすべてをちらりとみて、浄福を感じた。

 吹き荒れる風はどこかなま暖かくてそこに早春の予感を感じてこころがときめいた。

2月19日(

 日経夕刊、K塾丹羽健夫氏のセンター試験国語I・IIの第2問批判。日経の記事でこれを読むのは2回目である。キャンペーンをはる新聞ではないので、いろんなひとがこのことに疑問を持っているのだと思う。確かにそうかもしれないね。山田詠美の小説をもとにしたこの問題、小社内でもいろいろ意見があるよ。感性を点数化しようとすることにそもそも問題があるのかもしれない。万やむを得ず感性を点数化するのであればゲームの対象は、島崎藤村とか幸田露伴とか、鑑賞の定まったクラシックなものにしたら、とも思うのである。(藤村や露伴の今日的な意義を貶めるつもりはないヨ。)ボルヘスはかつていった「シェイクスピアを読む人はみなシェイクスピアである」、ヘンリ・ミラーは「わが読書」で次のように書く「ひとに本を薦めるとかえって読まないからひとに本は薦めないよ」。読書論の奥義はここに展開されていると思うのだが、疲れているので多くは語らない。

 みぞれまじりの雨が降った。このみぞれや途中降った雪は自分のこころにはむしろ優しかった・・・。

2月20日(

 吉祥寺東映そばの古本屋。東洋文庫「墨子」1400円。今度買おう。酒見賢一「墨攻」(新潮社)魯迅の小説「非攻」(ちくま文庫に所収)などで膾炙した墨子の原典。絶対平和主義。それを実践するための先鋭的な戦闘教団。古代の秘教的技術集団。謎の多い思想家である。

 上石神井駅そばの硯文堂書店。内藤湖南の全集や岩波の日本思想体系がショーウィンドウに鎮座まします古本屋である。店主は若い。いつも入ると店主の濃厚な気配におされて安い本を買ってしまうのである。もっと気配を殺したほうがいいのでは?今夜は山崎豊子編「女の生き方40選」(上下巻、文春文庫)550円。吉井勇の実母の102歳の回想記などものってるぞ。その他石垣りんのエッセイ等々ぞくぞく。掘り出し物というべし。

 斉藤俊雄他編「英語コーパス言語学」(研究社)で知った、映画のシナリオのサイト。TitanicやBlade Runnerの脚本を楽しんだ。なかなかすごいよ、ここは。映画好きのひとならブックマークに保存する価値あり!

2月21日(

 3週間ぶりの完全休日。金も乏しいので、朝は近くの図書館へ。山口正介「親子三人」(新潮社)、有名作家の息子の、父との内面の葛藤に複雑な思い。山本周五郎テーマ別コレクション「晩年」ぼちぼち読んでみよう。「墨子」は平凡社の中国文学大系で立ち読みしておいた。息子どもは昨夜かってやった「週刊ザ・プレステ」(390円)をもとにファイナルファンタジーVIIIに興じてる。おいおい、勉強はどうなってるのだ。午後は、富士見台駅前山本書店にて岡本かの子「老妓抄」(新潮文庫)180円。百目鬼恭三郎に薦められて。「明治以来の文学史上、屈指の名短編と称された」(亀井勝一郎の解説より)、どうもこの推挽はあながちおおげさではないらしい。他に3点店を巡ったが、たいした本なし。商店街はずれ新井書店前でしばし呆然とする。さすがのとうちゃんも入るのをためらう侘びしさ。店頭には集英社の昔の文学全集均一100円。ま、読めば読むでいい本もあるのだろうが、侘びしさに負けた。なんでこんな侘びしさを感じるかというと、この富士見台という町はとうちゃんが20代後半の頃、学習塾の室長として赴任した場所で、いろいろと想い出もある町なのだ。あの当時、仕事が深夜に及んだ時は教室近くの銭湯を使っていたっけ。番台が低くてついつい女湯がみえてしまうお得な風呂屋だったナ。あの当時の中学生も今や29歳になる。(Mちゃん元気にしてますか?)町を行き交う若者たちもみな29歳よりはるかに若く、そこに時代の流れを感じて・・・だから侘びしかったのだ。富士見台の駅前商店街も、どことなく元気がないね。不景気のせいもある、業態の変化もあるだろう。店じまいした店もちらほらみかけて寂しい。ところで、山本書店の店内のFM放送で、「僕はどこにいる」を聴き、あああのひとの声だ!と感激。とうのも、1年ぐらい前から有線で2回ほど聴いては気になっていた曲

One more time,One more chance      山崎 まさよし

がたった今特定できたのだから。(フレッシュアイでヒットチャートをみ歌手を調べ、Yahoo!でファンのサイトにとんで曲名に当たりをつけgooで歌詞をみつけたという訳)今日一番の収穫であった。今度CDを買おうっと。夕方、息子に天文学の手ほどきをした。

 ※富士見台の古本屋を巡ると、ずいぶん駄本も多いなあとつくずく思う。しかしなんだよね、生命の多様性をいうときに、気に入らぬ百足の類を仲間外れしていたら、本来の趣旨から大きく逸脱するよね。(おう百足よ、汝らも夫婦があればこそいのちある身として生まれてきたのだろう 甲賀三郎伝説より) 駄本の類もきちんと扱われて流通しているから、貴重な本もそれに乗って流通しているわけだ。吉祥寺の高級住宅街を朝自転車で通ると、たくさんの新刊や古い本が括られてゴミに出されてる。相当な数だよ。とうちゃんにも世間体というのはあるので、さすがに自転車を止めて紐解いたりはしないが・・・。リサイクルされて再生紙にはなるのだろうが、なんだか寂しいね。書籍と生物。ともに異様な多様性を誇る。吉祥寺のとある朝、ゴミとして出される書籍。ひとつひとつが膨大な情報をかかえた複製物であるが、その多様性は他の商品にはない。メダカすら滅んでゆくこの世紀末。生物と書籍をならべてその多様性に思いをいたすのである。

2月23日(

 夏目漱石の長男、夏目純一氏逝去。大往生というべきか。また、青土社社長、清水康雄氏逝去。67歳は若い死だ。富士見台4丁目(小生の近く)にご自宅があったとはしらなんだ。「ユリイカ」「現代思想」の2雑誌を創刊し、優秀な編集者を輩出した青土社の創業者かつ詩人であった。岡本かの子「鮨」「東道五十三次」など読み続けている。忙しい、たったそれだけ。今、午前3時。

2月24日(

 今朝の日経新聞、清岡卓行氏の履歴書。次男を肩車に乗せた写真が載っていた。ふ〜ん。いい子だね。雨の中、カッパを着て通勤。通勤中ふと、脳裏に次男氏の名前が浮かんだ。え、ひょっとして、あのひとと同じ名前?毎年年賀状を交換する元社員のひとのご主人の名前と同じだよ。いろいろ悩んだが・・・、たぶん、ご主人様は清岡氏の次男なのだろう。珍しい名前で姓も同じだ。歳もころあいである。へ〜え、と職場で感心していたことだ。同じ履歴書中、伊達得夫氏の「ユリイカ」創刊のエピソード。米川正夫夫妻への資金援助など初めて知った。ところで先日亡くなられた清水康雄氏の創刊された「ユリイカ」と伊達得夫氏の創刊した「ユリイカ」と、なにか血縁関係はあるのだろうか?昔から想ってる素朴な疑問である。早世した伊達氏の遺志をついで「ユリイカ」を創刊したと、どこかで読んだような気もするのだが。森本均氏の興した昭森社など、この時代の出版社にはなにか懐かしい想いがあるね。(ところで先日来、ほとんどうろ覚えで入力してるので、入力ミスがあったらごめんなさい)

 One more time,One more chance、MIDIでみつけた。LYCOSのおかげ。

2月25日(

 吉祥寺東映前の古本屋で中国詩人全集15「李商隠」(岩波書店)、店頭均一本に出ていたので買っておいた。250円。きれいな本だ。岩波のこの種の新書サイズの布製の全集は手触りがいいよね。特にこの全集は気に入っていて、時々買ってます。今はこのサイズの全集ってはやらないのかあまり新刊では見かけませんけどね。この本、高橋和巳が注釈をつけていて、その関係もあって僕の弟が、学生時代に買ったことがあると思う、だからこの本もおそらく鹿児島の実家か弟の書斎に、今もあるはずだ。でも買ってしまった。同じ本屋で開高健「もっと遠く!」「もっと広く!」各2500円。次回もまだあれば買ってもいい。

 日経新聞夕刊、2000年または2001年の出産ラッシュ、あるいは1999年の出産控えを特集にする。1999年生まれとそれ以降では、なにか人類の新旧を類推させる差別が働くのか、そう思うこともむべなるかな。川端康成は今年が生誕100年である。稲垣足穂は1900年の生まれだから、来年は生誕100年ということになる。そんなことを考えた。

 今朝の日経、「春秋」欄にて、94歳で逝去された吉野登美子さんの生涯を書く。歌人の故吉野秀雄の妻であり、その前は若くして世を去った詩人八木重吉の妻だった。71歳の時、「琴はしずかに 八木重吉の妻として」という本を書いた。その本の後記の書き出しが人柄をしのばせる。「私は本年七十一歳を越しましたまことにつまらない女でございます」。・・・・・。以下「春秋」子は八木重吉の詩的世界を紹介している。「天声人語」のようなあざやかな起承転結はないが、ぼくはこの種の文章が好きだ。誠実だからである。この吉野登美子さんのことを、ぼくはどこかで読んだ記憶があるのだが、それはどこなのだろう?山口瞳が吉野先生について書いた文なのか、それとも八木重吉の詩集においてなのか、いまから調べてみようと思う。布団を敷いてから・・・・・。

 朝、小5の息子が「どんぐりの家」のことを話題にしていた。学校で話題になっているそうな。そうそう、あの「ランドセル」「オーロラの街」「コキーユ」を描いた山本おさむの代表作だよ、と妻子に教えたことである。

2月26日(

 吉野登美子さんの生涯について。中公文庫版日本の詩歌23「中原中也・伊東静雄・八木重吉」解説で江藤淳が詩人の短い生涯とその詩を紹介している。以下引用。「八木は大正十一年(1922)年七月、東京高等師範の学生時代に家庭教師として教えた十七歳の女学生島田とみ子と結婚し、一男一女を得ている。この子供たちはいずれも十代のうちに結核で夭折したが、未亡人とみ子は戦後になって歌人吉野秀雄と再婚した。今日、弥生書房から刊行されている「定本 八木重吉詩集」は、とみ子の二度目の夫吉野秀雄の尽力で世に出たものである。」

 国立2次試験。東大の英語と数学をざっとみる。英語、長文空所補充や文法正誤問題を解いてみたが、まずまずの出来で気をよくした。(河合塾の解答速報に深謝します)文系数学第1問。「いいか、加法定理はまず公式を頭にたたき込んでおけよ」なんて手合いの教師は面目を失うだろう。そう、加法定理の証明を問うことは立派な見識だと思う。

 このところ忙しかったので新刊の本屋をのぞいていなかったのだが、昨夜、読書子にはつとに有名な文庫本大好き−岩波文庫コレクションの掲示板(ここでは活発な意見交換がおこなわれてるね)で、角川文庫の詩集フェアを知り、吉祥寺駅前ルーエに足を運んだ。寿岳文章訳「ブレイク詩集 無心の歌、有心の歌」(1000円)ちと高いと思ったが買っておいた。カラーの版画がいっぱいのっていて眺めていても楽しい。解説は中沢新一。イギリス精神史の縦糸のひとつ、ブレイク→モリス→ハーバート・リード。ユートピア思想と民芸(工芸)の婚姻。これは日本における柳宗悦や寿岳文章に引き継がれたのか。昔(20年前)から気になってる、自分にとっての精神史の謎だ。

 他に岩波文庫の一括復刊。東映前古書店では中沢新一「森のバロック」1500円(今度買う)。サンロードさかえ書房や外口書店で岡本かの子の絶版文庫を探すがなし。三角堂(南口東進ハイスクール前のマクドナルド脇を右に入ったところ)でちくま文庫の「岡本かの子全集 5」をみつける。そうかちくま文庫で出てたんだ。半端だから買わなかったけど・・・。

 今朝の日経では、文化面交遊抄、小田久郎氏(思潮社社長)の清水康雄氏追悼文。逝去の日まで筆談で編集・営業に指示を与えていたと激務の末の死を悼む。清岡卓行の履歴書。妻の若い死の悲しみを乗り越えて「アカシアの大連」を書くまで。

2月27日(

 清岡卓行の履歴書、「アカシアの大連」芥川賞受賞の頃。当時の大岡昇平の賛辞に共感した。春めいた陽気に誘われて、富士見台や石神井公園の古本屋をのぞく。途中、元教え子のお母さんKさんにすれ違う。5年ぶりか。しばし立ち話。上のお子さんはNHKで活躍しておられるとのこと。岡本かの子「巴里祭・河明り」川端康成「みずうみ」「眠れる美女」(以上新潮文庫)、宮野澄「最後の軍大将 井上成美」(文春文庫)、田中小実昌「ポロポロ」(中央公論社)以上で700円。山本おさむ「どんぐりの家」都合4店のコミック棚をていねいに探したが、なし。「週刊ザ・プレステ」ファイナルファンタジーVIII DISK3の攻略編。今週号は頁が少ない。夕方より風強し。

2月28日(

 清岡卓行の履歴書本日で完。再婚から今日に至るまでの約20年の回顧。「手の変幻」他。いつまでもお元気で活躍してほしい。ごくわずかの詩以外、自分には縁のなかった詩人だが、これを機会になにか読もうかしら。多摩湖町に自宅のあるのも親しみがわく。

 中沢新一「森のバロック」(せりか書房)東映そばの古書店で1500円。定価税込み3500円位だからまずまず安い。中沢新一は近年の南方熊楠再評価におおいに貢献したひとである。それまでの熊楠像は、「彼のいう学識の整理には理論が必要ではなかろうか。(中略)ルソー・ダーウィン・マルクスのように、その出現によって以後の学問の世界を一変せしむるような理論を見いだしがたい。この点が彼を一流の近代的科学者と呼ぶことを妨げる」(桑原武夫、「南方熊楠の学風」、「南方熊楠 人と思想」平凡社所収、1974年)といった意見のように、異常な博識ではあるが理論構築には疎かった奇人博物学者といった評価であったのだが、中沢新一は、その該博な哲学・人文科学の理論でもって、ポストモダンの世に彼を再構築したのだ。(鶴見和子の、環境保護論者としての再評価のあとに)まあ、じっくり読んでみよう。

 新青梅街道沿いのちんけなコミック系古本屋にて。「八木重吉全詩集1」(ちくま文庫)、250円なので買っておいた。「秋の瞳」全詩を収める。ようやく読むことになりましたよ、徳重良寛先生・・・。先生から薦められて25年ぶりに。

 会社のS君、英語速読の本を薦めてくれてどうもありがとう。大変参考になりました。

 2月も終わる。やがて美しい春がくる。ご愛読ありがとうございました。

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