6月2日(曇り

 夜、高卒生歓迎食事会の関係で、新宿マイシティ8Fにて打ち合わせ。帰りに、先輩の経営するお店に挨拶に伺う。滞りなく開催できるのやら心配だ。後輩たちとも電話で連絡を取り、再度動員の依頼をする。

 某社のプレゼンテイション。Lotus の Learning Space 2.5。ネットワークそれもインターネットを介した教育のソリューション。ともかくコンテンツが命だ。当たり前のことだが・・・。先日、Wisconsin 大学からは、Distance Education のコンファレンスの案内が届いた。4年前に参加したときの、暑い夏を想い出して懐かしい。

 ほそぼそと、吉村昭「冷い夏、熱い夏」を読んでいるところ。

6月3日(曇り

 朝日新聞や、Yahoo!JAPANのニュースで流れた、アメリカ Borders.com のオンデマンドの書籍印刷システム。品切れ・絶版の本を、書店店頭で注文を受けたその場で、「トーストを焼くように」15分で印刷・製本するサービスを始めるのだと。このデジタル印刷・簡易製本のシステム、書籍の版データをデータベース管理するシステムに興味を持った。布製の表紙、香りのよい本文用紙、活字が紙に打刻されたときの凹凸が手のひらでなぜるとはっきりわかる凸版印刷、やがてそうしたものは稀少でノスタルジックな贅沢と化すのかも。

6月5日(曇り

 吉村昭「冷い夏、熱い夏」読了。氏の弟が癌で亡くなられたのは1980年の夏のことなのだろうか。その4年後にこの小説が上梓されている。

 東大生の木村俊介さんの初の著作「奇抜の人」。97年に亡くなった埴谷雄高について、その生前を知る27人にインタビューした一種の評伝。過剰な神聖視を排し、生活者としての作家の姿をも浮き彫りにしているとのこと。(日経新聞朝刊)とうちゃんの旧埴谷邸訪問記はこちらを。

 朝、石神井公園きさらぎ文庫にて、須賀敦子「遠い朝の本たち」(筑摩書房、1998)350円。惜しまれて世を去った女史の遺著だという。帰り道、石神井川の畔で少し読んで帰った。(以下明日)

6月6日(晴れ 女なき世界の追憶あるいは男と男の相合傘

 昨夕、新宿プチモンド(マイシティ8F)にて、とうちゃんの出身高校の新卒者歓迎のための食事会を開催した。とうちゃんは一応幹事である。(つまりこの日記は、昨日の続きなのだが、24時間近くたってしまったので、今日の日付で書くのである。)昼過ぎからぼちぼちと、式次第を書いて近くのコンビニでコピーしたり、名札を書いたりした。背広を着て、早めに新宿にゆく。開場1時間もまえに新宿についたので、東口で煙草を吸いながら、牛もようのスカート(某PCメーカーの)をきたキャンペーンガールをぼんやりと眺めたりして時間をつぶした。開演40分前に8Fにあがり、マネージャー氏に挨拶。一流のホテルの立食パーティのように、銀の平皿鍋からはすでにふつふつと静かに湯気があがっている。

 開演25分くらい前から、ぼちぼちと新卒生が来はじめた。さすがにはやいひとたちは、このプロジェクトの賛同者(協力者)が多く、初対面ながら、電話でなんどか出席促進をお願いしたひとがぱらぱらといる。開演時間間際には、予定の30名を大幅に超し、約40名になった。ここにおいてもう今日の目標の半ばが達せられたのである。(結局48名)

 弁護士のK先輩、公認会計士のT先輩の祝辞の挨拶、そして同期幹事、弁護士のK君の乾杯の音頭。ま、しかし、ここをしきってるのはとうちゃんだぜ。みんな分かってるかな?というわけで、中途のスピーチでは、T衛星予備校栄光あれと、詠唱す。賛同して挙手してくれたT君(今春の卒業生)一派よ、ありがとう。

 後輩たちの近況報告と今後の抱負をひとことずつ、そして記念撮影。最後は校歌の合唱。先輩後輩関係なく、ともに肩を組んでの合唱。男と男の親密なコミュニケーションには身体の意志表示もかかせない。そのことを感じる。後輩をねぎらい、後輩を元気づけるとき、肩をたたいて親愛を表現する。握手する。拍手する。笑顔を見せる。そのひとつひとつが、女なき世界の、清らかで自己完結した、閉じた、やさしい世界である。女が混じったときの、権謀術数の限りをつくした、闘争はここにない。去年沖縄で感じた、老いたユートピアと似通った世界である。24歳年下のおとこの子たちは可愛く、いじらしく、その欲望も、その汗くささも、許せてしまう。ゆるやかに、父親のように。ここにおいて、ゆるやかに今日の目的の2番目は成就した・・・。

 2次会は慰労もかねて同期だけで。赤坂の某寿司屋にて。K医科大脳外科医科長の I 君、弁護士 K 君、先生呼ばわりでもてもて。それでも女なき世界の、優しい慰めは、ここでも、静かに、あった。(以下疲れて中止だあ)

 今日は仕事。帰りに、魚戸おさむ「がんばるな!!!家康」(第1巻)、谷口ジロー「歩くひと」(ともに小学館)しめて981円。妻と一緒にしずかに読むのであった。

6月8日(曇り 帰郷あるいは・・

 「故郷に帰る」という、せつない主題。これを中国人は古くから哀しく歌った。はたまたヘルダーリンの「帰郷」。ドイツ人と中国人と、そして日本人は、この教養主義的なテーマにおいて時代を超えて通暁しあう。長い晩年を狂気のもとにすごしたヘルダーリンのことを想い出したのだ。ビックコミックの「龍」において少年の朗読する賀知章「回郷偶書」を読んで・・・。

6月9日(曇り 宵の明星は美しかりき・・・

 鈴木志郎康先生の日記を読んだ。いつも楽しく拝読しているが、とくに今回はMacとWindowsの接続ということで、身につまされる想いで読んだ。こんなことに夢中になれる詩人が、ぼくは大好きだ!

 今宵は、宵の明星が美しかった。Venus という名前をつけた、ヨーロッパ人(バビロニア起源の)に敬意を表する。あれは小学生だったのか、それとも中学生になってからなのか、今はなき郷里の実家で、とある初夏の宵に、親父といっしょに眺めた、輝けるVenusと三日月とMercuryが並んだ光景を、自分は忘れることはないであろう。その時、内惑星と太陽と地球の衛星は、一列になって、地球の住人のひとりの眼球の奥に、かそけき光を映していたのだ。稲垣足穂「横寺日記」の香気を思う。

 「デジタル大事典」(日経BP社)5250円の大冊、CDROMつきが、朝届いた。

6月10日(晴れ 

 引き続き鈴木志郎康先生の日記を読む。Windows98のファイル名の謎。全く同感なり。

 6月11日(晴れ 数学上の大発見?

 「デジタル大事典」のCD-ROMを会社のPCにインストールし、リンクからリンクへと読んでいたところ、教育とコンピュータの項目で、Geometry Supposer という名前を見つけ、気になって goo で調べたところ、愛知大学の飯島先生のホームページにたどり着いた。そこであれこれリンクをたどるうち、Geometer's SketchPad (日本語版はヤノ電器による。デモ版ダウンロード可)を発見。93年にMacのLC520 を買った頃、デモで遊んだ覚えのある数学ソフトである。さっそくMac版のデモ版をダウンロードして、遊んでみた。やがて数学担当Y君の目にもとまり、彼も地階のMacでいろいろ試した模様。私といえば、パスカルの定理のシュミレーションをこさえてみた。円周じょうに6角形をこさえ、3組の向かい合った辺の延長が交わる3点は一直線上にあるという、例の定理である。この定理のモデルがいともたやすくできあがることよ。なるほど六角形の形状を様々変化させても、この3点は常に一直線上にあることが、明確にわかる。ところでだ。この6つの頂点をぐるぐる動かすうち、おっとおっと順番がくるってしまった。つまり凹六角形とでもいおうか、星形六角形とでもいおうか、ともかく、6つの頂点に対応するはじめの6つの直線の関係はたもたれたまま、六角形は支離滅裂になってしまったのである。ところがだ、なんとはじめの同一直線上の3点は、変わらず同一直線上にあるではないか。(図の赤い太線)。ユリーカ!いやあ、うれしかったね。まあ、これ位の拡張は、当然のことだろうから、パスカルの定理の拡張として自明のことなのだろうけど、妙にうれしい私で、地階のY君やKiharaさんにもふれこむのであった。このソフトの教育的な有効性を身をもって実感した夜であった。(このMacの画面コピーを縦横の比率を変えて変形すると、円は楕円となるが、例の3点の位置関係は保持されたままである。これが射影変換ということだ。)このGSPといい、インタラクティブ・フィジックスといい、ヤノ電器の売ってるアメリカの教育ソフトは面白いね。もともとMacのソフトであり、アメリカの教育市場におけるMacの根強さを思わせてくれる。数学教育における利用では、フリーソフトのRotater なんていうソフトもすごく楽しいのだが、紙面が尽きた。数学教育とコンピュータの関係をするどく深く追求したいとうちゃんである。

6月12日(晴れ

 早朝に起きて、歓迎会の残務をした。すなわち、記念写真や名簿の同封作業や、カンパの再依頼。内職のようなものだナと卑下する。TOEICのスコアが届いた。思いの外リスニングはよく、リーディングは悪い。ま、こんなもんだろう。次の機会に奮起する材料ができたわけだ。昨夜のパスカルの定理の拡張。書棚を探すと、あたりまえのように小平邦彦「幾何のおもしろさ」(岩波書店)にのっていた。もちろんそうだろうが、でもあの感興は意味があると思っている。朝、石神井公園の古本屋を覗いたが、買うべき本なし。今日は、ちょうど一年目の日にあたる。私がWebをこさえてから。今日という日のためにいろいろと堪え忍んで生きてきた自分であったが・・・。勝手に独白し、勝手に感傷にふけり、勝手に癒されて、自分はかわってきた、静かに。このWebはそれだけで意味があると思っている。中年になると、自分を癒すためにもさまざまな仕掛けがいるのだ。そのことを、わかって欲しい。午後は仕事。

6月13日(晴れ 霞ヶ浦初体験。

 夜明けすぐに起きて、茨城県は土浦に向けて出発。息子ふたりを連れてのバス・フィッシングだ。行きは、日暮里まで山手線でゆき、快速で取手まで、そこから特急にのり、土浦駅まで。ちなみに、帰りは土浦から日暮里まで普通電車で帰ってきた。片道正味2時間というところである。桜川の河口付近から土浦新港へむかう。ルアーで開始。開始後20分後くらいに、長男の竿にアタリが。バスの大きな肉色の口が、いきなり舞う。しかし取り逃がしてしまった。残念。97年夏に相模湖においてのトライ以降、久方ぶりのバス・フィッシングだが、初めて野生のバスを見たぞ(笑い)。(周りで2回ほどつり上げる瞬間を目撃した。やっぱり霞ヶ浦は釣れるのね)ルアーは難しいというので、ミミズも用意してあったので、とうちゃんを中心に、生エサでフィッシング。こちらは、ブルーギルが釣れる・釣れる。大きいの含めて8匹位は釣れたろうか。ただ、針を飲み込んでしまうので、リリースするのが難しかった。すばやくリリースするのがいいんだけど。(以上、Jojo氏の教示に拠るところ大)

 帚木蓬生「三たびの峡」200円、友人の弁護士Kくんの勧めによる。

6月17日(曇り後晴れのち雨

 柳田邦男「犠牲 わが息子・脳死の11日」(文春文庫)、佐々淳行「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文春文庫)。新刊で1,000円ちょっと。

 はたから見れば滑稽かもしれないが、このわたしは純粋な少年にして野心溢れる青年、はたまた生活に倦んだ中年にしてかつ憧れるところは老人の境地だと思っている。24歳年下の高校の後輩と話をするとき、職業柄でもあろうが、すいすいと会話がすすむ。共感のすべを知っている、と思っているのは本人だけで、実は深い溝がひかれているのかもしれないが。自分だけの特性なのか、苦労が身につかない性分なのか、自分は30年前・24年前に、すっと帰ってゆける・・・。

 このところ、数学教育のサイトをみることが多い。インターネットってそもそも教育のために始まったわけじゃないですか。そういうわけで、日本もアメリカもこの種のサイトは誠実ですよね。近日、ちゃんとまとめてみたいと思っています・・・。

6月19日(

 先日再会したGeometer's SketchPad であるが、Web上のJava Applet として書き出すツールが公開されている。ここで。ここで公開されているDemo は、特別なアプリケーションやプラグインなしで動くようだ。特に正多面体が回転する様を、赤青の3Dめがねでみる作品には感動した。数学や理科の授業に応用できると思う。

6月21日(晴れ

 吉祥寺南口、三角堂にて、林芙美子「めし」(新潮文庫)。それから久世光彦の解説「隠れ野菊はいまもいる」を読みたくて、伊藤左千夫「野菊の墓 他」(集英社文庫)。各100円。サンロードの外口書店にて山田詠美「ぼくは勉強ができない」(新潮社)300円。夜少し読んだ。主人公の高校生に作者のアフォリズムを流ちょうに語らせるところが、鼻についてしまう。好きな人は好きなのだろうが・・・。

6月22日(雨時々曇り

 秋山仁監修「大数学者に学ぶ入試数学2B」(数研出版)1,000円。ルーエにて。溜飲を下げる本である。酔っぱらいながら読むのじゃ。今日はT.F社のWakui さんになにかとお世話になった。web の誌面を借りて御礼申し上げる・・・。

6月23日(曇り

 秋山仁監修のこの本、どこに溜飲を下げたのかというと、高校数学を深く学びたいひとのためのこの種のコンセプトの参考書がなかったからだ。しかも先賢の数学者たちの数学との格闘を通じて数学史を学ぶことで、複素数や対数などの、そもそもの発見に至る経緯や必然性がわかって興味深い。

 入試問題のデータベース化はやはりhtml ベース(もしくはxmlベース)にするべきだろう。あたりまえのことになぜ気がつかなかったのか。早稲田の社会科学部の英語の問題、Wordからhtmlに書き出すだけで、OSやアプリケーションに依存しないで、下線や図表や表組まで対応できるデータベースができあがる。しかもシンプルなテキストにもすぐ加工できるし、下線付きのパラグラフの検索や置換や、そのほか正規表現をつかった加工もできるではないか。

6月25日(雨時々曇り

 エンドレスで仕事漬けの週末に突入。というわけで(じたばたしても始まらないので)、新入社員たちの歓送迎会も楽しむことにした。後生おそるべし。さて、家に帰ったら新潮社から大きな封筒が届いている。妖しげな封筒を開けると、Internet FOCUS の大冊CD-ROMが入っている。なにやら、この冬戯れに応えたInternet 上で新潮社がテストランしている、朗読サイト Internet RADIO のアンケートに答えたかららしい。ともあれ、なにやらうれしいとうちゃんである。

 すっかり数学づいている。昨日まで英語の頭をしていたので、切り替えるのが大変だ。でも困難を楽しんでいるとうちゃんである。

6月26日(曇り

 長男が釣りにゆくといってきかぬ。なのに週末も忙しいとうちゃんなので、明朝もし晴れればかあちゃんが息子二人と友だちふたりの計四人を引率することで話がついた。というわけで、上州屋に仕掛けを買い出しにいった。2000円。次男といっしょに。とうちゃんは、午後から仕事。夕方六時、浜田山の某ファミレスにて某社々長と緊迫した打ち合わせ。禅の公案のようなものじゃ。気を緩めれば、喝っ!ああ、中原中也じゃないけれど、

 ああ、の歌、空の歌、私は美の本質をしっていると思うのですが、悲しいかな、怠惰を遁れるすべがない・・・。

ということなのであった。(つまり教育の本質を私は知っているが、目先の仕事に追われ、かつ、それにも倦んでいるという・・・。)中也の詩はうろ覚え。岩波文庫(大岡昇平編)で、見つからなかったので、しかたなくうろ覚えで書く。

 キング「ファイヤスターター」(上)、トマス・ハリス「ブラック サンデー」(以上新潮文庫)、ウェルズ「透明人間」(岩波文庫)。計500円。高野台駅前にて。故あって失った本を買っておいた。

6月27日(雨時々曇り

 会社の隣の古本屋SEZAMにて、阿川弘之「井上成美」(新潮社)、単行本版で200円。東林さだお「ショージ君の東奔西走」(文芸春秋)200円。仕事と読書と数学と酒と英語と、それからおなごと、いやはや酔生夢死の人生だア。

 釣りは延期。来週はとうちゃんが連れてくか。今日は妻子たちは、六都科学技術館へいったということ。とうちゃんは、なぜか急に、ロゲルギストのセッセイ「科学の散歩道」を読みたくなっている。今もなお、健在(=在庫有り)というのが素晴らしい。ロゲルギストって執筆者たちの名前が伏せられたままじゃないかな。

6月28日(曇り

 「ある日踏切の向かうに君がゐてとおりすぎる汽車を待つ 遮断機が降りて振り向いた君はもうおとなの顔をしてるだらう」(小椋桂)、「ディランの歌だけね、知り合った頃、歌詞の意味も知らずハミングした。時代が変わるのを窓から見ていたよ、でもなんにも変わってないそんな気もするのさ」(南好孝) ああ、俺は壊れた・・・。

6月29日(

RIAAのデジタル音楽配信規格SDMI 、MP3 に対抗し、不正複製防止技術を織り込んでいるのだと。ま、いいんだけど、音楽ビジネスのしたたかさに、音楽そのものはデジタル暗号の鎧を着せられてよろよろになった老武者のようだなと、苦笑する。遠く、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」の慧眼を想ったりした。

 臓器移植がおこるたびに社会面のトップになること。その他いろいろ。世紀末になって様々の古典的な価値観が転倒しつつある。かつまた、旧来の悪行を人類は克服していない。ブリコジーヌのことがいささか気になる。

 目下のところ、人文諸般は興味がない。ヨーロッパ科学史のことが強く気になっている。エーコさんも偉いんだけど、ネ、「フーコーの振り子」も今度の新作もいいんだけど、ネ、パスカルやライプニッツやデカルトを、哲学の側からしかみようとしない、ひとたちにいい加減飽きてきた。数式のないデカルトの入門書や、パスカルの定理の詳細な記述のない、パスカルの入門書に、ほんとに、意味があるんだろうか?コンピュータ言語の祖ライプニッツにはいつ光があたるのか?

6月30日(雨後晴れ

 上単身赴任中の、中学以来の友人 Y君より、カンパ届く。奥様より。どうもありがとう。友人たちは社会の一線で活躍している。

 森まゆみ「明治東京畸人伝」(新潮文庫、540円)。他に辻邦生の西行評伝江藤淳の荷風論など、今月の新潮文庫は好著多し。CD-ROMのこともあり、宣伝しておく。

 妻が「子供は変えられる8日間あれば十分だ」の著者と池袋の事務所で会ってきたよし。夜、妻と会話がはずむ。

 やっと6月も終わった。ヤレヤレである。(了)

 

 

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