Last updated;1998/10/31

9月4日(金)

 秋になって仕事も一段落かと思いきや、相変わらず雑多な仕事が舞いこんでくる。今朝は早起きしてみたが、早朝の新聞に明るい話題なし。倒産やら青酸カリやら汚職やら世相は真っ暗闇だ。ところで、教育の仕事にも家内制手工業というか知的労働集約というか、骨の折れる仕事が多い。原価の数倍・数十倍の付加価値を生む教育ソフトがあれば、このジレンマから脱却できる。そのためのヒントは、学ぶひとの視点にたった真摯な企画と旧来のソフトと新しいソフトの合体だろうと思う。というわけで、Adobe Acrobatを大枚はたいて購入し、目下研究の最中である。こっからさきはヒ・ミ・ツ。

 読書はもっかお休み状態。寝る前に折口信夫全集(中公文庫)第十五巻のなかから「石に出て入るもの」を読んでいるが、2頁位読むとコテッと眠ってしまう。諸星大二郎の昭和49年頃のマンガ「暗黒神話」を思いだす。それから伝説の雑誌「遊」の編集者高橋秀元のエッセーを思い出す。それから大野晋編纂の「岩波古語辞典」の挑発を思い出す。「咲き」は「裂き」「先」「崎」(→「岬」)、凝縮していたものが勢いよく膨張する状態、そこからそのような先鋭の突端に導かれるという。「栄え」「さきわい」と同根で、狩猟の幸福である「幸(サチ)」と対比される農耕の幸福観「サキ」につながってゆく。このくだり、大野晋教授の「日本語をさかのぼる」(岩波新書)に因る。岩波新書には一見平凡な入門書にみえて実は大変刺激的な本がある。白川静「漢字」もそうだ。こんな本に巡り会うと一生ディレッタントでもいいかと思ってしまう(多様な諸科学を巡回できるから)。ついでに書く。母と、mereとmerの混交へのオマージュが三好達治の有名な散文詩にある。それをいうなら、「」と「産ミ」ではないかと以前から思っている。学問的に意味があるのかはわからないが、なんとなくすてきで気に入っている。そういえば、産の旧字は、上部が「立」でなく「文」だ。これは「彦」「顔」といった漢字の旧字に共通する。白川静先生曰く、「文」は古代体表に書かれた呪術的な記号であって、紙や石に書かれたものではなかったと。「文身」になごりを残すこの「文」の原義が、産(出産)、彦(成年式)などの通過儀礼に重要な意味を持っていたと。またまた、ついでに書く。クルチウス大先生の大著「ヨーロッパ文学とラテン中世」だったかマラルメの散文詩だったか、もうろうとして判然としないが、ヨーロッパの知的伝統には、「漆黒の闇に神が光で書いた文字が星座であれば、人間が白い紙に黒いインクで書いた文字が詩である」という照応が考えられると。これにはイスラム神秘主義の影響もあるのでは。今はMacもWindowsもWYSWYGの合い言葉通り、画面で白い紙に書かれた黒い文字を表示できるようになったが、以前のMS-DOSのワープロは、黒い画面に白い文字を表示していたよね。等幅のカーソルに導かれて次々と生み出される白い光の文字を、暗い部屋で見つめているとなんだかロマンチックだった。なぜか時々あの時代を懐かしく思い出すのである。(以上のくだり、うろ覚えで書いているので、正確な記述ではありません。学問的考察のためには、紹介した各種の本をご参照ください。)

9月5日(土)

 最近なぜかパソコンづいている。Adobe PageMill3.0 (Adobe PhotoShop LE版がバンドルされていてお得、なにしろ50.000円で正規版にバージョンアップできる)やAdobe Acrobatを購入してWeb Contentsの制作技法を練習している。野望はDirectorのマスターにある。Lingoを勉強したいが、なにせ高価なソフトである。今後の課題だ。

 日経PC21 10月号購読。そのなかのコラムに、自動翻訳ソフトBabylon(for Windows)が紹介されていた。面白そうなので5MB以上のファイルにもかかわらず、早速http://www.babylon.co.il/からダウンロード。英単語にカーソルをあわせて右クリックすると単語の意味を付箋紙のようなミニウィンドウで表示してくれる。面白いのは成句(イディオム)にも対応していることで、kick the bucket とか It's up to you. などの文章では適切にイディオムを表示する。評価版と言うことで使用期間が限定されているが事実上継続して使えるらしい。HTMLにはもちろん対応していてブラウザ上でも使える。ただし、Directorで作ったプロジェクタやAcrobatで作ったPDFファイル上では感知しなかった。これは残念だ。

 堀田善衛氏、逝去。享年80歳。大作「ゴヤ」から20年もたっていたのか。節度を曲げない立派な作家だった。ご冥福を祈ります。

 家で仕事。会社よりこっちのほうがはかどるよ。FAXでもつけたら立派なSOHOオフィスだ。

9月6日(日)

 今日は新宿で一日PhotoShopとIllustratorの研修。一日じゅう悪戦苦闘したが、どれだけ身についたやら。仕事の道具として毎日使ってゆかないとマスターできないなり。研修会場近くの博文堂書店にて、子供向けの将棋入門(中原誠著)を購入。大きな本屋にゆくと目がくらむ。けれど日頃の貧乏根性がぬけきらず、いつものように文庫や新刊書の類だけを眺めるだけだ。いちおう岩波新書の新刊はチェックしておいた。この秋は文春も新書を刊行するという。初版のラインアップはなかなかのもの。今は岩波新書の一人勝ち、気勢を吐いているらしい。

 行きも帰りも、自宅から西武新宿線井荻駅まで自転車、そこから西武新宿駅まで電車というルートをとった。快適なり。車中、未読のままだった白洲正子「遊鬼〜我が師 我が友〜」(新潮文庫)を読む。謎のひと青山二郎や小林秀雄の回想録なり。小林秀雄の文体ならびに思考形式に骨董は深い影響を与えたと。私は骨董にはまだまだ遠い存在だ。ピンとはこない。

 突然書く。教養的読書のすすめといったコンテキストで私はしばしば再読の効用といったお説に接してきた。自分の若い頃は、むさぼり喰うように本を読んでいたので、一度読んだ本を再度読み返すといったことはほとんどなかった。再読の悲しみというものがあるかもしれない。若い頃こころをときめかせてあるいはこころを洗われるように読んだ本が中年になって読み返してみると変哲もない小説に感じられたり・・・・。こんな言い方はありきたりだ。そこでは自分というもの読書を通じた思索というものの不断の線形的な進歩なり成長ということが暗黙のうちに前提とされているようだ。(この件突然中断)

9月8日(火) 

 間違って配達されたX新聞を読んで眼が汚れた。世の中にはこんなくだらないコラムを書いていけしゃーしゃーと生きている人間がいる、そしてそんなコラムを載せて平気な低俗新聞がある。それはXだ。文句あるか。まじめにこつこつと生きている人間を小馬鹿にし、自分は暖かいところでのうのうとしている輩。それは・・・・。忘れた。思い出したくもない。というわけで、妙に腹の立つコラムがあった。いくらうまくても書き手の下品さを表す文章はあるのである。と、自分のことを棚上げしていう。

 人間、無駄な情報や無駄な文は読まない方がいいね。太古の昔、許由は、世過ぎの話を持ってきた人間をむぞうさに断り、汚れた話を聞いたとて耳を洗った。その川の水を飲んだ牛を穢れたとして遠ざけたという。この話出典はどこか?十八史略や史記がオリジナルではないだろう。古代中国には鼓腹撃壌とかトホアクハツ(Input Methodででてこない)とか好きなことばが多いよね。陰惨な政治の歴史があるからこそこんなのどかな、他の文明にない逸話があるのだろうけどネ。

 吉祥寺、ぼくの勤める本社ビルのそばに埴谷雄高は住んでいた。おそらく戦後50年間、その界隈に住んでいたと思う。そのことは、各種の評伝や対談から窺える。数年前、NHKのテレビで門前に佇む氏の画像を見たことがある。亡くなって何年たったのか。1年半くらいかな。この間通りかかったときには、未だ埴谷という紙の表札が風に揺られていたけど(ファンが訪ねてくるからか)、先日自転車で前を通ったら、モダンなアパートに変わっていたことだ。遺族にとっては無理もないことで、夢魔の世界と共棲もままならないだろうと推察できる。それは道理だと頷けるけど、なんだか寂しい気にもなったのだった。

 吉祥寺に住んでいた文人の死としては、最近では高橋健二氏が記憶に新しい。青春の時代に胸をときめかせたヘッセの訳者とわずかばかりの人生の交点を持てたことを、ときどきほのぼのと懐かしく思うのである。この間、会社の近くの喫茶店「天子峰」でお客の会話を耳に挟んだ、近くの小山病院で個室を貸し切って入院していた文人T氏とはひょっとして氏のことかと思うのだが・・・。

9月10日(木)

 心は疲れ、わたしは寂しい。「閣下、私は寂しい・・・」と文を結んだ永井荷風の短編「狐」を読んだ昭和48年のことを思い出す。それを読んだのは、桜島での夏休みの日々。その心情、その場所(ロケーション)、その季節を今も生々しく思い出せることに、永井荷風を通じての読書一般の強靱な幸福の一端を思うのである。

 Professional DTP(工学社、I/O別冊)。Adobe AcrobatのDTP業務での活用事例の特集に惹かれ購入。

 立原道造の最後をみとったひと、Mさん。(文学史の事実であってもあえてMさんと書く)昭和50年頃、都内の養老院にいまもなお生きていると、それは出所はどこだったか、小川氏の本だったろうか、読んだ記憶がある。それから20年以上を経て、記憶は定かでないが、なんというか、文学史の事実が妙にありありと、思われたのを時々思い出す。今思えば、昭和50年当時であれば、Mさんはなお、60そこそこのはずだ。老いて孤愁を漂わす歳でもない。だからその印象というか当時の実感を今思い出して、自分が若かったからだというのも、なんだかふに落ちすぎていやなのだが。Mさんのその後の生はどんなだったのだろう?文学史家はMさんにアタックしなかったのだろうか?そうも思えないけど。・・・・・・・・・・・・・。ぼくは今もなお、立原道造に愛着を抱き、ほのかに思い続けている人間である。そこで、自分の貧しい記憶をたどり、昭和50年のMさんをを接点として詩人とかすかな接点を持とうとする。蒲田に残された詩人の設計になるデパート。バブルのあとも今もあるのだろうか?Mさんは今も生きているのか?謎だらけで、世にあふれるどんな本もそれに答えてくれない。いや、そう思いこんでいるのは自分だけで、研究者には開示されているのだろうか?老いてなお矍鑠、いまも新刊を上梓する杉浦民平氏を、彼の立原へのオマージュである岩波文庫版詩集巻末の半世紀を経てなお愛情に満ちた解説を、ぼくはこの10年の自分の生のなかで、まるで自分のことのようにうれしく喜ばしく読む者である。

9月12日(土)

 日経新聞の記事から。文化面「交友抄」。飯島耕一、東野芳明、栗田勇との青春の日々の回想を書いたのは金 太中氏(キム・テジュン=カナモト会長)。同じ文化面特集。「「島」研究活発に」、島嶼のダイナミズムが脚光を浴びている由。詳しくは覚えていないが、旅先で読んだ沖縄の新聞の第一面記事、沖縄県知事と台湾・香港(だったと思う)の3首長、21世紀の島嶼文化・経済の興隆のため、新しい視座のネットワークを構築するための会議開催すると。つまり東京からみる沖縄とはまったく違うダイナミックな交流がおこなわれているのだ。この交流は、沖縄史を考察するに、中世の時代から常にアジアに開かれていて、さまざまな文化・経済の交流・交易がおこなわれていたことと無縁ではない。むしろ沖縄史の本質といえるだろう。ミクロネシア・ミラネシア・ポリネシアという壮大な太平洋の島嶼文化圏に加えてヤポネシアという概念を提唱し、琉球列島(南西諸島)→日本列島→千島列島、そして小笠原諸島という、島嶼の連鎖として「日本」を捉えようとする島尾敏雄のヤポネシア仮説が、今新しい光を浴びようとしている。この日本の現況の閉塞をゆるやかにうち破り、自在に開かれた日本のすがたに思いをいたすなら、このような視座は今後ますます大切になってくるだろう。

「は交流を阻む壁ともなりえるが、交流を促す媒介でもある」(中野和敬 鹿児島大学教授)〜記事より引用〜

 No man is an Island, entire of itself ; every man is a piece of the Continent, a part of the main. (J.Donne,Devotions 12)

 同じく日経新聞の記事から。パソコン(インターネット)を搭載した冷蔵庫の話題。これって昔、Mac Power(アスキー)の互換機企画委員会のとんでもない企画のひとつだったではないか。Mac Powerよ、もっと自慢したらどうだ。と、重い腰をあげて、積んであるMac Powerのバックナンバーを探し始めたら、ラッキーなことに第1冊目で該当の記事がみつかった。(97年8月号、写真) 妻とふたりでしばし話題に。なんだかうれしいね。

 同じく日経のコラムでi Macの関連ホームページがあるというので、Yahoo!で調べると、いつの間にやら、立派なページがいくつもできているではないか。雨後のたけのこだってこんなに速くないよ。「最愛のi Macを創る会」他。

9月15日(火)

 敬老の日。新聞の一面にて、65歳以上2000万人を突破し、総人口の16%を超えると伝える。くちばしの黄色い若者全盛の文化のあとに、花も実もある老人たちがはつらつと生きる老人文化の時代がやってくるかもしれない。先日NHKのドキュメンタリーで観た沖縄の古い祭り。くわしく覚えていないけど、沖縄本島の周辺の島だったように思う。皺だらけの老人が破顔一笑、「この村の一番の別嬪がサー」。カメラに登場したのは、おなじく人生の年輪を刻み込んだ気品高き老女であった。まるで謡曲の一場面のようなこの別世界。過疎とか若者のいない島とか、もう関係ないよ、ここまでくると。そして、なんというか、あるユートピアを想ったのだった。性愛も、闘争も、そして成長もない島。死となだらかに和解しているひとびと。

 鶴見俊輔編「老いの生きかた」(ちくま文庫)、清水義範「日本ジジババ列伝」(中公文庫)

 生活雑記のようなもの。子供が将棋の面白さを覚えたようだ。さかんに勝負を挑んでくる。まだまださまになってないが・・・。厳密なルールによって運営されるゲームの世界。純粋戦略を学ばせるには効用あるか。先日来、Quake2 というPCゲームのデモで親子で遊んでいる。残酷じゃないか、教育に悪いという声があがりそう。ま、親子でやってりゃ世話ないか。てなわけで、今日は近所の5年生3人がこのゲームをのぞきにきた。ゲームが始まるや歓声や悲鳴があがり、とうちゃんの書斎はゲーセンと化したのであった。13日には、近くの長男の友だちと石神井公園ちびっこ釣り場へ釣りに出かけてるし、なぜか近所の子供と遊ぶ機会の多い、この頃であるよ。塾でも開くか。

 立原道造の詩を入力していると、なぜか写経のような気分になる。入力に骨折りながらもことばのつかい方の微妙なあやが納得できる。入力といえば、新字旧かななので、「ゐ」をwiとか、「ゑ」をweとか辞書登録しておいて適宜差し替えてゆくのが面倒だ、「あつた」も「あった」と入力しておいて、「つ」を上書きする。国文学などで、E Text化といっても容易じゃないということがよくわかる。まして旧字やJISにない漢字の扱いはどうしてるんだろうね、と素人はいらぬ心配をするのである。とまれ、ひとつひとつの詩句を入力していると、26年前の夏の心情が妙に生々しく想い出されるのである。

 台風の影響で午後大雨と信じこみ、遠出はあきらめた。このホームページの更新やらPCゲームやら最近インドアで休日を過ごすことが多く、気が散じることがない。徒歩3分の「くじゃく書房」に2度でかけ、石神井公園の古本屋3軒を巡り、近所でちまちまと過ごしたことである。道すがら教え子OBのAさんに挨拶される。明るい子だねえ。古本屋3軒を巡るも、成果全くなし。かえって鬱とした気分になる。どうもこのところ本を買う気がしないのは、PDFのペーパーレスマニュアルに消化不良感を抱いていることも一因ありや。チェーホフの全集、原民喜の全集、中原中也の全詩限定版、透谷の全集・・・・。胸はときめかない。ただひとつ、ピエール・ガスカールの「フンボルト評伝」「ネルヴァルとその時代」別々の古本屋に1冊ずつあって眼に留まった。この著者どんなひとだったっけな、なぜか気になる。フンボルトについては、ゲーテの流れを汲む文人兼政治家兼博物学者という怪物のような人物で、以前から興味があるのだが、なぜか中公新書「フンボルト」さえ買うきっかけのない、情けない自分である。とうとう今日もまた、店頭で手に取ったきりになってしまった。結局、1冊も買わずに帰宅。鬱々としてPoeのSelected Writings(Penguin)を手に取り、また鬱々としてAltaVistaにアクセスする。おう、一発でどこかの大学の先生の研究室のE Textにたどりついたぜ。瞬訳ソフトBabylonなかなか有益なり。紙のテキストをベースにして時折E Textで訳語を参照するスタイルもなかなか快適とみた。ちなみに一発で見つけたテキストは"The Gold-Bug"。そのウェブはどうも暗号学の研究室のようであり、黄金虫は暗号学の楽しめる古典ということで原文がElectric Textになって提供されてるらしい。もっとも、ついでのようでいても、きちんとE Textの規約(タグのつけかたなど)に沿って提供されているところがアメリカらしくて好感がもてた。もっとも英語の場合、先に書いた原典の電子化の困難などほとんどないのだから、当たり前といえば当たり前か。

 AltaVistaを使った余波で、アメリカのZifDavisのMacWeekに立ち寄り。i Macのコーナーから、Blizzard社のホームページに飛んで、StarCraft(Win版)のデモをダウンロードしようとしたが、28MBという化け物ファイルにたじろぎ、適切ともいうべきアメリカのかたの警告に素直に従って、即本屋へGo!!。くじゃく書房でDOS/V雑誌を立ち読みしたら、案の定DOS/V POWER REPORT(インプレス)10月号の豪華2枚組CDに入ってたので、即購入。息子と3人で遊んでみたがけっこう難しいよ。

 てな調子で鬱々とまたのほほんと過ぎた一日であった。今、窓の外は大雨。泡盛を炭酸水で割ってもうろうと酔いながらえんえんと駄文を打ち込んでしまった。ここまでお読みいただいた方にお詫びします。

9月20日(日)

 朝のうち快晴、爽快な秋晴れ。今やや雲多い。どこか遠くに行きたい気分である・・・。

 バスを乗り継いで荒川再訪(前回のミニ旅行はこちら)にチャレンジするつもりだったが、息子たちが乗り気でなく中止。秋晴れの強い透明な光のもと未知の魚を求めての釣りも面白いと思ったのだが。バス乗り継ぎといえば、東京&千葉バス案内が便利。例えば、手元のスーパーマップル広域首都圏道路地図(昭文社)で、目標の荒川付近に「下新倉」というバス停が見つかるとする。このサービスをつかうとこのバス停が、どのバス会社のどの路線の停留所なのか、始発はどこで運行間隔は何分おきか、なんてことが即座に検索できてしまう。あまりに便利なので、かってに紹介させていただく。というわけで、練馬高野台駅から東上線の成増駅まで西武バスで、そこから北口の国際興業のバスにのっていけばよいとわかったので、いつかまたトライしよう。

 長男がこの父子の旅行に乗り気でなかったのは、友だちを誘うのにとうちゃんが賛成しなかったから。だって釣れるかわからないような気ままな釣りにおいそれと友だちを誘えるかよ。しかも自家用車なら30分ほどの場所までバスを乗り継いでいくなんてこと、恥ずかしいじゃないか。車の運転もできなく、自家用車もないとうちゃんの人生の後悔を誘うなよ。

 というわけで、今日もまた自宅付近でちまちまと過ごしたことであった。富士見台駅までサイクリング。駅前は高架工事で様変わりしていた。桜台といい富士見台といい、むかしののどかな風景が変わってゆくのがすこし寂しい。駅前の山本書店で、高橋徹「古本屋 月の輪書林」(晶文社)購入。古書価1330円はちと高いような気もしたが、秋山清や岡本潤の名前を文中にみつけて購入を決断。文中に石神井書林(紹介はこちら)の店主との交遊しばしば書かれている。いがいと狭い世界なのね。

 帰り道途中の床屋Hで散髪。ここは店主が寡黙なのがいい。オレは不景気や政治の無能について床屋の旦那と一緒にぼやきたくないの。髪を切ってもらいながら、うつみみどり「カレンダー」を聴く。

♪時はすぎ、月日は巡り、あなたは私のカレンダー

 なぜか妙に心に残り、というわけでもないのか案の定そうなのか、帰り道高野台駅前のCDショップで尾崎豊ベスト「愛すべきものすべてに」(SONY Records)購入。あゝ、"Oh my little girl" や "Forget-me-not" 絶唱なり。しばし涙腺がゆるむ。この世を去ってもう6年がたつのか。(今、手元の過去の手帖で調べてわかった。)今年の1月15日、首都圏が大雪にみまわれた夜、吉祥寺から東中野を経て迂回してたどり着いた練馬駅で吹雪に吹かれながら聴いた尾崎豊のNHKTVドキュメンタリー。この夜の尾崎の歌をきっかけにして、ボクは中年の長いゆっくりとした鬱を脱することができたのだった、・・・ような気がする。

 このCD、CDエクストラといって、パソコン用のボーナストラックがついている。ハイブリッドなのでMacでもWindowsでもOKだ。エクスプローラでなかみをみると、Directorのプロジェクタが見える。案の定Directorか。ボーナスのほうは、ディスコグラフィ、ビデオグラフィ、映像サンプル(QuickTime)など。するとなんだね、この位のCDはすぐできちゃうわけだ。英会話の教材にしても、音声トラックは普通のCDプレーヤで聴けるようにして、パソコンを使える環境下ではさらに高度なサービスを提供できるように仕立てればけっこう便利かも。という重要な示唆を得る。CD-R Writerほしくなってきたよ。

 てな調子でまた今日も、鬱々と、のほほんと、過ごしたことであった。散財痛し。

9月22日(火)

 唐突であるが、静岡の古本屋あべの古書店を称揚したい。このページで度々触れている山口瞳のいささか若い晩年の日記群、先日近所の教育センター付属図書館で、憂愁日記・極楽蜻蛉の2冊を拝見し、どうしてもほしくなったのであった。おう、gooでなら、気ままにどこかの古本屋の目録をゲットするかもしれないなと思い、「う〜む、あとでアクセスしよう」と思ったのであるが、アニハカランヤ、なかなかgooにつながらない。やっとgooにつながってみると、早速あべの古書店が浮上したのである。ふ〜む、山口瞳そうとう網羅しているよ。い〜い本屋だね。いやあ、インターネット様様だよ、もしもインターネットなかりせば、静岡の一古本屋と自分は一生めぐり会うこともなかったであろう。そう思うといても立ってもいられず、早速メールにて注文したのである。この本屋、ホームページに目録を公開しているにも関わらず、メールご遠慮くださいだって、はがきをお奨めしますとのこと、電話は論外だって(これには大賛成)、でも葉書を出すような悠長なことはしてられないので、早速メールにて注文書発送。店主曰く、当方多忙にてメールを毎日チェックするとは限らず、よって四の読書子は葉書にて連絡を取られたし云々、もって正論というべし。ところがさあ、翌朝には早速返事が届いていたのにまたまた感激。うれしいなあ、生きてるってことは。はやくつかないかな、ついたらじっくり読んでみたいよ。

 鬱々として仕事はかどらぬ。台風の余波、風強き夜に、吹き飛ばされそうになりがら、自転車で帰宅した。小生、自転車と少々の本とパソコンと、それ以外になき寄る辺なき中年なり、なんてね。

9月23日(水)

 もう静岡から書籍小包が届いた。速いね。今日は祝日だから明日になるものと思ってた。届いた2冊は各々きちんとパラフィン紙でくるんであって、なかなかの扱いだ。いい仕事をしているね!、あべの古書店さんは。私の平素の仕事も願わくばそのようでありますように・・・。

 日記の効用というものがある。今に至ってだれが覚えていよう、開高健の本葬の日が平成2年1月12日で、その日が小雨だった!なんて。このささやかな徳は繰り返し称揚されねばならない。だがしかし、公開する日記というものの自己矛盾を、小生すら悩み思うこのごろである。山口瞳のような清濁併せのむ器量ある作家ですら、その種の葛藤と計算は内部で渦巻いているのかもしれない。

 明日は小生42歳の誕生日なり。今夜は鹿児島の実母から電話が来た。いくつになっても子供は産まれたばかりで乳をほしがる赤ん坊であり、いつでも母はその子を産んだ日の実家の一部屋に立ち返るのだろう。このことは、しかし、今の自分には自分の子供を通じて実感できるのである。存在の大いなる連鎖。ひとは親となって、はじめて、生を重層的に楽しむことができる。今、自分は、抱かれる子供であり、その子をおそるおそる抱く父であり、その息子の傍らでほほえむ老母である。やがてその子の成人した暁に、やがてはその子は妻を娶りその妻の産む孫に自分亡き後の時間を委ねる、老残の自分があった・・・・。なんて、リルケの詩かドイツの近代の短編のようだ。輻輳した、めくるめく生の眩暈よ。

 全国実施の模試の当日。CS(顧客満足)を実現するには、処女のごとき清らかな感受と武勇が必要なり。勇気を出して頑張ろう、なんて殊勝なことを書いておく。いくつかの重要なアイディアがあるが、ここでは書かない。

9月26日(土)

 またもや雨模様の休日。終日自宅付近で過ごした。ああ、遠くに、遠くにいきたい!

 MAXISのSIM safari に親子で興じること半日。中毒性があるよ、気をつけなくては。SIM Isle のごとき動植物育成の環境保護学習(?)ゲームと、SIM Town のごときSIM City の子供版(おもしろキャンプ村の設計・運営)が両方楽しめて、お買い得感があるか?たまごっち、ぽけもん、でじもんなどの育てものが好きな子供には、究極の育てゲームと映るのか、近所の子供にも人気が高い。大人も結構ハマってしまう。ま、結局はアメリカ流合理主義が見え隠れするけどネ。

 会社の友人Fくん、自宅で4台のコンピュータをTCP/IPでつないでネットワーク構築してる。自分もあと一台追加して、自宅でネットワークゲームに興じてみたし。この次は、i Mac か、K6 266MHz か? なお、現在 68K Mac 2台、IBM 1台なり。

9月28日(月)

 というわけで、先ほどまで、遠くにいったいきさつを書いていたら、電話に出てる間にWindowsがフリーズしてしまった。S.T.Coleridgeの幻の詩と同じように、一度失われた文は二度と帰らないなり。同僚のE氏もWindowsがクラッシュして困っているなり。ま、Macもよくフリーズするけど、全的な破滅には至らないような気がする(個人的な経験の範囲だが・・・)。このところゲームのデモなどしきりにインストールしているので、小生のWindowsもいささか不安定なり。インストールする度に、システムによけいなゴミをため込んでゆくWindows。考えてみればそれも人間らしいという気もするが。にしても、アンインストールなんていう機能がMacにないことで、Macって意外と不親切なのね・・・なんて考える初心者もいるかもしれず、小生のこころは複雑なり。Macはソフトが少なくて、なんて俗説にあってそれも一面の真実であるが、Macの場合、アメリカのサイトでみつけた教育&科学関係のFreewareをインストールしたって全然平気である。万一トラブルがあってもせいぜい機能拡張かコンパネをはずせば元に復帰できるもんね。なにが言いたいかというと、Windowsのも意外と小さく、Macのは意外と広大であることをいいたいのだ。

 ・・・・・・・・。

 遠くにいったいきさつを書いていたのだった。神田の古書店の十五年ぶりの訪問記。高橋英夫「花から花へ」(新潮社)の立ち読み記。1400円と良心的な値段だったけど、懐寂しくて購入に踏み切れず。もっともほんとうのところ、今の自分が買い求めたところで、たぶん精読はしないだろうという悲しい分別が働いたからだ。神田や本郷の敷居が高くて、自分には早稲田の方が親しいと。まあ、そんなようなことを書いていたのである。まあ、そんなようなことを書いていたのであるが、結局なんの専門的な知識を身につけることなく中年に至った自分を嘲笑して書いたのである。20代前半の自分、神田の夕暮れの街を彷徨う若い自分を、雑踏の彼方に見つけて、自分は何を忠告するのだろう?そんなプロットのJ.L.Borgesの短編「他者」(「砂の本」所収、集英社,1980)のことを、帰りの電車の中でぼんやりと考えていた。

 相変わらず、日経新聞面白し。日曜の文化面、司修「自殺者の日記」。先日自分は、戦後の日本にあってPoete mauditeというものありせばそれは戦争責任で追放された詩人以外にありえぬ、なんて書いたが(このくだりたいへん誤解を招く危険な表現だと思うが委細は語らない。戦争賛美の詩を書いた老大家が戦後ちゃっかりと復活したのに対し、罪を一身に負って詩壇を去ったごくわずかの詩人のことをいうのなり)、こんな言辞は撤回せねばならない。戦後の時代にあってすら、差別と貧困と病で、夭逝を余儀なくされた歌人はあまたあるのだということの事実の片鱗を司氏の文は教えてくれた。また本日の朝刊、埼玉県在住の盲目の女性のネットワーク奮闘記。もっと詳しく知りたいなと思ってgooで調べたら、案の定すぐさまホームページが見つかったことだ。

 神田にて、稲垣足穂の初版本、軒並み高価なのに満足。「タルホ=コスモロジー」「東京遁走曲」「パテエの赤い雄鶏を求めて」「鉛の銃弾」など、すべて六千円以上の値がついている。商売に疎い自分であるが、たまにはこういうこともある。もっとも何の役にも立たないが。なんて、下世話な話で駄文を終わる。

9月29日(火)

 歌人・医師、中野嘉一氏、逝去。享年91歳。手元の「稲垣足穂の世界」(宝文館出版)の巻末あとがきを見たら、日付は昭和59年となっている。お歳をめされてからも矍鑠として新刊を上梓されてたんだな。中野区上高田にお住まいだった。太宰治の主治医を担当したこともあるとのこと。合掌。

10月3日(土) 

 このところ、仕事に疲れ、ぼろぼろになって自転車で家にたどり着き、寝る前のわずかの時間に山口瞳の日記を読み返していた。拾い読みだけどけっこう楽しい。季節の移ろい、国立のひとびととの交遊、去りゆくひとへの追慕の想い・・・。文体にリズムがあって意外に飽きない。

 昨晩、自転車のペダルをこぎながら、「人生最後の恋」ということを考えた。「夜道ですれ違った暗い横顔が魂の蝋燭に火をともす」こんなくだりが稲垣足穂「姦淫への同情」にあったような気がする。(原文はもちろんもっと香気あふれる表現のはずだが)あるいは、J.Nervalの Aurelia の、次のような一節か。

 おお、行かないでおくれ。世界があなたと一緒に死んでしまうから。

 ツタヤにて、吉行あぐり「梅桃(ゆすらうめ)が実るとき」、佐藤愛子「なんでこうなるの」(ともに文春文庫)。前の本はNHK連続ドラマ「あぐり」の原作。吉行エイスケの妻にして、吉行淳之介、和子、理恵の3人を育て上げ、淳之介なき今も美容院を営む。御歳91歳。あとがきを読み、吉行和子の解説を読み、と、このあたりでもう涙腺がゆるみ、あとは布団のなかでぽろぽろと泣いてしまった。疲れて酔っていたせいもあるだろうが、心地よい敗北にわずかに心満たされて、こてっと眠ってしまった。この本って、ひょっとすると貴重な本かも。丁寧に読もうっと。

 約23年前、「ビリティス」という映画が日本に来た。写真家デビッド・ハミルトンの監督作品。そのとき、角川文庫から美麗な帯付きで発売されたのが、原作P・ルイス「ビリティスの歌」(鈴木信太郎訳!)。上質のクリーム色の紙をつかい、インクの色は藍色のとても瀟洒な文庫本だった。吉祥寺の弘栄堂で買った日のことを今でもかすかに覚えている。そんなふうに、タイアップして発売される本にも、掃きだめに鶴のごとき天下の奇書もあるということを、ぼくはいいたかったのさ。そういえば一色次郎「青幻記」だって昭和49年の映画の上映にあわせて、角川文庫からでたものね。今はなかなか入手困難だ。不可能ではないが。

 (以上の件、読み返してみて、吉行あぐりさんの本が、なにかテレビドラマの人気にかこつけて書かれたエセーかのごとき印象を与えかねないと反省した。もちろん、あぐりさんの書かれた本が連続ドラマに採用された訳だから、タイアップでもなんでもないわけだ。私のように町の小さな本屋しか覗かない人間にすらこの本と巡り会う機会をドラマの人気が与えてくれたということをいいたいだけなのだ。そういえば、吉行エイスケの作品集とかがひところ本屋の店頭にあって不思議なリバイバルだなと思ってたのだけど、その頃放映されていたのだな、なんて今日納得したことである。)

 佐藤愛子の本を読んでも元気がでた。田辺聖子とか佐藤愛子とか大庭みな子とか、わが母とおなじ歳かやや上かの世代。女学生時代になんら楽しい想いもきれいな服を着ることもなく、暗い時代を生き抜いて、そして長い戦後を生き抜いてきた世代。沖縄でひめゆりの塔を訪ねたときも、母の世代のことが思われた。ちなみに佐藤愛子は大正12年生まれ、田辺聖子は昭和3年生まれ(母とおなじ年)、大庭みな子は昭和5年生まれ。

 Web上で、わが予備校の講師たちのサイトを遊泳。掲示板でけっこう盛り上がってる。受講生の書き込みに2回もぼくの企画した商品のことが書かれていて、妙にうれしい。ひとつは、自己採点式の簡易模試なのだけど、「はじめて偏差値50を超えてうれしい。先生のいうことを守って頑張ります」だって。可愛いねえ。この模試、簡易版だけどデータは正確で、巷の模試に負けず劣らず信頼性が高いんだよ。君の実力は確かについてるのだから、自信をもって頑張ってね、なんて思わずRESを入れようとしてぐっと思いとどまる。もうひとつは、英語講師のCD。「昨年は2枚もでたのに今年はでないの?」う〜ん、そうなんだよ。販売にもっと工夫をしてればな〜。講師と受講生の本音のやりとり。こういう交流もあるんだね。もっともまだ少数派だろうけど。

10月5日(月)

 なにが悲しくて、毎週毎週、日曜の度に、自宅周辺をうろつかなくてはいけないのだろう。遠くに行きたい!と永六輔のように嗟嘆して、昨日も夕闇を待ったのであった。大井埠頭浜公園のハゼ釣りにも、新木場の公園でのシーバス釣りにも、はたまた荒川へも訪れることなく、この夏と秋は過ぎようとしている。いっそ、自転車で気ままなる古本屋巡りにでもでかけようかとも思ったのであるが、果たせずに終わった。江古田駅の日大芸術学部そばの青柳書店よ、いまだ健在なるか?あそこの店主は交通事故でもう十年来店を休んでいるようにおもうけど・・・・。昭和55年頃、青柳書店がまだ駅前にあったころ、銭湯への坂を下りてゆくその途中に、青柳書店と久保書店が、静かにならんでいたっけ。江古田、わが青春のカルチェ・ラタンよ。銭湯帰りの、薄着でいい香りのしていた女子大生たちよ。いまはいずこにありていかなる生活を送るや?桜台駅前の、ほんとうに駅を降りると目と鼻の先にあった浅川書店の、その店主のおじいちゃんよ。いまだご健在であられるか?(と、「古本屋月の輪書林」の著者 高橋徹氏も書いていることである)過ぎ去った年月、後悔の多かった青春。別れ別れのじいちゃんたちよ、友人よ。二度とみぬ恋人よ。青柳書店で、ぼくはキリコ「エフドメロス」(思潮社)を買いました。浅川書店で昭和54年に「稲垣足穂大全」第1巻・第3巻・第4巻を買いました。銭湯そばのかつての久保書店でぼくはたくさんのしょうもない本を買いました。たったそれだけの、それだけのことです・・・・・・。

 楡周平「クーデター」一晩で読了。面白し。こちらは練馬区立教育センター付属図書館で借りた本。まあ、たまにはいいじゃないか。

10月9日(金)

 佐藤愛子「なんでこうなるの−我が老後−」(文春文庫)が面白い。精読ということばはふさわしくないだろうが、全文きちんと読んでるので、まあ一種の精読といってもよいだろう。はじめは群ようこのようなスラップスティックにちょっと幻滅したりしたが、時折しみじみとした気分になる。なにより文体がいい。田辺聖子、東林さだお、佐藤愛子と、簡潔にして奥に教養の素地のある、無駄のない文体が好きだ。(群ようこだって好きなのです。古希をこえた作家のエッセーにしてはどたばた風なのに面食らっただけ。念のため) 愛犬の死に接して、「とり返しのつかない時になって正気に戻ることがいかに切ないものかを私のような人間はよく知っているのだ。」でも、すぐにそのあとで、佐藤愛子は読者をはぐらかす。そのはぐらかす気持ちが私にもわかる。

 かつての松岡正剛のNervalに関する文の中、「世界の実相にやっと気が付いた時がすでに手遅れかもしれないという哀しみ」(「遊」9号、工作舎、1976年)ということばを想い出した。なぜ想い出したかというと、今朝みた夢の話になって・・・。初恋のひととの再会。郷里にむかう船のなかで。自分は中年になってるのに、変わらず若いあのひとだった。自分だけにそそがれた柔和な笑顔。そのあとちょっとした手違いで、母と妻子を連れたボクは彼女と違うバスに乗り、久闊をゆるやかに序すこともかなわぬまま、目は覚めたことだ。(以下略)

 10月8日付日経新聞朝刊文化面。中村敏子女史の「天まで純粋 芸術と夫婦愛」で謳われた小堀四郎画伯と小堀杏奴さんの生涯にこころ洗われた。生涯絵をもって身をひさぐことをしなかった孤高の画家を支えた夫人が小堀杏奴であったことに、ながし読みしたあとでやっと気づき驚く。不明にして小堀杏奴の夫がそのような画家であったことを知らなかったのだ。

 さて、「縁」というものは確かにあるもので、昨日昼食のあとでぶらっと覗いた吉祥寺の古本屋で小堀杏奴「晩年の父」(岩波文庫)が眼に留まったので、内村鑑三「代表的日本人」(岩波文庫)と一緒に(安いから1冊じゃ恥ずかしいので)購入しておいた。こういう機会を逃すと、本とめぐり会う運が逃げてしまうものね。と、密かに信じている自分だ。岩波文庫なんてどこにもあるじゃないか、なにがツキだ、なにが運だと笑うなかれ。Web上で駄文を連ねている私の「読書日記」のなまえはかのクルチウス大先生の「読書日記」(生松敬三訳、みすず書房)にちなんでいる。(勝手にちなんだ手前、先日ちょっとだけ読み返したら、いやもうほんと、その教養と見識たるや、さすがにロマニストの大家である。)そのクルチウスの文のなかに、長いこと膨大な文献を渉猟してついに入手できないままのゲーテ(?)に関する情報を、ひょっと気がむいて買った公園の売店の焼きイモかなにかをくるんだ新聞記事のなかにみつけて驚喜するくだりがあった。(今回、気になって調べたのだけど、出典がみつからない)こういうことは確かにある、と私も確信している。

 今はどうなのか分からないがひところはやったユングに、「共時性」にかんする著作がある(物理学者パウリとの共著)。またまたNervalで恐縮だが、Aureliaのなか、パリの陋巷を彷徨う主人公が、見知らぬ家の扉に恋人の誕生日(?)とおなじ数字をみつけて、恋人の死を確信するくだりがある。この種の符帳は何を意味するのか?都会の雑踏を歩く人間が1秒間に受け取る情報は2の何乗ビットにも及ぶそうだ。昔情報理論の本で読んだ。人間は生きているその瞬間瞬間に、膨大な情報を取捨選択して生きている。よって、我々が偶然めぐり会う情報は、我々の識域下で、我々の意識が自ら積極的に選んでいるのだ。しかし、この選択、この巡り会いは、外界と我々を意図して結ぶある種の意識の交感によるのであって、その交流が我々を、求める情報へと導いてくれるのだ。「今このときも、鳥獣草木いっさいの森羅万象が、あなたの済度のためにはたらいている」(大乗起信論)

 で結局何がいいたいのかというと、幸いにも偶然めぐり会った本は、その時にぜひともかっておかなくちゃいけないと、ボクは信じているのだということなのです。


 と書いたあとで絶好の例を想い出した。もう8年ほど前になるが、池袋駅西口芳林堂書店の7F高野書店で、矢部登「結城信一抄」(紫陽社、1986年)と「遊」第5号(工作舎)をみつけて、高価だったが購入した。どちらも古書店の店頭でよく見る本ではない。特に「遊」第5号は5000円位したろうか、この第5号で第1期の10冊が揃うことになるので勇気を奮って買ったのである。さて家に帰って驚いた。この第5号の「遊便局」という読者のお便りコーナーに、なんと矢部登氏が投稿しているではないか!この話、ほんとうに事実である。100年に一度上に浮上する亀が、の上を漂っている香木にごちんと頭をぶつけること、そのように、人間と生まれて仏の教えに巡り合えることの希有な幸福を諭す喩え、なんていったけ。

 ところで結城信一は、わたしが長年ひそかに想っている作家です。昭和52年だったか、中目黒駅構内の山下書店で、新刊の「文化祭」(青娥書房)を買うときに、店員が落っことしてしまいました。すこし汚れて折れ目がついたので、店員が詫びてすこし値引きしてくれたけど、悲しかっのです。このあいだ、吉祥寺の外口書店で、「石榴抄」をみつけたけど、えらく高価だったよ。結城信一を教えてくれたのは百目鬼恭三郎です(朝日新聞に書いていたコラムで)。百目鬼恭三郎氏は朝日新聞の論説委員でしたが、6年ほど前なくなりました。葬儀は私の近所の長命寺でおこなわれました。そういえば、とまたまた想い出す。この本(「結城信一抄」)のあとがきで矢部登氏が詩人荒川洋治に謝意を表している。荒川洋治の半年ほど前の日経新聞日曜のエッセーで、結城信一の研究家として矢部氏が紹介されていたことを。

 あべの書店のリンク集から、岩波文庫のファンのサイトや、古書探求に情熱をそそぐひとのサイトにめぐり会う。WWWも奥が深くなったなとしみじみ思うことであった。


 日経新聞夕刊、「予備校教師の目」コラム。2000年より東北大、筑波大、九州大の3校がAO入試を導入すると。教育業界に身をおきながら未だ知らぬ不明を恥じる。まあ、かいつまんでいえば、総合的な人格や識見を見る入試を、各々の大学が専門の機関を置いて実施するということらしい。いつの時代もこうした「人格」という類は、ちょっとうさんくさい。コツコツいろんな教科を勉強している努力家を疎外しないようにお願いしたいものだ。

10月10日(土)

 体育の日だからというわけではないが、早朝より次男のサッカーの試合を応援にいった。目白通りを自転車で15分。K小学校にて。次男のチームが2−1で勝つ。他の学年の試合が続いたので、とうちゃんだけ抜け出し、目白通りをさらに東に進んで、練馬駅周辺をサイクリング。練馬区役所、郵便局のそばまできて、練馬図書館で昭和55年頃アルバイトをしていたことを想いだし、急遽訪れることにした。しばらく迷ったあと、到着。近代的な青いビルに様変わりしていた。カウンタではたらいている人にも見知った顔はなし。すこし寂しく、往事を偲ぶ。プリーニウス「博物誌」大冊の3巻本を手に取る。読んでみたい本ではある。もっとも「酉陽雑俎」「夢溪筆談」(どちらも東洋文庫)など東洋の博物誌にももっと光があたってよいと思うが。

 開架の本をざっと見回しても当時の本とおぼしきものは見つからず。外に出たら、隣に古ぼけた2階建てビルが眼に留まる。「練馬区立情報公開室」。ここだ、昔の図書館は!隣のテニスコートは昔のまま。陽光溢れるテニスコートを見ていると昔の鬱屈を想い出す。懐かしいなあ、と想いながらこの地をあとにした。18年ぶりの再訪だった。このつぎ来るのはいつのことだろう。と、ちょっと感傷的になった。

 行きと帰りのサイクリングの途中、教え子OBの女の子2人とすれ違う。声はかけなかったけど。

 「日経クリック」11月号。MPEG3の、CD-DA(音楽CD)からWAV(AIFF)ファイルを経ての、MPEGファイルの作成と再生について、各種のシェアウェア・フリーウェアの紹介(Windows,Mac)。人間の耳にそれと分からぬ圧縮を施すので、ファイルサイズが約10分の1になるという。これには驚き。ステレオ・CD音質だと1分約10MBなのが、約1MBで済むという。サンプリング周波数を落としたり、モノラルにした素材でもこのような圧縮が可能なのかは紙面からは分からない。また、MPEG3の専用再生ソフトは各種紹介されているが、QuickTimeとの関連、ブラウザ上での再生などについてはよく分からない。Yahoo!でMPEG3をキーワードに検索すると、いくつかの有益なすてきなサイトにめぐり会う。そのうち、リンクフリーのひとつを紹介します。

10月11日(日)

 全国模試の日。よって出勤なり。

 日経新聞、文化面。井坂洋子(詩人)「水引草の地に」、好感の持てる、優しさ溢れるエッセイ。こんな文章を読むために日経を読んでいる、なんて書いたら屈折極まりないが・・・・。事実だからしょうがない。社会面片隅、日本動物学会と植物学会が、高校生物の教科書の用語を統一した用語集を刊行すると。センター試験にも影響があるだろうな、と、たまには仕事に関係あることも書いておく。高校の教科書には最大8500の用語が載っていて、1時間の授業で350の用語を覚えねばならないとか。そんなに不揃いだったのかと改めて驚くことである。

 と、日経新聞を枕にして他に移るつもりだったが、相変わらず日曜版の中身が濃い。関川夏央「明日は何色」。夭逝の天才棋士、村山聖八段の短い、疾走するかのごとき生涯を知る。はたまた、その右頁には辻邦生「のちの思いに」(2)。東大仏文の鈴木力衛の天才ぶりの披瀝。二十歳そこそこで、ホメロスをギリシャ語ですらすら暗唱したとか。さもありなん。中村真一郎、吉田健一などの追想。そういえば、中村真一郎の「私の履歴書」(日経新聞に平成5年5月に連載)では、辰野隆や鈴木信太郎や渡辺一夫の追想が毎日掲載されていたよ。その中村真一郎も福永武彦も世を去り、そうだね、加藤周一がお元気なのが救いだね。「羊の歌」(正・続)(岩波新書)、ぼくは愛読したものだ。3年ほど前かな、いやもっと前かな、正月のNHKの特別番組で、辻井喬と加藤周一の対談を観た。こんなことひとつとっても、ぼくは堤清二を愛してしまう。西武がんばれ、と、思ってしまう人間だ。23年前上京して、渋谷や池袋の「ぽるとぱろうる」を覗く度に、東京ってすごかばい、と思った。福永武彦の瀟洒な装丁の詩集を買ったのも、渋谷のB1地下のその店だった。

 その他にも樋口隆康(京大名誉教授)の「私の履歴書」、紀田順一郎のコラム(中村草田男のこと)、見開き美術欄は「大黄河文明」、春秋時代の精緻な鼎の写真など、おう、樋口隆康教授も写真ででてるじゃないか。

10月14日(水)

 佐多稲子さん、逝去。享年94歳。読んだことはないから語る資格はないが、ずいぶん前から敬愛していた。チャンスを失うと読みそびれてしまう作家はあるものだ。高1の時の悪友、粟屋龍彦くんは、新潮文庫の「くれない」を昭和47年にL高校の4階の教室で読んでいたっけ。「何かくれない?」なんて駄洒落をいったのは僕か彼か、もう覚えていない・・・。

 なんて、およそ本質と関係のないことをだらだら書くのであるが、そんな僕をかすかに癒してくれるのが、久世光彦氏のエッセイだ。(日経新聞毎週火曜夕刊のコラム) 13日付で、氏のめぐり会った、今は読みひと知らずとなったいくつかの短歌を披瀝し、その思いを語るとともに、出典や作者について読者に教示を乞うている。(その歌3首は今は引用しない) その文中で、彼は書く。

 どなたか、この歌の作者とか原典を教えてはくれまいか。この歌が懐かしいのではない。この歌にときめいた十七歳の<私>が恋しいのだ。・・・・

 ああ、世の読書子よ。私がこんなことを書いても冒涜にはあたるまい。・・・もはや読書なんてどうでもいいのだ。ただ、一瞬の、あの時の、あのときめきの、その幾ばくかが書物という媒介を通じて、再現されるならば。そこから、point supreme、ホラチウスの自負、「青い花」などが、流れ込んでくるが・・・・。初恋のひととの邂逅の一瞬を、とうちゃんの蔵書の何冊かは物理的にほんの近くで共有している。たったそれだけで、それらの書物は年月を経てもぼくと寄り添うているのだ。

 久世光彦はどこかで、「野菊の墓」へのオマージュをつづっていたように記憶している。なんて勇気ある読書家なのだろう。可憐な。

 井伏鱒二「釣師・釣場」(新潮文庫)、やっと上石神井の本屋でみつけた。解説は案の定開高健。案の定名文。その他には、東大数学科の先生が書いた「無限論の教室」、ヨーロッパの黒いマリアその他、キリスト文化のなかの非キリスト的伝統(ケルトとか、エジプトとか、その他のキリスト前の民俗・習俗)について武蔵野美大の先生が書いた本、どちらも講談社新書の近刊。立ち読みして興味深かったが、今晩は購入見合わせ。

10月17日(土)

 一昨日の晩は、ちょっと遠回りして石神井池を経て石神井公園の古本屋に寄り道した。駅前バス通りマック前の古本屋。又吉栄喜「豚の報い」(文芸春秋)350円、美本なり。他にマイクル・コーディ「イエスの遺伝子」(徳間書店)こちらは1200円とやや高い。本川達雄「サンゴ礁の生物たち」(中公新書)200円も買っておいた。この本屋、いわゆる新興系で、コミックが店の1/3を占める。しかし、みすずなど堅めの本も充実していて意外にいい本屋だ。なにしろ、夜遅くまでアルバイトが本の手入れをさかんにやっている。だから綺麗な本が比較的安いように思う。

 東京経済大学教授の粉川哲夫のホームページでは、かつて「世界」や「Mac Power」などに発表したエッセー・論文のほぼすべてが読める。旧来のように、原稿依頼→雑誌発表→原稿料受取、そののちの扱いは出版社次第という、著者にとって拘束の多い方式に、風穴をあけている。「もしインターネットが世界を変えるとしたら」(晶文社)。書物の仮想化に関する最近の文は、例えばここでも読める。ここは岩波文庫ファンのかたのホームぺージで教えてもらった。

 ビッグコミック、山本おさむ「オーロラの街」第2話完結。今は亡き、不遇の両親を弔う旅が、その弔いの完了の瞬間に、これから生きる主人公夫婦の癒しと新しい生への予感で終わる。とだけ書くとそっけないが、まんが(だけ、とは書かない)ができる表現の可能性を、謙虚に誠実に拡げようとする態度がすばらしい。内的な追憶と、現実のフラッシュバック。追憶部のコマの枠は手書きで、こころなしか揺れているようにみえる。それに気づいてゆるやかに酔いながら頁を繰ると、父の故郷である九州の風景が見開きで目に飛び込んでくる。だまされまいと努めながらも、こみあげてくる涙を止めることはできなかった。(最近、よく泣くなあ)

10月18日(日)

 台風10号、本州を縦断。今朝は風雨強し。台風一過の秋晴れを期待する。

 マイクル・コーディ「イエスの遺伝子」、ストーリーテリング貧弱。壮大なプロットを活かせぬうらみ残る。昨晩、後半部は飛ばし読みし、とりあえず読了。ただし、分子生物学全般に関する興味抱く。三浦謹一郎「DNAの遺伝情報」(岩波新書) など買ったままになっていた本に再挑戦するのもよいかもしれない。面白いSFよりも、むしろ正統の入門書のほうが健全なり。但し、それに気づかせるくらいの功徳はSFにもあるか。

 というわけで、久しぶりに非日常的な小説を読んだら、就寝前の精神に、もたれのような不快感残った。又吉栄喜「豚の報い」の最初の数頁で気持ちを洗って眠る。

 本川達雄「サンゴ礁の生物たち」好著というべし。「サンゴ礁のに一度は潜ってみなければ、その人の一生はそれだけ貧しくなると私は思っている。」(序章から)「生き物は北に行くほど多様性がなくなり、生物の種類は限られてきて、特定の種だけが数多くいるようになる。(中略)同じ物をたくさんつくるのが能率がよいという近代工業の考え方は北の発想である。」脱工業化社会ののちの真の豊かさや幸福へのヒントはやはり環太平洋の亜熱帯文化のなかにあるに違いない。沖縄・先島諸島での直感は間違っていないと再度思う。著者の経歴は、中公新書の奥付では琉球大学助教授となっているが、91年より東京工業大学で棘皮動物の研究をされているようだ。gooで研究室のホームページをみつけてわかった。このように、パソコンは私の読書をリアルタイムに支援してくれる。

 日経新聞、日曜文化面。鈴木志郎康「ホームページの表現で、早くも壁にぶつかる」。事情を知らぬひとは、初老の詩人がパソコン相手に四苦八苦。まわりの人間を振り回したあげく、いわれなき非難中傷をパソコンにぶつけていると思うだろうが、この詩人・映像作家はそんなやわではない。WindowsやMacOSはたまたUNIXまで通暁し、大学の研究室や自宅でネットワーク構築に奮闘している、頭の下がる方である。ホームページだって開設後もう2年半。初期はHTMLとの格闘だったと聞く。日曜文化面にもその当時、ホームページ立ち上げ記をものされていたのを記憶している。詩人という、まあいってしまえば、鉛筆一本で糊口をしのぐような職業だから、かえって融通無碍に通暁できる、ということのよい証左である。やっぱり僕は、詩人が好きだ。その昔、萩原朔太郎が、音楽家・画家という存在は技術・技芸に裏打ちされたアルチザンで、そこに見え隠れする傲慢さがいやだと書いていたのを思い出す。5歳の子供にでも詩は書けるし、牢獄でもちびいた鉛筆と反故紙さえあれば、De Profundis さえ書けるのだ。話を戻して、詩人のホームページ、特に「曲腰徒歩新聞」、美しいフォルムがページつくりの参考になる。映像制作・詩・コンピュータ奮戦記なかなかに楽しい。

 とうちゃんの書斎に、次男坊お引っ越し。ますます狭くなった。

 石神井公園ビッグクラブ練馬店にて、PlayStation、ファイナルファンタジー7、バイオハザード2(すべて中古)しめて税込21000円也を買わされる。トホホ。

10月21日(水)生と死の瞑想

 麻生幾「宣戦布告」(上・下巻)(講談社)図書館から借りて2夜ほどで読了。プロバガンダの匂いがしないのは、登場人物の心理描写などが丁寧なためか。意外に繊細で緻密な小説であった。ポリティカル・フィクションの秀作といえよう。しかし、この手の小説は睡眠不足を招くので、なるべく読まないようにしようっと。

 今晩は雨。合羽を着て、雨に打たれながら暗い道を自転車をこいで、映画「Blade Runner」のVangelisのメランコリックな音楽を歌いながら、家に帰った。生物の死に絶えた21世紀の、人類の新たなる平和の御代。あるいは、人類の死に絶えた後の、珊瑚礁に百花繚乱の魚が乱舞する21世紀。ああ、地球はどちらを選ぶのだろう、と、メランコリックなことを考えながら家に帰ったのだった。この暗い着想は、先日の朝日新聞「天声人語」中、珊瑚礁の1/3が今後10年で滅びるとの予測ありとの記事による。絢爛たる生の美は、それだけでも、甘美な死へと誘うのに。杞憂であることを願うが。

10月23日(金) Wildeのこと

 急に寒くなった。晩秋になると、青春の昔の悲しみがふつふつとよみがえる。

 昨夜もツタヤで立ち読み。買うほどの本は今晩もなし。所詮たいした本屋じゃない。量は多いが。だったら吉祥寺の高級本屋(例えば、パルコとか弘栄堂とか紀伊国屋とか)に行けばよさそうなものだが、昼休みは気がせいていてそんな気になれない。一日の仕事を終えて深夜本屋で時間を持てるだけ幸せというべきか。そういう意味では便利な本屋であるといえよう。

 ツタヤで、Oscar Wilde の獄中記(De Profundis)角川文庫版が眼に留まる。しかも新刊の文庫のなかに。おやっと思い、帯をみるとどうもワイルドをテーマにした映画が公開されるらしい。こういう時にすかさず買っておくのが賢いコレクターだと思う。今朝起きて書棚を探すと、岩波文庫版で「サロメ」「ドリアングレイの肖像」「ウィンダミア卿夫人の扇」、新潮文庫版で「獄中記」「幸福な王子」、中公文庫版で「アーサー卿の犯罪」の計6冊がみつかった。「幸福な王子」は確か小4か小5の頃読んだっけな。今、突然、今は廃屋となった旧家の縁側で、その本を読んだ日のことが思い出された。この記憶は何か別の体験との混交なのか、後の時代の「記憶の創作」なのかはっきりしない。(今、自分でも驚いている。)

例によってインターネットにてE Textを探す。「清貧日記」でも紹介したカーネギーメロン大学の広大なリンク集にてWildeのほとんどの作品が即座にみつかった。獄中記の原典約1分たらずでダウンロードできた。すごい世の中になったね。Gutenberg Projectの1冊。Babylonでちょっと遊ぶ。いつも思うことだけど、原典って意外と平易な英文なんだね。西洋の文学を日本語に移植しようとした学者たちの鏤骨の訳業にはもちろん敬意を表するけれど、擬古調の翻訳詩が日本人に与えた、西洋文学へのある種の誤解というのも看過できないのではないかと、時々思うのだが如何。

 夜、ひとと会う約束あり、待つ間にマック前の草思堂覗く。吉本隆明他「琉球弧の喚起力と南島論」(河出書房新社、1989)見つけた。定価1800円のところ600円は安いなり。即購入。他に、神道集(東洋文庫)1500円、南方熊楠アルバム1400円などあれど、懐寂しく今晩は見送り。

Oscar Wilde

10月25日(日) 本日は快晴なり

 楡周平「Cの福音」「猛禽の宴」(共に宝島社)図書館から借りてきたが途中で放棄。主人公は、大藪春彦「野獣死すべし」の伊達邦彦によく似た設定。よく似すぎていて妙に白けてしまう。感情移入できず。買わなくてよかった。むしろ子供のために同時に借りてきた学習マンガ「地球大紀行」1巻〜4巻のほうが知的刺激に富んでいる。地球の環境は植物や動物が作ったという事実は衝撃であった。地球という惑星は、大気の組成から大地の構成に至るまで何億年もの植物や動物の営みが創りだしてきたということ。このことをもう少し考えていきたい。

 快晴の一日であった。こんなに爽快な秋の休日は今年はもうないかもしれないと思うと少し淋しかった。ついこの間まで夏のようで、半袖シャツでも暑かったくらいなのに、今日2時半かそこらの時刻には、もう太陽は低く傾いて、透明で煌めくようであるが、か弱い、光なのであった。Baudelaireの「秋の歌」を想いながら、石神井池の周りをサイクリング。酎ハイを飲みながらゆっくりと漕いだ。「トボトボ歩くのが好き」と詩人鈴木志郎康氏もホームページで書いておられる。夜は開高健「オーパ、オーパ!!」アラスカ編を再読。

10月31日(土) PC DEPO開店す

 朝、近くの大丸ピーコックで、日経ネットナビ12月号購入。相変わらずインターネットまわりは変化が激しいよ。内容が濃すぎるぜ。その他、又吉栄喜「波のうえのマリア」(角川書店)、「アップル」(上下巻)、安原顕「本を読むバカ、読まぬバカ」(?)などを手にとってみたが、今日は購入せず。それから、静岡のあべの古書店に、山口瞳「血涙十番勝負」(講談社)を電子メールで注文。1500円也。ここは山口瞳がとっても充実している。

 昨日から駅の近くをあやしげな送迎バスがしきりに行き来していて気になっていた PC DEPO練馬高野台店。Yahoo!でホームページを見つけ場所を確認し、早速自転車で出かけてみた。おお!すごい。すごすぎる!自宅から自転車1分の笹目通り沿いに黄色いビルが聳えたっているぞ。練馬区・杉並区・板橋区・和光市最大級。日本一をめざすPC DEPO の最新鋭の旗艦店舗はここであるぞ。長いこと不遇をかこってきた我がパソコンライフに大革命が訪れた。喩えていえば、短大模試で偏差値40台に低迷していた学生がいきなり記述模試で偏差値70をとり、優秀者リストに名を連ねるようなものか。またいえば、長いこと独身の不便をかこってきた中年男のところに、いきなり可愛い若妻が入居してきたようなものか。と書けば、この感動をいささか理解していただけようか。書籍雑誌1万冊、ソフト5千本、ハード本体700台。周辺機器やらサプライやら中古やらありとあらゆるパソコングッズがこれでもかといわんばかりに陳列してある。しかも激安。フラットベッドスキャナなんか1万円を切ってるぞ。とまあ、普通なら衝動買いして帰るところだが、我が家は洗濯機の買い換えなどをひかえているので、一応来店記念にインクリボンなど小物を買って帰ったことであった。((急速にロマンが萎えてゆく・・・) ところで、中古のNEC 9801FA ディスプレイ付きで2480円を目にすると、過ぎた栄光の時代を偲びしばし想いにひたる。まるで学生時代に憧れた高根の花に歌舞伎町で再会したような気分である。それは悲しいことであるが・・・・。過去のゲームやらP1 EXEやらNinja3Proで6年前の環境に浸るのも悪くないような気がする。

 ご愛読いただいた「いんたーねっと読書日記」青春編もこのへんで終わりとしたい。本は買わねど高楊枝。文庫本と古本屋がもっぱらの清貧読書はまだまだ続く。小生の仮想書店も、PC DEPO のごとく近日新装開店を図りたい。ご愛読深謝。

98年秋号完

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