7月1日(木)曇り後夕立後晴れ

 日経夕刊記事、日販が9月から新会社を起こし、絶版本を1冊から受注し印刷するサービスを開始するとか。新会社名は「ブッキング」。ホームページも近々作られるそうなので、メモ代わりに日記に記しておく。一体、便利になるのか不便になるのか?(USAの事情は6月3日の日記参照)

7月3日(土)

 久しぶりの休日だが、あいにくの雨。高校の後輩たちの歓迎会の、残務整理、カンパしてくれた同期生に礼状を書いてポストに投函した。駅前のピーコックの本屋にて、長らく探していた山本おさむ「どんぐりの家」(小学館)が揃っていたので、第2巻を買って読んだ。時々泣いて時々号泣した。息子たちが学校から帰ってきて、昨夜録画した宮崎駿「おもいでぽろぽろ」を観始めた。とうちゃんも、途中から、よっこらしょ、てな感じで座って、いっしょに観た。どうせ、マ、アニメだから、って思いながら、軽い気持ちで観始めた。・・・・・・。そのまま、最後までくぎ付けになって観ていた。最終場面。田舎の駅で。電車に乗って東京に帰る主人公。みんなに別れを告げて。やがてゆるやかに声優たちのクレジットが流れ始める。そこで、おや、小5の時の主人公の分身と、その同級生たちが、列車にあふれ、歓声をあげはじめた。主人公を祝福し、電車から電車へといっしょに乗り換え、いっしょに駅に降りたち、田舎道に繰り出し、バスを止め・・・。ここでもう涙が止まらなくなった。騙された、と思ったがもう遅かった。次から次に涙が零れてきた。・・・。不意をくらうとはこのことだ。まさか、クレジットが流れるなかで、こんな奇跡が起ころうとは。ひさしぶりに「作品」に騙されて、子供のようにぼろぼろ泣いてしまった。(観てないひとにはちっともわからないでしょう。ゴメンネ)

 数学の勉強をして一日を過ごした。富士見台駅前で散髪をした。終わってみるとどしゃぶりになっていた。整髪したばかりで残念だったが、ずぶぬれになって帰宅した。自転車で疾走しながら。

7月4日(曇り

 真夏のように、蒸し暑い日だ。校正の夢で何度も目が覚める。朝、石神井公園きさらぎ文庫にて、富士正晴「贋・久坂葉子伝」(講談社文庫)250円。草思堂にて久世光彦「ニホンゴキトク」(講談社)400円。

7月5日(曇りのち雨

 吉祥寺よみた屋(井の頭通り、東急イン斜め向かい)にて、片山孝次「複素数の幾何学」(岩波書店)1200円。何十年ぶりに見つけた小平邦彦「幾何学序説」(岩波書店)2500円にも惹かれたが、立ち読みして、正直自分には理解できないだろう、という淋しい諦めで、購入はしなかった。昭和51年頃、T大理1の友人Futamataくんの目白の下宿で、この本を見たことがある。それ以来、二十年余、この本のことはずっと気になっていたが、いざ巡り会ってみると、やっぱり難しい本であった。その当時彼がこの本を十全に理解していたかどうかはわからない、しかし、今、自分がこの本を理解できないと判断するのだから、少なくとも、自分の数学力は、当時の彼の力以下(<=)であろう。ま、それでも、プライドを捨てず、なお、「複素数平面」の研究にいそしもうという、とうちゃんであった。

 かたや、神戸在住の若き読書子からメール(掲示板)でご教示をいただく。正直に書くと、実は今小生は、文芸から遠いところにいる。

7月10日(曇り後雨

 久しぶりの休日。早朝に目が覚め、眠れない。昨日はひさしぶりに肉体労働にもいそしんだので、よく眠れるかと思ったのに。数学を数題解き、久世光彦のエッセイをめくったりした。その関連で、おおたか清流のCDを聴いたりした。いつの日か君に再び会える?久世光彦の歌謡曲のエッセイは、想いがこもってる。「おふくろさん」などの鬼才、川内康範。なかにし礼のこと。「ひと恋しくて」「マイ・ラストソング」(どちらも中央公論社)。日経にこのひとのエッセイが載ってると、とてもうれしい。

7月11日(雨時々曇り

 降ってはやみ、降ってはやみの煮え切らない天気。そのようにぐずついた連休だった。夕方、石神井公園きさらぎ文庫にて、中村真一郎「私の履歴書」(ふらんす堂、1997年、限定1000部)。限定1000部といっても通し番号があるわけでなく、版型破棄の宣言があるわけではない。ま、そんなことはどうでもいいが、半=私家版といった趣の本が、定価2500円のところ、400円は安い。家に帰ってあちこちに鉛筆で引かれた傍線を、消しゴムで丁寧に消しながら、大方を読んでしまった。日経新聞連載当時(1993年)にも、懐かしく読んでいたので、なかばおさらいである。

 雨の一日を、数学を解いて過ごした。沈鬱なり・・・。

7月12日(曇り

 日経夕刊に、最近仕事上で関係の深い凸版印刷の、絵画デジタル化プロジェクトを報じている。4000dot×5000dot(17インチディスプレイの縦横4倍くらい?)のデジタル画像で保存するのだとか。新聞にデータ量約60MByteとあったので、試しに計算してみた。1ドットごとにフルカラー(つまり3原色それぞれ8bit、256階調で、3色では256の3乗の色が表現できる)これに、4000×5000つまり2000万画素を掛けると、4億8千万bitになる。便宜上、1k=1000として計算すると、なるほど、4億8千万bitは60Mbyteになる。実際には、何号という絵画の場合、スキャニングやデジタル写真撮影が大変なんだろうと、思う。

7月13日(

 沈鬱な雨が降る。最近ネットワーク上での新しい友人多し。深謝。凸版印刷の新しいワークフロー

7月14日(雨のち晴れのち曇り後雨後・・・

 午後、田無のA先生宅を訪問。夏らしい晴れ間が広がったので、自転車で五日市街道を西進、武蔵野女子学院のところで脇道に入り、何とか新道を北上すると田無駅前にたどり着く。汗だく。駅の真ん前でA先生の表札がすぐみつかった。懐かしい笑顔、ああ、俺は教師という生き方が好きなのだ、とつくづく思う。そんな再会であった。再会はすぐ用件がすんで再び来た道をひきかえすのであった。夕方は、吉祥寺駅前のM信託銀行の友人を訪ねた。簡易の応接室での時間外の訪問。ここでも懐かしい笑顔。28年前の。

 自分はどこにいるのか?自分とは何なのか?こんな問いは中年に不向きであろう。それに優しく応えてくれるひとがいるから、かろうじて生きている自分である。「大乗起信論」にあるという。「たった今このときも草木鳥獣森羅万象の一切があなたの済度のために働いている」。これが東洋の本質だ労働の本質だと、今突然、思う。

7月17日(曇り

 このところ書棚から数学史の本をひっぱりだして読んでいる。武隈良一「数学史」(培風館)。昭和34年初版の本で、手元にあるのは昭和54年の第16刷だ。これと、矢野健太郎「数学史」(モノグラフ、科学新興社、昭和42年)の2冊。先日買った秋山仁「大数学者に学ぶ数学2B」(数研出版)、富永裕久「フェルマーの最終定理に挑戦」(ナツメ社、1996年)あたりを、交互に読んでるところ。

 数学の天才ってすごいナって素朴に感心する。一例として、本国における全集の刊行のようすを説明すると、例えばオイラーの全集は全89巻から成るのだが、これの第1巻が1912年に出版されて以来、1975年現在に至るもなお刊行中であるという。(培風館の本の解説による) 巨人ライプニッツに関しては、「単子論」(岩波文庫)が人口に膾炙しているものの全容は闇に包まれたまま。なにせラテン語で書かれた論文が多く、全集でもふつうに判読できぬ論文が多いそうだ。「本家本元のドイツで1923年以来刊行されつづけている全集が未だ三分の一に達していない(中略)、・・・下村寅太郎博士の話では「完全な全集が出揃うのに百年はかかりますよ」」(松岡正剛、「遊」第9号、1976、工作舎)ということだ。なにせこのライプニッツ大先生はパスカルとならんで、今日のコンピュータの元となる機械を作った電脳の祖というべきひと。(岩波講座情報科学、第1巻、1983)彼の構想のなかには、論理的な推論を自動実行する人工知能機械すらあったという。(「ライプニッツの夢」)

 というわけで、昼下がり、淡麗<生>を飲みながら、高木貞治「近世数学史談」(岩波文庫)を読んだ。日本の近代数学の黎明期に生きた数学者のひととなりを解説で学びながら。天才ガウスの生涯って、意外に詳しく書いてある本がないのだが、この本で、等身大のガウスが確認できた。ガウスいう、「数学の考究に於いては何よりも妨げられざる、切り刻まれざる時間が必要である。」天才と自分を引き比べるのもなんだが、とうちゃんの生活は、妨げられたる切り刻まれたる時間、である。ま、そんなことはいいとして、天才ガウスにも、公人として忙しい時代があったようで、1821年からの約20年間、陸地測量事業に携わらざるをえず、この間、「無量の器械的計算にまで携わって彼の研究に必要なる多くの時間が空しく費やされた」のだという。(もっともこの間、三角形の内角和を測量する実験をおこなっている。この実験から、最小二乗法が生まれたという。)

 面白いのは、ガウスの数学上の多くの発見が、演繹的ではなく帰納的に導かれたのだということ。膨大な計算から、定理を発見するに至る経緯などもよくわかった。

 親子で「魔女の宅急便」を観た。さて、箒ならぬ自転車で夜の町を疾駆して、ちょっと会社に出かけてこよう・・・。

 7月18日(晴れ

 井脇ノブ子女子の主催する「少年の船」に兄弟で参加するので、そのうちあわせに池袋に行ってきた。丸井横の千代田生命ビルにて説明会。中学生のにいちゃんたちもどことなくおっとり優しそうで安心。これを機に自分を発見して欲しい。帰路、家族で芳林堂へ。昔よく通い詰めた本屋である。懐かしい。8Fの高級古書店高野書店はすでに店じまいしていた。5Fで数学書の棚を20分ほど閲覧。さすがよく揃っている。池袋は、ここ芳林堂といい西武のブックセンターといい、新参のジュンク堂といい、よい本屋が多い。もっとも、古書店高野書店は姿を消し、西武はリストラで力を失うなど、暗い話題も多いのだが。もっとも自分にしてからが芳林堂を訪れるのは5・6年ぶりだろう。大きなことはいえぬ。

 E.T.ベル「数学をつくった人びと」上巻(東京図書)2500円+税。いささか高いが、ままよと買った。他に「インターネット時代の数学」(共立図書)他、惹かれる本多し。高校生向けに高校数学の拡張された世界を伝える叢書もいくつかあった。計算演習も大事だし入試も大事だが、もっともっと高校生に数学の魅力を伝えねばならない。(コレッテ次ノ企画ニナルカナ?) 東口に一家で移動し、ビッグカメラにて布団乾燥機他購入。街ゆく女性の服飾に興趣多し。されど、人混みに疲れ果てた。田舎からでてきたタヌキ一家の如しと、自分を卑下す。

 7月20日(小雨後曇り後晴れ

海の日。名前が気が利いてるじゃありませんか。ミクロネシア・ポリネシア・メラネシア、そうしてヤポネシア。そう、洋的なものが、ひとを救うと信じてる。もっとも珊瑚礁に集う小動物と人類のどちらを選びますかと、神様に聞かれれば迷ってしまう自分である。地球のためにはどちらの種がいいのか?しかし、「地球」はおそらく人類の蛮行を織り込みずみで、放蕩息子にも帰郷はあるだろうと、思っているが・・・。

 文芸的なものから遠ざかっている。懐かしいと思うまで自分は還ってこないだろう。

 凡人の二十年を天才の一瞬は凌駕する。ガウス。今の自分にはこのことはむしろ快い。なぜならそれは真実だから。

 7月21日(曇り後夕立後曇り

朝な夕なに、デカルト・ライプニッツの評伝を読み続けるとうちゃんである。今晩はフェルマの評伝を読むのじゃ。夕立の一日。居場所のしれぬ初恋のひとへのオマージュのホームページの立ち上げのことを朝の出勤時に構想し、ゆるやかに、過去に帰りながら、自分は、静かに、満たされていたヨ。

 7月22日(曇り

 Apple, iBook 発表。意外に従来のPowerBook に近いのね。買おうかしら。

 江藤淳氏、自殺。ご冥福を祈る。

 7月23日(曇り後晴れ

 江藤淳氏の自殺、日経夕刊の社会面。第一報が簡素だったが、整備された第二報は滞りなし。彼を世に出さしめた作家かつ編集者山川方夫のことが想われた。山川方夫自身は、自動車事故で急逝しているのは旧知の事実である。山口瞳もそのエッセイのなかで、偲んでいたっけな。じつは小生、江藤淳の書物は読んでいないのだ。保守の総本山のような気がして、敬して遠ざけてきた。先月の文芸春秋の文章といい、「荷風散策」といい、これからぼちぼちと読もうと、思っていたのだが。

 今はオイラーやフェルマーの評伝のほうが、自分には親しい。

 7月24日(曇り後快晴

 昨日は仕事の打ち合わせで人形町までいってきた。老舗の人形問屋が軒を並べる面白い町。コースウェア開発会社の常務さんと意見交換。吉祥寺への帰途、総武線にゆられながら、夕焼けの美しさにしばしみとれた。

 今朝の日経朝刊文化面。桶谷秀昭氏の江藤淳追悼文。”X”頁には、東中野が今や隠れた人気スポットだと。マニアックな映画とエスニックな料理店。はて24年前、北口に「中野レコード」という店があってヨーロッパのロックを丹念に蒐集していた。その当時から、ちょっと謎めいた魅力があったね、この町には。妙に未来派めくような。稲垣足穂「方南の人」

 雲一つない快晴。最高気温34度とか。暑かった。クーラーつけて家族と自宅で涼んで過ごした。息子2人に、光の反射や屈折について、いろいろ問題を出して教えた。フェルマーの最小定理。自然は、最大効率を選択するという。これってすごいよね。数学者評伝も、上巻は半分くらい読んだところ。下巻が恋しい。数学2、数学3の教科書を勉強した。他に数学書数冊をひもとく。

 7月25日(

 日経BP社の主催するイベント「インタラクティブ・エデュケーション99」。コンピュータの教育利用に関する研究者の草分け佐伯胖氏・25年来の憧れ松岡正剛氏などの講演、シンポジウム他。というわけで8月19日、20日両方にweb上で参加を申し込んだ。URLはこちらを。

 小泉武夫という方をご存じだろうか?私はこの方の食のエッセイを日経夕刊で長いこと楽しんできた。東京農大教授という肩書きがエッセイの最後にいつもついているので、まあ、粋人の学者だねえ、なんてほんの少し軽侮の気持ちも混じったりして、それにしても健啖のようすが生き生きと伝わる名文にいつも感心しながら、読んでいた。読んでいたのだけど、それ以上氏のことを調べてみようとか思ってこなかったのは、おそらく嫉妬のなせるわざであろう。嫉妬?そう健啖ぶりが仕事になるような、結構なご身分ですねえ、みたいな、勘ぐりである。このことを、

 今は反省しなければならない。今朝、NHK総合11:00から放映された「ようこそ先輩」。母校の小学校に帰って、数十年あとの後輩たちに特別授業をほどこすという連載企画。先週、たまたまみた昆虫写真家野和男氏の特別授業がとても面白かったのだが、予告編で流れた小泉教授がとても面白そうで、珍しくカレンダーにメモしておいた次第。

 さて、特別授業の最初がふるってる。世界で一番臭い食べ物の缶詰を、やおら取り出してコキコキと缶切りで開け始める先生。炭酸ガスが充満して爆発寸前の缶詰から、汁とともにそのガスがちょびっと飛び散ると、もう教室はアビキュウカンの地獄と化した。なんでも乳酸菌で発酵させたニシンの缶詰(東欧産)だとか。

 この小泉先生、単なる健啖家ではない。発酵学の学者なのである。母校の授業のようすにすっかりファンになってしまった。というわけで、

 このひとの本を探しに、石神井公園・高野台の5つの本屋・古本屋を巡回した。結局、小泉武夫「粗談義」(中公文庫、700円)石神井公園のいずみ書房にて。他に、プーシキン「オネーギン」「大尉の娘」(ともに岩波文庫)350円。きさらぎ文庫にて。

 透明な青空と強烈な日差しの、一日だった・・・。

 7月28日(

 仕事柄、樋口裕一「ぶっつけ小論文」(文英堂)を読んだ。文英堂って会社には、実はね、今を去ること31年前、当時は受験勉強のディファクトだった、「算数5000題」やら「応用自在」やらをさしおいて、少年時代のとうちゃんが選んだ参考書フレンドベストシリーズでお世話になったものだ。今もって文英堂にほのかな慕情を抱くのもそれ以来のつき合いがあるからである。(他に世界文化社や保育社、科学新興社など)それはさておき、

 ○(小論文入試で)避けなければいけない文体ベスト8。面白いので引用する。

1 軽薄・流行型(「新人類を自認する人は特に注意)流行語・口語調を多用した軽いエッセイ風。

2 挑発型(小生意気な文学青年タイプの男子は特に注意)「愚かな連中は〜などというが、そんなたわけた話はない」

3 高潔・潔癖型(成績優秀な女子は特に注意)「なんて世の中は低俗なのだろう。」人間を環境から独立した高潔な存在と信じている。

4 ラブレター型(少女漫画の好きな人は特に注意)自分の過去や夢などを語る。「私」という言葉が異常に多い。

5 道徳訓話型(子供の頃から「良い子」だったひとは特に注意)「愛」「思いやり」といった言葉が続出する。

6 弁解型(ふだんから弁解がましいひとは特に注意)「もっとも私自身もそんな偉そうなことを言える立場ではないのだが」

7 優柔不断型(ふだんから優柔不断だといわれている人は特に注意)何をいいたいのかさっぱりわからない文が続く。※筆者註:もっとも赤瀬川原平先生の「優柔不断力」という本がでて、やおら脚光を浴びつつあるぞ!

8 ものまね型(読書好きの男子は特に注意)小林秀雄・蓮見重彦など特異な文体の有名評論家の文をまねて書くタイプ。

いやあ、驚いたのなんの。これってほとんど私の文体のことか。当てはまりすぎて怖い。マ、モットモ、コンナ高校生ガイタラ、男ノ子デモ女ノ子デモ、カワイイダロウナ。稚気愛スベシ・・・ダヨ、ヘッヘッ。

 7月29日(

 辻邦生氏が今日なくなった。少年のように純粋なひとと信じていて、・・・、なくなるとはおもっていなかった。粟津則雄氏・北杜夫氏の、日経新聞夕刊上のかなしみにあふれたコメントも、そんな愛情に満ちていて、思わず涙が零れた。最後までよい読者ではなかったが、氏の冥福を祈るのに人後におちるわけではない。日経夕刊に連載されていた「のちの思いに」も、時折愛読していたのだが・・・。ぼくの父と同じ歳の生まれである。(大正14年生)ぼくの父が生きていればなあ、と、いま、再び思うことである。

 7月31日(

 日経朝刊文化面全面、菅野昭正氏「辻邦生氏を悼む」 記事より引用する。

 「彼は初心のひたむきな夢を実現した。老成の演技にかまけたりすることなく、精神はいつも若々しかった。彼の生涯をそんなふうに振りかえっても、あの晴朗な微笑にもう会えないのかと考えると、哀悼の思いがひときわ深くなるのを、私は抑えようもないのである。」

 私は辻邦生の良い読者ではなかった。「汝が永遠の岸辺」(ユリイカ増刊、1974)に憧れてヨーロッパ文学を目指した高3のころ。上京したころ、この延長である「小説の序章」(河出書房?)を熱心に読んだ。(手元にないため表題不詳)最近は、「海辺の墓地から」「永遠の書架にたちて」(ともに新潮社)といったエッセイには胸ときめいた。日経新聞日曜版の「のちの思いに」で氏のかきならすこころの琴の調べを毎週楽しみにしていた。

 小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫、552円)。いわゆるゲテモノぐいの本ではない。しかし扱っている食材は、「虫」「は虫類」「軟体動物」「魚」「鳥」「ほ乳類」「灰」「酒」など広範に及ぶ。面白い。

 

[ HOME ]