4月1日(木)曇り

 やれやれ四月だ。正直ほっとする。中学・高校の頃は3月は1年で最も美しい月のひとつであったが。東京の3月はなぜこうもかしましい?郷里の高校の後輩から電話が入った。私は高校同窓会が主催する、新卒の歓迎食事会の世話人なのだが、郷里の高校で卒業式間際に配ってもらった歓迎会の案内状の連絡先に小生の電話番号が入っていたので掛けてくれたらしい。しかしそれだけじゃないよ。小生の勤める株式会社Nに、自分の通っていた予備校の本部を察知し、アルバイトの相談も兼ねてのことらしい。円環は閉じた、ゆるやかに。私はこの邂逅を後輩の徳とする。なんといっても鹿児島のある場所から旅立つ昭和55年生まれの俊才の今後の生に幸いあれと祈らずにいられない。

4月3日(土)曇り

 昨夜は徹夜で仕事。そう、ATOKがいみじくも間違えたように、朝だ哲也である。社員がぼちぼち出勤して落ち着いた頃秘かに姿を消した。昼食?を食べた後、しばし午睡。ふらふらと起きて、近くの古本屋で、開高健「もっと広く!」上・下(文春文庫)。開高健の釣魚エッセイが全部揃った。大冊の単行本ではないのが残念だが。オリジナルの「もっと広く!」は吉祥寺東映前の本屋にある。2500円。まあ、買おうと思えば買えるのだが。他に、高橋義孝「叱言たわごと独り言」(新潮文庫)、ドイツ文学者としての氏との交点はそれこそ昭和40年代からあるのだが、エッセイスト(というか文人)としての氏とのつき合いは初めてである。山口瞳のエッセイでこのところ親炙してきたので読んでみるという次第。ところで年来の素朴な疑問。先年亡くなった高橋健二氏と義孝氏は兄弟なりや否や。僕は、おそらく兄弟だろうというあたりをつけて、この27年を過ごしてきたのだけど・・・。健二氏は昨年逝去された。晩年は奥様に先立たれ病院での孤独な生活であったときく。吉祥寺の喫茶店「天子峰」で、常連の老人たちのうわさ話に、近くのO病院の個室を借りきっていたという文人T氏と、健二氏の姿が重なるのである。

 弊社講師 I氏の薦めもあって、ニュートン「プリンキピア」(中央公論社)に再挑戦するも空し。第一縦書きというのがいかんよ、と中公にケチつけているけちなとうちゃんである。

4月5日(月)曇り

 いわゆる花曇り。あちこちで桜が満開である。だけど心は晴れない。ここでそのわけをつぶさに書くわけにはいかないが、外界の華やかさも一因にあるのかもしれない。自分だけが取り残されているような、外界のすべてが新しく活動しはじめたことに対するうっとうしさのようなもの。朝、石神井公園草思堂にて萩原葉子「父 萩原朔太郎」(中公文庫)170円。25年来買おうと思っていた本だ。11時の開店を待って入り、店内の本をくまなく見た。ほかにも良書多し。「もののけ姫」ビデオ2625円BookTurnにて。PCDepotにて各種パソコン雑誌立ち読み。NCとIEのブラウザ対決はIEの圧勝なの?NCにもがんばってほしい。AOLの御用達ブラウザに成り下がってほしくない。午後、出社する前に、USAからCDが届いた。残念ながら、Aphrodite's ChildのBest ofは版元品切れのようで届けられない、ってお詫びのメールがすでに先日入っていたので、届いたのはKing CrimsonのPoseidonLark's Tonguesのみ。これらは日本でも容易に手にはいる(税込2100円)ので、1枚12.6ドルといってもShipping Costを考えればとんとんなのだが、・・・。まあ、いいや。USAから直に届いただけでもなんだかうれしい、おじさんであった。会社にゆく前にちょっと聴いてみた。パソコンのCD(ROM)って音質がいまひとつなんだよね。それから、もののけ姫ちゃんと観ました。2時間ちょっと。中世金属精錬集団(技術集団)と台頭する武士と、そして森林の精霊たちの争闘。最後に森林の精霊と中世金属精錬集団は和解する、という不思議な物語。この日本中世論にはいろいろと異論もあろうが。ともかく、<比類なく美しいアニメの映像>には本当に舌を巻いた。USAの女性もそんな感想を述べてるってIMDbで知って、なんだかうれしかったよ。

4月6日(火)曇り時々雨

 ユーゴスラビア情勢の緊迫したなか、はたまたAOLがCBSを買収するなんて報道の流れる中、悠長なことで恐縮だが、日経夕刊コラム「まんがワールド」のまんが評論家村上知彦氏の文章がうまいのに感心。小生もこのところ文章をこうやって毎日書いてるので、ひとの文の旨さには敏感なり。ツタヤにて、3週間完成英語ヒアリング集中レッスン実践編(アルク)1800円+税。CD2枚つきなら安い。価格破壊は我が社のやったことだが、他社も追従のもようあるは興味深い。仕掛けたひとりは小生でもあろう。(小生チームは95年3月にCD2枚組を来訪者のキャンペーンで無償配布する作戦をとったのなり)他に、PCLife 4月号(ソフトバンク)780円。ISDNの小特集に惹かれて。週刊モーニング、作者の名前失念(失礼)「柳沢教授」の作者の読み切り短編、リストラの憂き目にあったサラリーマン氏がかつて学生時代に一緒にバンドを組んだ老ロックアーティストのライブに飛び入りして演題をこなし難しい年頃の息子と和解するまでを書く。妙にうれしかった。なんつうたってくたびれたネクタイとどぶ色背広のギタリストなんていいじゃないの。髪も薄いのにさ。「鉄人ガンマ」といいこの短編といい、中年から団塊の世代に至る世代の昨今の喪失感をうまく表現しているように思う。

 てな具合に今晩も書いてると、遅い帰宅のあとのわずかな時間は、買ってきたパソコン雑誌も英会話の本も目を通さぬうちに眠くなって終わるのであった、ああ。

4月7日(水)曇りのち晴

 花冷え。夕方から晴れ間が見えたがかわりに冷たい風が吹いた。「月にむらくも花に嵐のたとえはあれど」である。そう、サヨナラだけが人生なのさ。家に帰ったら「五体不満足」が買ってあった。息子にも読んでほしいとは思う。もっともとうちゃんは買わないけどネ。(なぜ買わないかというとそれがベストセラーだからだ。逆張りが信条のひねくれおやじである)

 英語科O講師の講義収録に立ち会う。涙がこぼれた。それほどに素晴らしい授業であった。丸5年前の数学科M先生の夏期講習高1数学以来のことだ。授業に涙するなんて。・・・寝不足で調子悪い。調子が悪いので、まんがの話題。「黄昏流星群」家族に見放され会社を捨てて、ゲイの恋人に看られて死ぬ大企業部長氏。流星雨のさなかで。こりゃメロドラマであると思う。メロドラマは許してはいけないのだ。どんなにメロドラマであろうとも。しかしそのいかがわしさをいかがわしさゆえに許す自分であった。弘兼氏よ、これに満足しちゃいかんぜよ。(H氏、S女史夫婦の仕事場は石神井の某マンションにあるのだヨ)

4月8日(木)

 風が強い。「岩波文庫のページ」で「日本数学史」などの新刊を知る。全く知らなんだ。これじゃいかんと想い、岩波書店のホームページで雑誌「図書」年間購読の申込をした。年間800円だからタダみたいなものだ。こうして約20年ぶりに購読を再開した。思えば岩波書店とは中学生の頃、東京への憧れの象徴であった。志なって上京して幾年月、しかし・・・。とは云うまい。矜持を心に持って孤独と寂寥と寂漠と閉塞とに、耐えてゆこう。シカシ私ハコノ地ニ住ミ、友ヲ忘レ友カラモ忘レラレテ、沖ノ彼方トドロクぽせいどおんヲ眺メテイタイ Horatius流謫の時代の書簡詩の一節である。スピリッツにてRobert Frippと宮台真司の対談があった。びっくり仰天。

4月9日(金)

 ようやく春らしい日和。日経ビジネスの話題から。NECの凋落、Novellの復活、インターネット掲示板を活用したマーケティング会社。そういえば高校生もEメールを使う子が増えてきたよね。講師と直のコミュニケーションがメールや私設掲示板でさかんに行われているようだ。それはそれでいいのだ、そもそもコミュニケーションとは制御できないものなのだから。それを講義内容に活かすことのできる講師とそうでない講師がでてくるだろう。当社もその渦のさなかといってもいいかもしれない。

 長男が近くのスーパーでサボテンを買ってきた。水をやりすぎないように注意しておいた。サボテンって意外と繊細な植物なんだよ。亡くなった父がサボテンが好きだった。今は廃屋となった郷里の旧家の庭には、背丈が2mはあったろうか、大きなCactusも植えてあった。作家龍胆寺雄は相模原市の自宅に巨大なサボテン園をこさえていたとか。

 深夜、USA から届いたKing Crimson を聴く。いまだ父健在なりし27年前の、あれは春か夏か秋か定かでないが(あのころはどの季節も美しかった)、いまは廃屋となった旧家で、おだやかな内を見下ろしながら、ぼくが想うていた音楽。そして100米たらず離れた坂の中途には、いとしいMの実家があった・・・。

4月10日(土)曇りのち雨

 自宅そばのBookTurnにて、関川夏央・谷口ジロー「坊っちゃんの時代」第3部・第4部(双葉社)1050円。かねてから関川夏央の明治への言及には注目していたが、谷口ジローと組んで大河マンガに取り組んでいるとは知らなんだ。2冊で600頁ほどの大作である(全5巻とのこと)。他に、林芙美子「新版 放浪記」250円。それから次男にはサッカーマンガ「フィールド」第2巻・第3巻420円。今雨が降ってきた。父と子の清貧の愉しみじゃ。天気も悪いし、今日は仕事もしないで明治の文人たちのことをおさらいしよう、っと。

 という訳で雨の午後は書斎で大冊2巻のマンガを読んだ。走馬燈のごとく駆けめぐる登場人物たち。石川啄木・菅野須賀子・孝徳秋水・荒畑寒村・平塚らいてう・森田草平・夏目漱石・森鴎外・石川三四郎・北一輝・二葉亭四迷。権力と反・権力、恋愛と革命と。まるでフロベールの「感情教育」を読んだ時のような不思議な読後感である。荒畑寒村は昭和56年に亡くなっている。昭和53年、91歳の時スイスにてよんだうた。「何にしおうユングフラウの立姿わが初恋の人に似たりし」大逆事件で絞首台の露と消えた67年前の初恋のひと菅野須賀子への追慕のうただという。

 Netscape Communicator4.5 インストール。世間は IE5 の出来をほめる。今夜はナイナイの筑波大学受験記総集編。(後記:結局筑波大学は前期も後期も足切りの憂き目にあって受験できず。早稲田大第2文学部は不合格。恋のさやあてだった茨城の高3生も筑波不合格。という顛末で終わった。)

4月11日(日)雨時々曇り

 12時間ほどぐっすり寝た。疲労いささか癒える。今は雨がやんでいる。ぼちぼち仕事にでかけよう。投票をすませて。

 吉祥寺に仕事の道具を取りに行って帰り、上石神井硯文堂にて村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第1部・第2部)(新潮社)揃いで500円は安い(定価計3,300円)。美本。店頭均一本にあったので、読むのかどうかわからないがともかく買っておいた。読むのかどうかわからないなんて!そう、俺は悪党さ。読書という罰せられざる悪徳の。

 つまりはこういうことだ。ささやかな家庭がある。妻と子ふたりの。年老いた母は郷里のおおきな家でひとりで暮らしている。年に1回は帰省し、なくなった父の墓参りをする。母も年に1回は上京する。(おう「東京物語」) 生活も、教育も、仕事も、自己実現も、なべて中途半端であり、自分の理想とはほど遠い。されど、生活はささやかながら、考えてみればお天道様に恥じるひとつの悪行もなく、夜眼を覆わぬ慚愧の後悔も自分にはない。閉塞と孤独と、癒されぬ追憶は魂に沈殿しているが・・・。

 「下天は夢云々」は謡曲「敦盛」とわかった。硯文堂にて立ち読みした結果。今から読もう。岩波古典文学大系「謡曲集」(上下巻)を。

4月12日(月)曇り

 石原慎太郎知事誕生。日経夕刊、全面広告にて「アルプスの少女ハイジ」(原作はヨハンナ・スピリ)のビデオ広告。このアニメは確か昭和49年(1974)に放映されたのだ。今を去ること25年前。画面構成は宮崎駿氏であるという。この一点においてかすかに現代とつながるのだ。アア懐かしいナ。確か主題歌のEPレコードをかったような記憶がある。大学受験の殺伐たる雰囲気の中で、このアニメだけが我が心の支えだったことを想い出す。クララ・ペーター・ハイジ。この日曜7時半のアニメは後々もアニメのゴールデンアワーになってゆく。(あらいぐまラスカルとかネ)

 干刈あがた、千葉敦子、森瑤子、夭逝した女性作家たち。あともうひとり、中野区鷺宮にお住まいだったある作家、8年くらい前に亡くなったかた、その方の名前を思い出せぬ。深夜妻とふたりで思いだそうとしたのだが。

4月13日(火)

 風が強い。5月中旬の暖かさだという。もっとも仕事が一段落しないとそんなことも関係ないが。我が社のU君のお母様の訃報に接す。2月にお父様の若い逝去にお弔いに行ってきたばかりなのに。2月日記 地上においては連理の枝、み空においては比翼の鳥よ。残された若いU君よ、がんばれと、はげまして、あげたい。 

4月14日(水)晴(一時雨)

 日経夕刊、社会面。「心の居酒屋」のヒットを伝える。高齢者が働ける居酒屋で、客の評判も上々だとか。なんでも経営するK氏はかつて倒産の憂き目にあったころ、おじいちゃんの店で救われたことがあるとか。とうちゃんの行きつけの喫茶店「天子峰」も大正14年?生まれのおばさん(註:とうちゃんの年齢ではこの歳はおばあちゃんではなくおばさんなのだ、井上陽水が歌った小春叔母さんなのだ、わかる?)が切り盛りしている。なぜかほっとしてしまうのも、頷けるよね。かわいい猫と老人と園芸と。

4月15日(木)

 みんなみんな忙しい毎日だ。しずこころなくはなのちるらむ・・どころじゃないよ。そんなある日、吉祥寺サンロードが五日市街道にぶつかるところのペットショップでアメリカンショートヘアの仔猫を見る。ぬわんと8万円だって。可愛い!しぐさに見とれてしまう。ああ猫を飼いたい。三毛猫でいいのだが。近くの東映隣の古本屋にて、絲屋寿雄「菅野すが」(岩波新書、1970)150円。荒畑寒村にとってのファンム・フェイタルだった彼女の激烈な生を想う。この評伝を読むと、先日の関川夏央・谷口ゴローのマンガの記述の正確さがよくわかる。日経夕刊、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「永遠と一日」を紹介する。病に冒された芸術的生の「最後の一日」。難しいテーマだね。志水辰夫「いまひとたびの」(新潮文庫)の淡い感動を想い出した。志水辰夫の文体は時として悪のりの感があるのだけど、なぜか許してしまうのだ。「行きずりの街」は教え子との交歓を描いた出色の小説だと思っている。

4月16日(金)

 岩波書店から「図書」第600号の見本が届いた。この雑誌とのつき合いもそろそろ30年になる。

 愛の奇跡ということがある。生命的なものは常に死に晒されている。この生命の本質を、たったひとつ覆せるものは「愛」しかない。一方、生命とは情報の伝達だと考えれば、そこにおける愛の働きとはなんだろうか?酔っぱらっていてよくわからない。愛の奇跡とは本来死の在るべきところに立ち現れたいのちである、といったようなことを稲垣足穂が書いていたのだが、うろ覚えで香気ある文をよく再現できない。「兵士トーマス」って映画があった。僕は自由が丘の武蔵野推理劇場で観たことがある。昭和52年頃に。(撮影はJ.オールコット 監督S. クーパー。 「2001年宇宙の旅」「時計仕掛けのオレンジ」「バリーリンドン」のカメラをまわしたオールコットは1986年に亡くなったそうだ。以上、「全映画オンライン」「IMDb」で調べた。)

4月17日(

 夜、高野台の古本屋にて、吉行淳之介「夕暮まで」(新潮文庫)、P.K.ディック「ヴァリス」(創元推理文庫、旧サンリオ文庫の版)などを買う。Yahoo!にて、Neo Planet5.0 b版を紹介する。同じソフトの2.1版をダウンロードしてちょっと遊んだ。インターフェースが格好いい。Opera といいこのブラウザといい、Internet Explorer5.0 の結局一人勝ちの情勢下でも個性的で軽いブラウザが登場してくるのが面白い。

4月18日(雨のち曇り

 DOS/V Magazine5月号(ソフトバンク)、ISDN導入術・ IE5.0小特集・自作デビューノウハウなどに惹かれ購入。早速 I.E5.0インストール。HTMLの上位規格XMLへの対応。HTMLってSGMLの下部規格だったわけね。XMLではTEXの世界を包合するかたちで数式の記述が標準化されるようだ。ほんと、数式ってやっかいだよね。小生の会社でもDTPでは数学や理科に特に苦労している。ライプニッツの時代には革命的な世界汎用言語だったのだが。(いまでももちろんそうだ)(今月の岩波文庫新刊 三上義夫「文化史上より見たる日本の数学」、関孝和の天才がもしこのような汎用記述言語を発明していたら、東洋の数学も異なった形で発展していただろうに。そのような発想ができなかったのは2バイト言語の宿命なのか。)CD-Rを買おうとするが、SCSIかUSBで迷う。56kモデムを買おうとするが、ISDN との比較で迷う。そうこうするうちにDVD-ROMが普及してきた。コンビニ「スリーエフ」ではSOTECのDVD-ROM搭載激安パソコン(12万位)のポスターが貼ってあった。店内でチラシを捜したがなし。店員もあまりピンときてないみたい。

 Microsoft ENCARTA「インタラクティブ英会話」自宅近くのPC DEPOTにて10,960円(税別)で買った。I.E5.0 と一緒にインストール。Microsoft の最新音声認識技術もあれよあれよという間にインストールされてゆく。もっとも、とうちゃんたちの英語の発音が拙いので、ほんとにまともに認識しているのかどうか分からないが。かれこれ数時間英語で遊んだ。結構いいよ。

 猫が欲しい。ねこだすけのサイトなどいくつか遊泳。大泉OZにてペルシャ猫58,000円。うへえ。世界で最も優美なのは猫科かもしれない。OZ改装前売り尽くしセールで、おしゃれなネクタイや子供のほしいものなどを数点買った。雨で鬱の晴れない休日だった。そういえばOZの本屋で、大野晋「古典文法質問帖?」(角川文庫)を立ち読み。なかなかの本と見た。我が高校の恩師鮫島正英先生の「難関大に挑む古典文法講義」(駸々堂)も優れた参考書だが、なぜこうした正統的なアプローチが等閑にふされ、三十年一日のごとき進歩なき古文参考書がはびこるのか。入試のせいとばかりはいえない。

 こういう短編小説を思いついた。中学時代の初恋の体験。それがあまりに鮮烈で、世界が一変してしまった少年。やがて少年は中年である。鬱々たる愉しまぬ日々。ある年、父親の十三年忌で帰省し、郷里のフェリー船の上で風に吹かれ、鴎とともに感傷にひたる。そして眼に飛び込んできたのは、老いた初恋のひとの落莫の姿だった。昔日のみるかげもない姿に打ちのめされる。法事は無事済んで、妻子と共に再び東京に戻る。今や彼には、もう、なにも、ないのだった。彼はゆるやかに老いていった。(すべてフィクションです)

4月19日(

 また雨。悲しいよ。巷に雨の降るごとく我が心にも涙降る、ってことか。宇多田ヒカルと藤圭子の親子関係、なんでスキャンダラスなの?よくわからない。昭和48年の暮れ(または49年か)、「恋の雪割草」のEPを買った俺。「○○のなかしんしんと雪は降りい積もおる・・・」この2文字が思い出せない自分であるが・・・。

4月22日(

 このところずっと晴れ。日経朝刊、交遊抄、国松滋賀県知事が山下肇東大名誉教授(ドイツ文学)との戦後五十余年の交遊を書く。国松という姓を聞くとドイツ文学者の国松孝二氏を思わざるを得ない。子息にあられるや?

 今日は初夏めいていて、町を歩く若い女性たちもみんな美しかった。某ファミレスにてコーヒー1杯で3時間半仕事をした。今日は母方の祖父が亡くなってから27年目の命日である。27年前の今夜、ぼくは郷里で初恋のひとと終バスで一緒だった、ということを想い出した。なぜそんなことを思いだしかつ書くかというと、こうやってHPの原稿を書いているからである。書いているから思い出すのである。思い出すから書かざるをえないのである。ここにおいて、このつまらぬHPが自分にもたらしたささやかな変化の功徳を思うのである。そう、Webは自分をゆるやかに変貌させてゆく。一見いかがわしい営みも、この僕には真剣なのだ。いろいろと誤解も招くだろうが・・・。

4月24日(

 昨日・今日と再び雨。Music Boulevardにて、Aphrodite's Child "Best of",Giles&Giles&Frippの幻の処女アルバム、King Crimson"Red", EL&PのFirstを注文。送料込みで$67くらい。まあ、最初の2枚が手に入れば安いものだ。慢性寝不足で頭がぼ〜っとしている。Kiroro のうたをWeb Radio ( I.E5.0 )で聴く。なぜか懐かしい曲想。雨で遠出も叶わず家で蟄居。朝は英語の勉強に精を出し、手製のピザを食べた後、午後はミニ実験教室と相成った。まずは電池を分解して二酸化マンガンを取り出し、これを触媒にしてのオキシドールの分解、酸素の生成。台所のスチールウールが激しい炎を出して燃焼し、酸化鉄?が残る。一家で驚嘆(したので写真をとるゆとりなし)。二番目の実験は、赤キャベツ(サラダにつかうアレ)を煮染めての「赤キャベツ液」づくり。見事な指示液ができあがる。写真はうまくとれていないが、右から2番目の瓶が、中性の状態で紫色。アルカリを加えると、青色から緑色に変化する。逆に酸性の液を加えると、きれいな赤色に変貌した。以上、石鹸水やアンモニア(キンカン)、お酢を使って実験してみた。割り箸の蒸し焼きなどもやってみたが、ぱっとせず。他にヨードチンキを使っての片栗粉のヨウ素デンプン反応なども実験したかったが、延期。家庭でもいろいろな実験ができるものだ。私が小学生の頃、濃い番茶(タンニン酸がでる)と、古クギを水に漬けたもの(水酸化鉄がでる)を混ぜてベルリンブルーという色素(インキの素)を作る実験をしたことがある。それをまたまた、三十年以上も経って想い出し、かつそれをHP上に書いてしまうのは、それはHPというゆるやかながら半強制的な書く場を分不相応につくってしまったことに因るのだが、それゆえの自分のゆるやかな変貌を、数々の誤解や嘲笑にも関わらず、愉しんでいる自分である。(以上の化学的記述はうろ覚えですので悪しからず)

 近くの古本屋にて、志水辰夫「情事」(新潮社、1997)600円。美本。やっと買った。中年の情愛小説。こう書くといろいろと誤解を招くだろうが、このひとの小説はなぜかいつもピュアで、いつも許してしまう。「いまひとたびの」「行きずりの街」「なぜか浦島」に次ぐ4番目の購入となる。(他に図書館で借りた小説あり) ジュブナイルもハードボイルドも、なぜだろうかいつもピュアなのだよね。

4月27日(曇り後晴れ

 ・「ねこネコくらぶ」という里親募集のボランティアグループとメールのやりとり。メールに添付していただいたネコちゃんの写真、家族にも好評なり。近く葛西臨公園まででかけてこよう。先立つこと日曜、関町南のペットショップ「コジマ」でネコの相場を確認したが、アメリカンショートヘアが5万円から。こうなってくると、まるでビジネスだな、こりゃ。

 ・谷崎潤一郎「猫と庄造とふたりの女」Baudelaireの「猫」など、猫に関する文学ベスト10なんてことを帰宅の途中で考えていた。もちろん、夏目漱石の「猫」や、ホフマンの「牡猫ムル」は入るとして、他にどんなのがあるんだろう。僕は寺田寅彦のエッセイ「ねずみと猫」「子猫」(ともに寺田寅彦随筆集(岩波文庫所収))なども好きだ。

 ・会社の隣のコミック&CD系古書店SEZAM。開店翌日に、酒井邦秀「どうして英語が使えない?」(ちくま学芸文庫)490円。開店記念に買ったのだが、基本的に定価の半額+税とのことだからあまり安い店ではない。

4月28日(曇り(夜から雨)

 ・術情報データベース「生成する目録」「データベース集成」、ここには「コーパス言語学文献目録」など有益なサイトが多い。はたまた「調査のためのインターネット」(ちくま新書)の編者のサイト「アリアドネ」。こうしたサイトを訪れるとインターネット本来の目的である学術情報の世界規模の公開ということがしみじみとありがたく思われる。南方熊楠が生きていたらなんと感激したことだろう。紀州の片隅に寓居しながら世界じゅうの書籍に通暁していた天才は・・・。

Photos of Ghosts

Black roses laced with silver
By a broken moon.
Ten million stars
And the wispered harmonies of leaves.
We werer these.

Beside a dried up fountain
Lie five dusty tomes
With faded pasted pictures
Of love's reverie.
Across each cover is written,
"Herein are Photos of Ghosts"
Of ghosts, of ghosts,
Of the days we ran and the days we sang.

Pete Sinfield にいさんのことが気になって、またまたYahoo!USAで調べてみた。Celine Dion のサイト。Call the man は彼の作詞だとわかる。次はイタリアのロックバンド PFM のサイトに飛ぶ。懐かしや。(だいたい掲示板にコメントしてるひとたちもよくま覚えてるよね)1974年頃の「幻の映像(?邦題忘れた)」と巡り合えた。上の詩が表題作。評者のいわく、Pete の詩のなかでも最も秀逸なもののひとつだと。「幻の、幻の / 我らのかけぬけた日々の、我らの歌った日々の」とでも訳す?このアルバムの冒頭の曲「河」は、その昔 NHK FMで録音したことがあるよ。25年くらい昔に。サイトで歌詞を見つけてうれしかった。しかもまた、Peteの"Under The Sky "というイラストレイションと詩の本が1974年に出版されていたこともわかり、そこでこんどはAmazonにジャンプして調べてみた。残念なことに版元品切れのようだ。しかしAmazon曰く、「貴公がここをクリックしてAmazonの古書店ネットワークに登録すれば、見つかったらメールで教えます」って!!さすがAmazon半端じゃないね。ほとほと感心したよ。つまりアメリカの古書店とも取り引きできるわけじゃないの。

 めったにレコードショップも覗かない忙しいだけの中年おじさんが、こうして25年以上前の音楽に再びめぐり会ったり新たな感激をするのも、インターネットがあるおかげだ。世界中に仲間がいると思うとうれしくなる。ああ、英語を勉強しよう。ちゃんと掲示板にコメントできるくらいに!と変な動機で決意するおじさんであった。

 田舎から母上京。羽田まで迎えにいった。

4月29日(曇り後晴れ

 志水辰夫「情事」読了。主人公をはじめとして登場人物たちはうまく書けている。しかし、志水辰夫のひとの良さというか主人公のノンシャランな闊達さには未だ抵抗あり。

 ついつい冒頭を読んでしまった村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第1部)、洒脱な文体に惹かれてついつい読み進めているところ。たまたまふたつの小説の主人公どちらも失業していて、萎縮することなく闊達なのが面白い。今日、石神井公園草思堂にて揃い3冊安く出ていて、しまった!と後悔した。(先日第2部まで店頭均一品で500円で購入したので)。草思堂にて、立松和平「神様のくれた魚〜ヤポネシア抒情紀行〜」(山と渓谷社)400円。副題に惹かれて。他に久世光彦の作家論集、伊藤左千夫に関する文を感激して立ち読みしたが買わなかった。ごめんなさい。男にとっての悲恋とは愛した女の夭折であり、いっぽう女にとって悲恋とは、自分を愛した男が落莫して老いさらぼうのを知ること見ること、とは蓋し名言なり。こんなアフォリズムというか独白を興趣深く立ち読みしたのだが。「寺内貫太郎一家」ってTBSで昭和48年頃人気を博したドラマで、絶頂期の浅田美代子がでてたんだよ。「東京電話」のCFは彼女やら西条秀樹やら小林亜星やら加藤治子やら当時の主演たちによるパロディなのだ。その演出をしていた久世光彦にこんなに親炙するとは思わなんだ。鴨下信一(最近では「高校教師」とか「人間失格」で著名)とならんで演出家出身の名文筆家だ。もっともいまさらこんな紹介をしては怒られるが、まあ一種の老婆心とやらでお許しを。(他に川村二郎の伊勢神道論(先生もここまで来てしまったの)やらマーチン・ガードナー「新版 自然界における右と左」などさまざまな本を立ち読み。この本屋って一見たいした本屋じゃないように思うのだが、時間をかけて書棚を閲覧すると、いろんな懐かしいいい本に巡り会えるよ。)石神井公園は照姫祭りの行列の最中だった。

 上京した母や息子たちと一緒に光が丘の100円ショップを覗く。侮るなかれ、上下2階のおそるべき店なり。いろいろ買い込む。夕方はファミレスCASAにて夕食。ま、たまには、いいじゃありませんか。親孝行の一環ということでネ。


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