自選詩集 2000.03.04 Ver1.0
消えてゆく恋の、これは最後のきらめきなのだ -ラシーヌ『アンドロマック』第2幕第5場-
To K.M. 1995年冬
あなたの横顔は
なんて美しいのだろうと思っていた
こみあげてくるせつない悲しみに目頭さえあつくなる、そしてぼくは
ぼくの魂に言い聞かせていた
性愛を想像させぬその美しさは
ぼくに全く無縁である故に美しいのだと
おそらく中年の薄汚れた人生に
なんの救済も貢献も啓示ももたらさない弱い美しさ
でもなんという美しい横顔だったろう
あなたは
まるで遠い日の、Mのように
柔和で暖かく、母性的な優しさに
ひかり輝いていたのだった
ぼくは遠い幼年の日の夕刻
あなたのようなお姉さんにいたわられて
街の彼方まで流れてゆく川沿いで
泣いていたような気がしたのだった・・・・・
足投のいえの(1994/10/31)
桜島桟橋はあいも変わらずだった
コーラの自販機と不良本返却ポストのそばに
自分が49年の夏に佇んだ場所はあった
山形屋で買った新潮文庫のヘルマンヘッセを抱いて
あのひとの帰りを待った夏の終わりの日
自分を探していた恋だったから
欲情はなかったのか
あの美しさがあまりにも郷愁的で
欲情の必要はなかったのか
遠い少年の日のいやされぬ悲しみの夕べに
ぼくは優しいお姉さんになぐさめられたような気がする
家はすぐ近くなのに
夕餉の煙は遠くたなびき
入りかけた夕日がの向こうに沈むとき
吹きかけた風に身震いして
自分は父や母とは違う自分という存在の深い悲しみにふれたのだ
想えばあの日、自分はあのひとと数十メートルしか離れていなかったのだ
あの家の畑をぬけて
階段を数十段かけあがり
小学校の庭からあのひとの畑に入って
階段を降りれば、あのひとの家だ
なんという甘美な近さに自分はいたのだろう
そうだ少年の日(小学4年かそこら)
中学生だったあのひとに
きっとぼくはなんどか会っているのだ
To AK (1994/5/20)
こころなしか今日の君は少しやつれてみえた
体を動かしたあとのものうい疲労は
若いだけにいっそうはっきりとその痕を君のからだに残すのか
君の明晰なほほえみも今日はいくぶんか影がある
清楚な制服もすこしくたびれている
近くに寄ればすこし汗くさいかもしれない・・・
ぼくはあなたのなかに昔昔の初恋を投影し
(だってあなたと彼女は同姓だし、優しい微笑もよく似ているから)
それをきっかけに全的な回復を果たそうとしたい
なのに
あなたの若いからだの魅力はぼくを無名性の放蕩につれてゆく
という悲しみ
あなたはどんな本を読んでいるのだろう
あなたの生まれた日にぼくはなにをしていたのだろう
ああ遠い故郷の桟橋の鴎の舞うもとで
あのひとの帰るのを待ったのはいつの夏か
ぼくは止まったままだ あれ以来ずっと
あのひとの帰りを待っている・・・
ジュースを飲む少女 1994/5/13
缶ジュースを飲む少女たち
すごくのどが乾いているんだね
初夏の夕刻 セーラー服が暑いね
汗ばんだからだ
疲れた・・・
うれしそうに笑っている
くすくす笑い
でも遠くをぼんやりとみつめるときは
すこし寂しそう
きっといいことあるよ
きっとうまくいくよ
夢のなかで 1994/10/24
浴場の裸のおんなの子たち
柔らかい乳房がぷりんとゆれる
僕がいるのに恥ずかしがらないなんて
僕は男ではないか、きっとそれとも幻のように淡い夢なのだ
夢みているか、それとも夢見られているという・・・
僕はあのひとのことを遠くからぼんやりとみつめていた
20年もの間夢にまで見た
かつての美しいひとの姿を
優しい眼差しは変わっていなかったが
やつれた悲しみがほおに映っていた
あのひとが小学生の頃、僕はあのひとの家の近くですれちがったことがある
優しいお姉さん・・・どこに住んでいるのだろう
名前はなんというのだろう
芸術の夢と、あのひとを信じ続けた夢と、古里と美しい自然と、大学の学問への夢と
あのころの自分には全部あった
上京して数年、一気にそれをうしなって
喪失の悲しみから、未だ快復していない
月日はたってあのひとも老いた・・・
事態の本質に気付いたときはすでに手遅れであるという悲しみ
最終的には詩が救う・・・
無題 1994/10/31
20年の歳月が流れてしまった
あのひとの娘や息子は
もうぼくのあのときの年齢かもしれない
悲しかったのはあのひとのふるまいではない
東京に来て
自分を見失い
目先の優しさに埋没して
やがてあのひとを忘れていった
自分のこと
恋は遠い日の花火ではない
蓑虫 1994/12/15
受かってしまったら
きっとあなたは変貌するだろう
春になり蓑虫が蛾になり
青虫がモンシロチョウになるように
冬の着物を脱いで
あなたははだかの乙女になる
過去のつらい思い出も忘れ
美しく、あでやかに
空に昇るはだかの乙女・・・
夢の中で虹をみた 1995/6/18
夢の中で虹をみた
突然の驟雨に駆け出してしばらく
空の遠く彼方に懸かった虹を
何時のことだろう
最後に虹を見たのは
海を渡る電車に揺られながら
夢の中で、ぼんやりと考えていた・・・
青春よ 1994/12/13
青春のひとつの時期の
かけがえのないよろこびが
あまりに深いので
中年の時期にさしかかっても
なにひとつ乗り越えられないというのは
それはひとつの滑稽な悲劇だ
本当はそれなりに成熟して
別になにひとつ進歩していないなんて事はなくて
子供たちは夢を抱いて幸せであり
別に自分も不幸ではないが
あのひのあまりにも甘美なよろこびの深さが
自分の奥底で自分を支えかつ自分を絶望させる
もうどんなに生きてもどんなに努力しても
あのような素晴らしい生のありようは
もう自分にはないだろうという確信が
あまりに深いから
自分は自分を信じられないまま生きてきた
青春よ 青春よ 晴れわたる空の深さよ
すばやく流れゆく高い雲よ
木々のざわめきよ 虹よ 海の青よ
船に吹き付ける風よ 波のしぶきよ
雪よ 長い雨よ
早春の嵐よ 桜よ
美しいMよ
美しいMよ
ああ22年前のあの秋の日に
自分は還りたい・・・・・・
もしもあなたが・・ 1994/12/10
もしもあなたが受かって僕が落ちたら
あなたと会えることも二度とあるまいし
もしあなたも僕も受かったとしたら
あなたはひとりで遠い世界にゆくだろう
開かれた、美しい、明るい世界に
そこには僕でない、誰か親しいひととゆく
ああ、不幸によって繋がれたかりそめの恋人
お互いの欠如をよりどころとする仄かな想い
しかしなんと甘美な不幸であり、欠如であることか
僕はひっそりとこの暗がりに蹲っていたい・・・
詩〜47年9月17日のために 1994/10/2
22年前の9月17日の日曜日
HS中学校の運動会の朝
僕はMさんと再会した
あの頃どんな本を読んでいたっけ
あの頃どんな曲を聴いていたっけ
あの頃9月の中旬ってこんなに残暑が厳しかったろうか
あの頃空は高く、様々の雲の形態はどんなにノスタルジックだったろう
あの頃葉のざわめきはどんなにロマンチックだったろう
そんな思い出を乗り越えられない僕は
月日過ぎてなお、この日を超えられずにいる
あなたが2階の教室の隅で
お母さんと弟と3人家族で、お弁当を食べている時のことを
覚えています
あなたが、鉄棒の横で僕に微笑んでくれたのを
覚えています
たったそれだけのこと、それだけのことです・・・・
芸術は、個々の経験に過ぎないものを普遍化して
ひとつの記憶、ひとつの体験、ひとつの思い出、ひとつの情念
これらのはかない悲しみ、これら過ぎゆく形象の彼方の失われぬ美しいもの、尊いものを
永遠のものにする
・・・・・残酷なことにあの当時の若い女性がTVでリバイバルする
衰えた容色は見るすべもない
失った若さの代わりに何かを得たのでないなら
過ぎ去った年月は何だろう、というのは残酷で
実は誰だって同じなのだ
愛の悲しみ 作成年不詳
遠いむかしのあるひとをおもってきよらかでかんびなかなしみがじかんとくうかんをこえてあおそらのかなたに
昭和47年の9月17日,秋というのに
残暑が厳しかった一日
あなたの残像
あなたの微笑
・・・・・・
ああ
あれから幾年月の流れたことか
美しい女性
優しい子
可憐な子
うつくしい肢体のおんな
たくさん巡り会ってきた
けれどあなたを忘れることができない
1999/7/27
船に乗るまえの日の
息子2人の,いささか緊張した気持ち
は
よくわかる
去年のいまごろは
沖縄から鹿児島にとんで
魚釣りに興じていたっけが・・
成長したことは多く
あらたな悩みもあるが
ともかく家族はみな元気です・・・。
1999/1/25
あの元旦の日に、木に懸かった、あの凧は
雨にうたれて、校舎の屋上で、
萎れていることだろう・・・・。
昭和47年の晩夏の或る一日のために
今日も会えなかった
クヌルプ(新潮文庫)を抱いて
HS小学校のはじっこの焼却炉のところや
(というのもそこからはあなたの家の畑にすぐに侵入できたので)
国道を見おろす畑の階段の所で
ひがな一日待っていたのに
夕日は美しく
ぼくの夏は短い
庭の先からは
茫洋とひろがる海が眺望できた
やがて寮に帰るのだ
あなたの思い出を抱いて
夕日は美しく
僕の夏は短いと
やがて巡り会うぼくの友達に
美しかったあなたの面影を
語ることもあろうと
あゝ ぼくは悲しかった・・・
(この悲しみを昭和71年3月20日の午前12時45分に記述する)
After a banquet (for S.H.) 1997/4/30
宴のあとで宴のあとで
この再会が夢のように美しく汚れなきものであるように
手際よい別れのことばをさがしていた。
現世のおんな 1996/7/28
この前会った時は、子供子供していて
いい香りがしてたけど幼くて
にっこり微笑んでくれた君よ
今宵、ちょっと陰がある仕草で
にらみつけるようにぼくを見るのか
なにかあったのか
君の肢体、短めのスカートがくるむ足は汗ばみ
君を抱きたくなった
抱いて共に現世の憂いを散じて
生と死の狭間で
いまここに、いまここに生きていることを
確かめあおうか
とうちゃんのしごと 作成年不詳
とうちゃんのしごとは、見知らぬ町をてくてくとあるいて
黄色い紙のパンフレットをポストにいれることだよ
黄色い紙は年中変わることがない
黄色い紙をみてお電話をくれると、とうちゃんにもボーナスが
はいるのだけれど
そんなことは年に何回かあるだけさ
とうちゃんは毎日毎日、あつい日も雨の日も
みしらぬ町をてくてく歩く
浦島コンプレックス S H さんへ
自分自身は老いない
自分自身は成長しない
自分自身は変貌しない
おんなは成熟する
おんなは老いる
おんなは子どもを産む
おんなは死に慣れ親しんでいる
きのうあどけない少女が
きょう人妻としてあでやかに笑う
でも小走りに走る様は少女のまま
Mへ 1993年
貴方はとうに忘れているだろうけど
僕は時々あなたのことを思い出す
こころのひどく疲れた夜に
貴方は僕が立派な生活をして
故郷の貧しさや青春の悲しみを忘れ果てていると
まれに何かのついでに思うこともあるかもしれないが
お互いの生活は喜びや悲哀に彩られて
あのころとちっとも変わっていない心情があるのを
わかってほしい
あれから20年余りも流れて
あなたも僕も年をとった
あのころはあなたは18僕は15だったけど
今や僕も37互いに中年なのは
同じだ
(おいついた感じ)
僕がもう少し軟派なやつだったら
もっと親しくなれたのかもしれないが
たった2通の手紙と
偶然のデートだけで
終わってしまったのは
悲しい気もする
あのころは世界のすべてが輝いていた
桟橋 鴎
岬 夕日 虹
木々のざわめき 雑踏の孤独
受験勉強 岩波文庫
(生きることがすごくさびしかった)1995年
生きることがすごくさびしかった
汚れた血色の悪いからだ
疲れたこころ
小学生のころ夜更けの受験勉強で憶えた漢字
遊説や詩歌、そして成就
あのころの大志はどこへいったやら
知恵のひとかけらもやる気もない自分
ひどく疲れてさびしい晩には
はやくやすむのがいいのです
いじめはホモセクシュアルなサディズムだと
つくづく思うこの頃です・・・
詩〜あのことを覚えているのはぼくだけ 1995年2月
あのことを覚えているのはぼくだけ
あの初春の朝
あなたのひとみにうつった美しいひかりを
瞼の裏にたいせつにおぼえているのは
たぶんそれはほんとうだろう
ぼくには真実のものはすくなかったが
あれだけはおそらくぼくだけに与えられた天啓のようだ
長い年月をこえて
いきている・・・
ああうつくしかったひとよ
あなたすらわすれた
ひかりかがやく一瞬のことを
ぼくはたいせつに瞼の裏で
覚えています・・・・・・・・・・・・・・
(夜更け渋谷から・・) 1995年2月
夜更け渋谷から中目黒に帰る道の途中で
(それは満月が中天に懸かるよく晴れた夜だった)
ぼくはひとりのおんなの子とすれちがった
そのプロフィールはかつて僕が故郷で見たあのひとと似通っていた
夜の魂にともされた焔
(なぜならぼくの心象といえばまるでその夜の漆黒に似ていたから)
いまからおもえばついこのあいだのことであったけど
当時の僕には遠い昔のことのようだった、あのひのあのこのプロフィールが
僕の魂に焔を灯したのだった
まるで遠い航海から故郷に帰ってきた船乗りが
かつての恋人の姿をもとめて港をさまようように
ああ うつくしいひとよ と僕はこころのなかで叫ぶ
けれどもふりむいたそのひとは
醜悪な化粧で彩られた女
ロマン的な心情と淫猥な欲望と
純朴な向上心と怠惰をむさぼる幼稚なこころと
ふたつがぼくのなかに同居していた
ああ、中年になって今おもう
あの青春の秘密あの時代の精神の過誤の履歴
それをつぶさに検証しながら
自分のいやしい全貌を自分の気高い全体を
回復させる術はないか
そのことをゆっくりと、自分はうずくまって考えていたいと
(未完)
(海の一日)1995年
時としてふたりの息子が
すごくいじらしくなる
例えば足投のMisakoちゃんの家で
3人して意気投合して
坂を下り磯にでて、辺の小動物を探そうと
勇躍草をかき分けて、ママの勧告も無視して、はしゃぐとき
まるで父親が長男のようだ
自分だけが遠い昔に帰っている
でも浜辺は悲しかった
昔の記憶では
いそぎんちゃくや牛やなまこやうにや
いかやえいやかにや・・・とにかくたくさんいたと思ったのに
(今考えると不思議なほど、昔の光景が甦ることだ)
もうそこには、数匹の蟹しかいなかったよ
意気消沈する自分だけど
子どもたちはうれしかったみたい
それくらいなら江ノ島でもみられるんだろうけど
すごく喜んでくれた
ああ限りなく熱い夏の日
麦わら帽子をかぶったママと4人で
海辺づたいの坂道をくだり
へでた日の思い出を
君たちはやがて忘れてしまうのだろうか
それとも謎めいた古い記憶となって
いつの日か懐かしく不思議に思うのだろうか・・・・・
(郷里の港の) 1995年6月
郷里の港の
20年前と変わらぬ
不良書籍のポストだった
まさか20年前と同じポストではあるまいか
いくら成長のとまった町だからといって
すこし悲しくすこしおかしい
あの頃父は存命で
ぼくは若かった
世間の世渡りなぞ全く分からぬほどに・・・
そのポストのそばで
昭和49年の夏
ぼくは待っていた
山形屋で買ったヘッセの新潮文庫を抱いて
(その文庫には山形屋のカバーがかけられていた)
その文庫は今はあるか?
あのひとを待って・・・
その薄い文庫を読んだ訳でない
でも本はヘッセでなくてはならなかった
あれから21年
晩夏の港で純情を果たした少年は
結局あれから何も果たし得ず
あいかわらずつまらない夢を追っている
晩夏の港はなんと多くの生活者が流れていったことか
生活者
詩〜名前 (漢字で 8文字・・ 1995年12月
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一瞬たのしい夢を見させてくれた
昭和50年の冬の
フェリーの
あの子と僕がもっとも近づいた瞬間の
ときめきを
ぼくに呼び起こさせるほどに・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
何日君再来 1996年2月
昭和50年の夏休みのことだった
谷山に向かう市電の中で
向かい合わせにあなたが乗ってきた
声をかけようかと思ったけど
あなたかどうか分からなかった
あなたは大人になっていた
あなたはよく笑ってくったくなく
僕をみてこっそり笑った
おう天使よいつの日か君に再び会えようか
おう天使よ君の毎日は幸せか
いつのひかいつのひか君に再び会える?
僕はそれからたいして進歩していない
安心して・・・あなたのことを今も好きだ
激しい恋情というのではないけど
やっぱり恋しく懐かしく思う
月日はあっという間にたった
長かった19年 短すぎた19年の歳月
君の手すら握らなかったけど
手紙は3回君に書いた
おう天使よ何時の日か君に再会できるのか
老いた君に会うのは悲しいけど
でもやっぱり
何時の日かいつの日か君に再び会いたい・・・・・・・
自己愛の起源 1999年
国分の西小学校の小学1年のときの秋の遠足
どこか馬小屋のそばで,可憐なりんどうを見た
そんなことを突然,43歳の暮れの忙しいさなかに
突然想い出したのだ
おう可憐な幼年時代よ,ひょっとして
初恋の思い出の甘美も,また
自分に寄せる思いのせいではないかしら
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Rを連れて,古書店巡りの楽しみを教える
Rといった,埼玉の昆虫館
Rといった,親父と2人の,猿島の思い出
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おお,好きなひとがいますか?
話をしたことはないけど
そばにくると胸がときめく
そんな好きなひとが,いますか?
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