最終更新日1998/11/28

11月2日(月)体力の衰え

 先日鬱々とした気分を散ずるために、夜、息子二人と散歩に出かけた。南田中のツタヤまで徒歩15分くらいあるので、軽運動にちょうどいいと思い、バイオハザード2の攻略本(アスペクト刊)をエサに息子二人を誘った次第。たまには走ろうと思いたち、かけっこで競争した。はじめのうちは大股の分だけとうちゃんが優勢であったが、それもつかの間。たちまち、なんの苦もなく疾走してゆくふたりに置いてきぼりにされてしまった。ちょっとしたショックであった。その日の晩、腕立て伏せをしてみると、なんと1回もできない。すなわち、腕を曲げてゆくと体を立て起こす前に沈没してしまうのである。いつの間にか体力が随分落ちてる。ところで40歳の俳優氏、三船俊郎の愛娘と結婚。愛娘なんと満16歳の誕生日を迎えたばかり。なにやら一目惚れで交際を始め、結婚できる歳になるのを待って即入籍に相成ったとか。こんな恋愛もあるんだなと感心することしきりであった。

 夕方、中村橋の小僧寿司まで寿司を買い出しにサイクリング。富士見台駅前の山本書店、例によってたいした本なし。たまにあるが値段に魅力がない。そのそばにとうにつぶれたと思っていた貧相な古本屋が復活していた。本当にぼろぼろの古本屋で、よほどの物好きでないと近づかない位、貧相な雰囲気を醸し出している。ま、そういうのも性に合うので、自転車を店先に止めて入店。鍵もかけない。というのもちょうど八百屋と同じでこの店には扉もないのだ。夜店風といったらぴったりだろうか。とうちゃんは、昭和60年の1年間、このそばの塾教室で教鞭をとっていたので、この界隈のことは詳しいのだ。この店は、かすかな記憶によれば、この先千川通り沿いのとある古書店の出店だったような気がする。もっともその古書店もいまはどこにいったかわかならいが。というわけで、さんざん貶したけど、はきだめの中に鶴が眠っているように高貴な本もたまにある。10年ほど前、林達夫著作集全6巻(平凡社)を6000円位で買ったのはたしかここだった。今日も大半は相変わらず駄本だったけど、野上弥生子全集(岩波書店)がおくにひっそり眠っている。その脇に、可哀想に立原道造全集第1巻(角川書店)が埃をかぶって眠っていた。箱は汚れていたけど本自体はそんなに痛んでない。けれども3500円という値段をみて今回は敬遠することにした。2000円なら迷わず買うんだけどな。半端本だから値切ろうかとも思ったけど、品性を欠きそうでやめた。

 夜の道を近くのF女子高の高校生が下校してゆく。暗がりのセーラー服。みな翳りある美少女といった風情だ。すれ違ったきり再び逢わぬ少女たちであろう。そのことに深い哀惜を覚えた。

 今思う。今日もまたつまらない一日だったが、富士見台から中村橋にかけての新旧の家の交錯する町並みや、13年前の記憶や、当時の教え子たちの思い出や、すれ違ったF女子高の少女たちや、汚れた古本屋や、寿司屋の買い物や、鬱々たるサイクリングやらで、幾分か救いなき生にも微かな燦めきの存するのを。

11月7日(土)

 先日、静岡のあべの古書店から、山口瞳「血涙十番勝負」(講談社、昭和47年)が届いた。土曜にメールを送って、月曜発送。あいにく火曜は祝日で到着は水曜となったが、なにしろ対応が速い。書籍小包だから送料も310円と割安である。振り込むのは着後でかまわない。本の代金とこの送料だけ。あとは一切かからない。ここから本を買うのは2回目だが、本当に良心的である。包装もしっかりしていて、厚いビニール袋と緩衝材(プチプチ鳴らすあれ)で丁寧に包んである。それと、全体に美本が多い。今回届いた本はパラフィン紙ではくるんでなかったが、なにしろ綺麗な本である。その種のことに関心の薄い妻でさえ、きれいな本ねえ、と感心してくれた。栞ひもは1度も取り出されたことがないようで、頁を開き、栞ひもをつまみとると、まるで26年の長い眠りからさめたかのように、かすかについたひも型のくぼみの寝床から、栞様は起きあがったことである。ま、ここまでは古書でもたまにあることでそのことだけなら別に不思議ではない。だけど驚くのは天の部分の美しさである。わが書斎の本など、数年もたつと埃がびっしりと堆積して、はらってもぬぐいがたい汚れが残ってしまう。今回の本にはわずかなシミを除けば、埃のついたあとなど全くないといっていい。とうちゃんは、今もこの本の数奇なる運命を空想せざるをえない。静岡の旧家のどっしりとした書斎の、ガラスつきの書棚の奥に、1回も読まれることなく26年間眠っておられたのだろうか?そしてご主人の逝去にともない、遺族が放出したのだろうか?本の敵は、湿気・煙草・紙魚・埃・日光・女子供などであると思うが、このうちとうちゃんの書斎の本が免れている災禍は日光ぐらいであろうか。とうちゃんは生来のケチ根性から一度も古本屋に売り飛ばしたことがないので、購入してきた本はほとんどすべて(廃棄した雑誌類-「図書」とか「日経バイト」など-は除き)この狭い書斎か田舎の実家に保管してある。まあ、それくらいは美徳(悪徳?)といってもいいかもしれない。むやみに捨てられるおそれはないのだからネ。

 定価580円のところ購入価格1500円には妻はちょっと驚いていたが、まあ物価の変動を思えば安い類だろう。こんな会話の後にはすぐさまプレゼンテーションしておくのだ。「ほら、この昭和46年の雑誌「遊」創刊号、定価620円。これね、池袋の古本屋高野書店(いまも健在か?ひょっとしてたもかぶに買い取られてしまってたりしないでね)で5000円で手に入れたんだよ。」この会話をとうちゃんが稀覯雑誌を妻に自慢してるなんて思わないでほしい。こんなPRを折に触れてしておかないと、場所ふさぎの古雑誌のことだ、いついかなるリストラにあわぬとかぎらぬ。そのための会話であり一種の保険なのだ。(世の亭主各位は頷いてくださることだろう)

 内容にふれるのがおそくなった。川端康成「名人」(新潮文庫)、阿佐田哲也「麻雀放浪記」(双葉新書、角川文庫)「新麻雀放浪記」(文春文庫)、団鬼六「果たし合い」(幻冬舎アウトロー文庫)など、囲碁や将棋や麻雀を扱った小説は好きで、たまに読んでいる。この「血涙十番勝負」作者の山口瞳が上手飛車落ちで錚々たる棋士たちと勝負をする、その自戦記である。将棋好きのひとにはなかなか楽しい本だろう。将棋の得意でないとうちゃんでもじゅうぶん楽しめる。というのは、錚々たる棋士たちの思想・行状を洒脱な文章で記すことで、人間論としても読める仕掛けになっているのだ。登場する棋士たちは米長邦雄八段、中原誠十段・棋聖、芹沢博文八段、大山康晴名人・王将・王位(段位などは昭和47年当時のもの)など。楽しめますよ。と同時に自戦記というのは本当に骨身をけずるつらい側面もあるのだろうな、と、洒脱な文章の背後の苦労にも思いをいたす。運良く勝った場合でも、当然のごとく敗れた場合でも。

 阿佐田哲也「新麻雀放浪記」を今年の冬に読んで、これは阿佐田哲也の「ウィルヘルム・マイスター」のようなものかと興趣深かった。それほどに教養小説の格好が見事であったけど、この山口瞳「血涙十番勝負」は、したたかに仕組まれた優れた人間論(しかも愛情に満ちた)であると、とうちゃんは思うのである。

11月8日(日)

 長男は、朝とうちゃんと「速さ」の勉強をした後、友だちと石神井池に釣りにいってしまった。ころあいを見て石神井池で合流。小遣いを与えて、とうちゃんは三宝寺池を散策。晩秋の散策を楽しむ。公園で捨て猫をみつけてソーセージを与えたが見向きもせず。案外高貴なる猫かも。毛並みも上品だった。頭をなぜてやる。その後、草思堂にて丸山健二「自選短編集」(文芸春秋)定価3600円のところ1000円で購入。美本なり。丸山健二実は読むのは初めてなり。今朝の日経浦田編集委員の特集記事に触発されて。解説川村二郎というのも安心なり。午後はPC DEPOTでUNIX雑誌など立ち読み。夕方は、長男を富士見台のパーマ屋に連れてゆく。待つ間、例により清貧古本屋群を回遊。踏切前コミック系古本屋で、開高健「青い月曜日」(文春文庫)、蘭学事始(岩波文庫)を買う。北上して商店街の終わりにある新井書店のなかの様子を覗いて引き返す。駅前商店街魚屋の奥にある貧相古本屋の店頭でしばらく探索。ああ富士見台の古本屋はどうしてこうそろいも揃ってボロなんだろう。都合5軒もあって軒並みボロなり。でも、まあいいか。なぜか心地よい幻滅にひたりながら長男と一緒に家路に向かったことであった。帰り道文房具屋でトレーシングペーパー20枚購入。1枚15円なり。本のカバーにしてみよう。

 WWWで稲垣足穂の精密な書誌を見つけた。南ノ島図書館ってどこにあるんだろう。

11月10日(火)

 上石神井にて玉村豊男「種まく人」崎山克彦「何もなくて豊かな島」(いずれも新潮文庫の新刊)購入。晴耕雨読と隠遁へのほのかな憧れのせいか。あわせて850円たらずで助かる。

 日経夕刊、久世光彦のコラム。歌謡曲における「死」のアレゴリーについて。川内康範讃。先般読んだ氏の「マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)と同工異曲かなとも思ったが、それでも気に入ってべりべりと破って取っておくことにした。

11月12日(木)

 昨夜は石神井公園に寄り道して帰った。夜の石神井池静謐なり。駅前古書店「草思堂」にて閉店間際につげ義春「貧困旅行記」(晶文社)1250円で購入。寝床で横になって、本の感触を愉しみながら読んだ。やっぱり新潮文庫でなくこちらの版を買ってよかったと思う。人生の、ささやかな幸福を感じる。はじめの2編をていねいに読んで、みたされて眠った。

 昨夜のソフトバンクZifDavis、日立のBeOS搭載機のニュースを報じる。ハードディスクが大きくなって、目的に応じて複数のOSを使い分ける時代になるのかもしれない。してみると新しいOSにもじゅうぶん活路はあるわけだ。

 今夜のNHK総合10時から、建築家立原道造の特集を組むと新聞にある。我が意を得たり。録画しようっと。

11月13日(金)

 昨夜のETV特集「建築家立原道造の世界」実はNHK教育だったのだ。家に帰ったときは、悲しいかなビデオはNHK総合の別番組を録画してる最中だった。番組の終わりの10分ほどを観る。立花隆と建築家(誰かな?)との対話。建築家としての立原に光をあて、彼の若い晩年の九州旅行の意図を解く。精緻な読み方に感心した。番組終わりの、若い女優の妙な癖のついた甘ったるい朗読には辟易したが・・・。

 詩人鈴木志郎康氏のホームページに先日の日経の文章が再録されていた。詩人の間でも反響が大きいらしい。そのやりとりから、詩人清水哲男氏のホームページ「増殖する俳句歳時記」を発見した。毎日毎日更新してゆくこのホームページで、詩人は歳時記の集大成を完成させるらしい。

11月14日(土)

 つげ義春「貧困旅行記」読了。後半部は読み進めるのが惜しいくらいの気持ちになっていた。文章も味わいがあるし、教養もある。「栄華の巷を低くみて」ではなく「陋巷に落ちてゆくことへの秘かな願望」といったものが、小生にもあるのだろう。紀伊国屋BookWebに、実弟つげ忠男(1941年生)「釣りに行く日」(晶文社)を注文しておいた。

 昨夜は早く眠り、深夜にごそごそ起きて、寝床で丸山健二の短編「」を読んだ。小説に喚起されてか、人生の来し方行く末を思い、しばし思いに耽ったことだ。

 今朝は近くの大丸ピーコックが開くのを待って、ファイナルファンタジー7攻略本(アスペクト刊)、DOS/Vマガジン12月号(ソフトバンク)購入。教育センター付属図書館で、楡周平「ガリバー・パニック」(講談社)と「地球大紀行」第6・7巻を借りる。

11月15日(日)

 つげ義春「新版 つげ義春とぼく」(新潮文庫)を上石神井の本屋で買った。清水哲男氏のホームページのリンク集から、詩人永瀬清子に関するサイトやフランス詩に関するサイトを知った。永瀬清子は平成7年に89歳で死去した女流詩人の草分けである。「諸国の天女」をご存じか?ボクは自分の母の失われた青春の悲しみをこの詩で窺い知ることができる。生前の女史の朴訥な朗読をこのサイトでRealAudioで聞くことができて、目頭が熱くなった。フランス詩のWebでもボードレールやランボオの詩の朗読が聴けた。憧れのフランス詩の朗読。若い頃丸善で買いたかったのだが・・・。時既に遅しという感じでむしろ悲しかった。

11月18日(水)

 獅子座流星群の見物に出かけた若者の事故死が、3面記事の片隅に小さく報じられていた。2件の事故で4人が亡くなったという。彗星は夭折を誘うのだと、稲垣足穂の「僕のユリイカ」にある。遼遠な美・遼遠な巡り会いの最中の唐突な死。不幸としかいいようがないのだが・・・。亡くなった方のご冥福を祈るや切である。

 晩秋である。・・・・・。喫茶店「天子峰」で読む魚戸あきら「家栽の人」(小学館)が僕の救いである、と書いておこう・・・・・。

 焼き芋を売る車の哀切漂う呼び声。焼き芋のいくつかを持ち帰ることで、ささやかな幸福に家族がひとつになるのなら・・・。という感傷も書いておこう。・・・・。まあ、いいじゃあ、ありませんか。

11月21日(土)

 雑用が多く、疲れのたまる日々である。生き生きとしたひとがうらやましい。魚戸あきら「家栽の人」も5巻を過ぎて、完全無欠で誠実な主人公判事に現実離れを感じるようになった。

 今朝、兄弟の学芸会を観に、F小学校にでかけた。昔小学生を教えていた頃もここの児童が多かったっけ。子供たちの合唱に、何度か涙が零れてきた。今ここのいのちの輝き、それは、観る者も演じる者も、歌う者も聴く者も、この瞬間にも生まれては消え移ろってゆく。継起しては移ろうその生の一瞬一瞬を子供たちと、彼らを観る我々が共有していることのせつなさを想って・・・。うまく書けないが。

11月23日(月)

 図書館で借りた本、鳴海風「円周率を計算した男」(新人物往来社)、江戸時代の和算の大家建部賢弘の生涯を書く。数学者ましてや江戸の和算を書いた本って珍しいので借りて読んでるところだ。筆者は東北大の大学院を出た技術者とのこと。とうちゃんも円周率には昔から興味があるのだが、悲しいかな数学3C以降にはとんと疎いので、あるところからちんぷんかんぷんになってしまう。大野栄一「パソコンで挑む円周率」(講談社ブルーバックス)、BASICによる手作りプログラミングとの格闘が清々しい本。とうちゃんはこの夏、長男に円周率を教えるため、茶筒の直径と円周を測ったり、方眼紙にコンパスで円を書いて円の面積を升目を数えて推定してみたけど、このくらいの作業でもまあまあの数値にはなるのだと妙に感心したことだ。小倉金之助「日本の数学」(岩波新書)、森銑三「おらんだ正月」(冨山房文庫)、吉田光邦「江戸の科学者たち」(現代教養文庫)。中山茂「日本の天文学」(岩波新書)。

 他に図書館からは、森村誠一「星の陣」(上下巻、カッパブックス)半日で読了。横暴を極める暴力団を、旧日本軍の戦友である老人7人が旧式兵器で壊滅させるまで。面白い。買った本。ASCII 12月号。平凡社の世界大百科CDROM版の期限付き試用版つき。ほぼ全データが収録されているようで感動。さっそく操作してみた。「王」観念に関する解説のように諸学問を横断して概要を知るには便利だと思った。

11月26日(木)

 ビッグコミック、谷口ジロー「遙かなる町」完結。結局主人公の夢という落ちで終わった。中学生になった主人公は久しぶりのアルコールに酩酊し墓石の前で眠る。生死を司る蝶の輪舞のさなかに主人公は夢から覚め、出張先から自宅へ舞い戻る。無事帰り着いた家庭で、妻や娘と会話しながら、自分が家族をないがしろにしていたことに気づく。ちょうどそこに、かつての同級生の父が書いた本がリビングに届く。それは、「遙かなる町」という1冊の本であったという、落ちである。その書物は物語の中ではついに開かれることはないが、おそらく中年の男が不思議なちからで中学生の自分に還り、かつて失踪した父を救い出そうとする物語なのであろう。ここにきて、プルーストと同じ物語の入れ子構造に少し胸ときめいた。結局、壮大なプロットに勇敢に立ち向かったマンガであったが、力尽きたという感じがしなくもない。でもいい夢を見させてもらいましたヨ。

 マンガの表現手法の場合、主人公の独白といえども主人公を絵として写し出さざるをえない。つまりは読者と作者を結ぶデウス・エクス・マキナともいうべきカメラの存在が不可欠なわけだ。だから中学時代の片思いの子と、意識は中年の主人公との可憐な恋を、読者は<客観的に>眺めるのである。主人公の夢に終わった半年近い過去への遡及に酔った読者にとっては、だから夢という落ちは腑に落ちないところでもあるのだ。そんなことを会社からの帰路ぼんやり考えた。

 このところ寝る前に書棚を眺めても読む本がないので、しかたなく「座談会 わが文学、わが昭和史」(椎名麟三、武田泰淳、中村真一郎、野間宏、埴谷雄高、堀田義衛、筑摩書房、1973年)を読む。このときの出席者は皆故人となってしまった。25年前に天文館の本屋で買った本である。たったそれだけで、私の時間と空間はそこに飛び、ささやかな郷愁に浸れるのだが。それでも私は寂しい・・・。

 岩波文庫のサイトから、「文學のためにできること」へジャンプした。「骨ひろうひとにしたしき菫かな」(蕪村)

11月28日(土)

 仕事のついでに、吉祥寺の古本屋「三角堂」に寄った。南口東進ハイスクールのそばである。以前はたいした本屋じゃないなという印象を持ったのだが、今夜隅から隅まで眺めてみて、ちょっと面白い本屋だと思った。駄本も多いのだが、珍しい本も多いのである。珍しい本も多いのだがきどっていないのである。珍しい本といっても、まあ、絶版の文庫とか詩集とかそういう類なのだが、なに格好つけるのでなく、飄々と書棚に並んでいるのである。さすが吉祥寺、カウンタカルチャの懐が深いのだなと感心したことである。安岡章太郎「良友・悪友」「質屋の女房」「辺の光景」(ともに新潮文庫、すべて100円)と、つげ忠男「つげ忠男劇場」(ワイズ出版、1500円)を買っておいた。

 朝方は雲一つない快晴で眩しい光が心地よかったのに、夜は寒風が吹きあれていた。King Crimson "Lady of the Dancing Water"を歌いながら自転車をこいで、家路に向かったことであった。

    Blown autumn leaves shed to the fire you laid me

      Burn slow to ash just as my days now seem to be

歌いながら自転車に乗ってると、時々若い女性が振り返る。へんなおじさんッ、と思ってることだろう。

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