8月1日(晴れ

 今朝の日経朝刊、辻邦生「のちの思いに」遺稿(「誰もが憧れた福永武彦」)。第44回目の連載であった。

 灼熱の夏が続いている。今朝も快晴。遠い夏の日のことをまざまざと思いだした。

8月3日(晴れ

 後藤明生氏逝去。あっと驚くような作家の死が続いて、ささやかながらこたえているのだ。

 ノルウェーの会社の立ち上げた世界最大のサーチエンジン、お試しあれ。Rilkeで2万件のURLをたちどころに返す。Altavista より上手なの?(世界中のURLは8億個に及ぶのだと。そのうち2億個をカバーする怪物エンジンらしい。)

 とあるヴェンチャ企業の社主と某社社長の会談に同席。インドのデカン高原あたりで、アメリカのソフトウェア会社のソフト開発が、鋭意進んでいるとは、以前からの情報だが、いまやその地区では、地代も人件費も東京を超えているのだとか。インド・中国。シンガポール・台湾・香港・マレーシア。おう日本はどこへゆくのか?アジア諸国に追い抜かれて?と、いささか憂国の情にかられるとうちゃんであった。数学とコンピュータと語学が、国の将来を左右すると。ならば国語はどうなのかと。さらば歴史や地理はどうなのかと、怪訝に思うのであるが。事実ではあろうけど。

 息子ふたりが、「少年の船」から帰ってきた。久しぶりに帰ってきた実家の、さまがわりした様子や、ちょっとした変化に懐かしい思いをした少年時代のことを思いだした。ここから、息子を通じて、少年の時代の自分に帰って感傷にひたる自分がいた。そして、灼熱の夏の空に、いたたまれぬ郷愁を抱く自分がいる。そう、自分は、いかなる妥協も排し、いかなる折衷も排して、自分そのままであろうと、おもうのだ。が・・・。

8月5日(晴れ一時雨

 辻邦生の逝去を悼んで日経夕刊の名コラム「鐘」は、匿名氏が学生時代に読んだ「安土往還記」を枕にして本来的な読書の有益性をといている。今晩はツタヤにて氏の中公文庫の新刊の扉の写真を眺めていて、つくづく思った。辻邦生は美男子だ、って。ぼくがおんなに生まれていれば、間違いなく憧れた作家になっただろう。作家の風貌は、作品の履歴だから、その凛々しい美しさを、いま、書くことは、いささかも間違っていない、と信じている。

 「夜道ですれちがった暗いプロフィールが魂の蝋燭に火をつける云々」とは稲垣足穂の「姦淫への同情」の一節だが(うろ覚え)、そんな風に、会社からの帰路時折美しい少女とすれ違う。美しいからだ・美しいこころ。ま、いつもの帰り道だから、また逢うこともあろうかと思うのだが、なかなか再会はしないものだ。・・・・・・・・・・・。チェーホフの「犬をつれた奥さん」、人口によく膾炙した末節。中年男は、肉の遊び、肉の戯れとおもっていた逢瀬の果てに、純愛に巡り会ってうろたえる。それというのも、自身の老いの予兆は生活にびっちりと不潔にこびりつき、精神的に気高いなにものも、彼を援護してはくれぬ。なのに。いかがわしい愛は、とあるとき、彼を無償に救おうとする、ことに驚愕して。あの当時のロシアと、バブル崩壊後の日本と、どこが、違う、のだ、ろう?

8月8日(晴れ

 昨日、吉祥寺さかえ書房にてS.ラング「解析入門 原書第3版(岩波書店、1978)。2600円。(他にはクルチウスのヨーロッパ文芸論集(みすず書房)。5000円には手が届かず) なにしろ高3のはじめの頃、文系に決めて数3の途中でとまったきりだった微分・積分を、最初からもう一度、というもくろみなのである。これも人生の何かの節目なのだろう。昨日から読み始めて90頁くらいまできたところ。

 2の-2乗や、2の1/2乗という定義は、指数法則の簡単な拡張から導かれる。しかし2のルート2乗とは?どういう意味があるのか?はたまた、なぜ自然対数の底に e が便利なのか?なぜ、sin,cos の計算に弧度法を用いるのか?読者よ、やがてそれらは明らかになるので、今しばらくこの本を勉強しつづけられよ。と、ラング先生はおっしゃっているのである。

 今朝の日経朝刊。辻邦生氏の遺稿、「近代文学」とその周辺。「廻廊にて」の出版にいたるまでの埴谷雄高の面倒見のよさなどを、再び知った。

 昨夜、ラジオを聴いてたら、素人のど自慢のような番組で菅原洋一「忘れな草をあなたに」が耳に飛び込んできた。(あまり上手くなかったけど、途中で無粋な鐘がなるんじゃなくて、ちゃんとフルコーラス歌わせてくれるんだね)ここにおいて忽然と大悟した。通常、情報のから、有益で洗練された情報を引きだしたり、選別することがエレガントであると、信じられているけど、実はそんなことはなくて、「情報」というのはもっと鄙びた個別的な寄る辺ないものではないのかしら?うまく書けないけど・・・。そんなことを悟るほどに、この曲が懐かしかった。「メグリアウ メグリアウ ソノ日ガイツカクルモノト」

 上野の国立科学博物館と動物園にでかけてきた。4年ほど前に訪れたときは新館整備中だったような記憶のある「科学博物館」は、新館・みどり館がオープンしていて、常設展示をていねいに観るだけでもゆうに一日はかかるかと思われる豪華さだ。小中学生向けの少人数制のセミナーも各種開催されていたが今回は断念することにした。子供に人気のあったのは新館2F、たんけん広場身近な科学のコーナー。いろんな体験・実験が楽しかった。それに比べると、同館1F・3Fの「発見の森」「洋動物」は、生きた生物がいないので、インパクトが少ない。恐竜の骨格展示を中心とする「生物の進化」関連の展示は、本館・みどり館・新館にまたがっていて、ていねいに観たらこれだけでも数日かかるだろう。

 あまりに暑いので、上野動物園の巡回はコース短縮。お定まりのパンダから、象・サル山あたりを経て、西園まで歩く。子供を連れて西園に出向くのは初めて。(子供の小さい時分はいつも東園でとん挫していたので)。不忍池あたりにくると、さすがに池を吹き抜ける涼風がいささか心地よい。それでも猛暑には違いなく、ぐったりとしてとうちゃんは四阿にて生ビールを飲む。息子どもは土産物コーナー。さて一服後、両生爬虫類館・小獣館(含む夜行性動物の館)などを巡回。このへんが一番面白かった。

8月9日(晴れ

 世の読書子には日本経済新聞の読者は少ないのかなあ、と思うので、せっせと記録するキリギリスのようなとうちゃんである。

 本日朝刊、日本中の文学碑を巡り歩いた親父をサポートする息子のホームページを紹介している。URLは紹介されてないが、筆者(=親父さん)の名前ですぐにgoo で見つかった。すなわち、ここ。労作である。深甚なる敬意を表する。

 夕刊に飛び込んできたのは、「インターネットで文学堪能」の特集記事。ま、内容はしれたものさ。記事中、蓮見重彦のたまう通り、「近代小説の殻である「善と悪の戦い」などの文法を踏襲した作品が多い」から。ま、この位のコメントは蓮見先生の言をまつまでもない、あたりまえのことだ。そこから、貴方は、どこへゆきますか?ということなのだが。

8月13日(曇り

 今日から短い夏休み。妻の実家に赴かねばならん。その前に会社に寄って残務処理の予定。「解析入門」やAuthorware のマニュアルや、英語やら、日頃じっくり読めない勉強に取り組みたい。

 石神井公園の古書店にて中野翠「1991 私の青空」(毎日新聞社)、久世光彦「一九三四年冬−乱歩」(集英社)しめて850円。家を空けるのでブラックバスの生きエサを買いに近くの熱帯魚店にいったがお盆で休み。古書店にいったついでに石神井池そばの釣具店で子供が使う網をもとめて池のかしこで掬ってみたが小エビ獲れず。がっかりして帰った。

8月14日(激しい雨

 熱帯低気圧が関東を通過して断続的に激しい雨が降った。ラジオは神奈川県の山間部のキャンプの遭難を報じている。横浜市戸塚の妻の実家に昨夕着いたが、この雨では行楽は無理。急遽長男の自由研究のために、戸塚駅前有隣堂(上品でいい本屋!)にいって、沖縄県地図・ボール紙(厚口)・カーボン紙・などを買い込む。午後は、八重山諸島の立体地図づくりに専念した。まずまずのものができそうだ。自分の部屋に飾りたい位。

8月15日(時折夕立 腔腸動物への憧れ

 大磯のロングビーチに家族ででかけた。18年前茅ヶ崎までは繰り出したことがあるが大磯は初めて。地名のごとく、どうも岸そのものは磯で水浴には適さないのか?よくわからないが、岸を走る高速道路のすぐそばの大きなプール&ホテルである。(18年前の茅ヶ崎の水浴のことを想い出す中年男なのだが、肝心の水浴のことは想い出さなくて、岸までの長いみちのりの中途にあった古本屋の書棚にあった工作舎の「キャンプ(?)」のことをまざまざと想い出すのであったが。)帰り道、島崎藤村の旧邸の告知板をバスの車窓からみつけた。そんなように、湘南一帯は文人の追憶の場所でもあって、いささか鄙びた町並みとともに、懐かしく思われるのである。さて、ロングビーチのプールサイドに咲いていたさまざまな花は・・・、なんて話し始めると、いろいろと社内で問題を招くので閑話休題とする。40代は学芸にいきる決心をしたとうちゃんである。

 ひとり家に帰ってきた。夜。たまっていた日経新聞。沖縄在住の作家又吉栄喜のエッセイ、沖縄の珊瑚礁白化に関して。辻邦生の遺稿のエッセイは伝説の編集者坂本和亀(坂本龍一の父ちゃんだよ)に関して。岩波新書の「日本の渚」{ダイビング入門」(以上うろ覚え)を立ち読みしたばかりだが、沖縄の珊瑚礁白化を憂えている自分なので、切なく読んだ又吉栄喜さんのエッセイである。

8月16日(晴れ

 高校数学のための関数プロットプログラム「Function View」。Vector でダウンロードした後、添付の「お読みください」から作者のホームページへジャンプ。リンク集で「数学のいずみ」へ。いずれも数学教育にとても有益なサイトとおみうけした。

 コンビニ「サンクス」で、シムシティ2000など少し古いソフトが格安のパックで売っていた。久しぶりにゲームでもと思い、Tomb Raider2 を2980円で購入。今となっては非力なパソコン(MMXPentium 166MHz)だがなんとか動いた。でも初めから難しいヨ。

8月17日(晴れ

 昼休みを使って三鷹に小旅行。「立体地図」ということばでgoo にひっかかったニシムラ精密地形模型(三鷹市中町2-1-11 TEL0422-53-3559)との一期一会である。とうちゃんは約30年以上前の自分の立体地図の想い出をもとに、息子たちに自由研究としてだんだん地図の制作を推奨したので、成り行きじょう、炎暑のなかを走り回るのである。三鷹駅前警察署の脇を入り、民家とおぼしき町工場のようなニシムラさんを発見。汗だくだくである。迎えてくれた女性の親切な手ほどきで、「日本全図」と「伊豆大島」の立体地図キットを購入した。そもそもここは、Niftyserveの教育実践フォーラムの公開HPでしったので、ここにURLを公開しておく。いわく、理科の教材・教具一覧。最近はこの種の、教育に関するホームページの誠実な実践に惹かれている自分である。

8月21日(晴れ

 夏が終わりに近づくと、いっそう、日差しの強さは目に焼き付き、過去の灼熱の夏への思いは濃くなる。やや傾き始めた大陽の強い日差しが地上に映す影が長くなって、その陰影がより鮮やかになるためか。

 神奈川県丹沢湖上流での不幸な事故。「ママこわいよオ」「大丈夫よ、いまにお巡りさんたちが助けてくれますからネ」その後の悲劇。ぼくはこの事故は、日常生活の安穏に、ひそかに忍び込んでくる不幸を象徴しているように思えてならない。

 今日の日経夕刊。「マンネリのすすめ」(平凡社新書)を書いた丘沢静也教授のエッセイが妙に快い。赤瀬川原平の「優柔不断力」「老人力」(ともに筑摩書房)。プールサイドの幸福。南島論。

 本を読まなくなってしばらくたった。明日は父の、15周忌である。それから、ぼくはなにをしてきたろう?

8月22日(晴れ

 今日は父が亡くなって15年目の日。(奇しくも妻の父がなくなって10年目の日である。)吉祥寺駅東映よこの古書店にて、別冊一億人の昭和史「昭和流行歌史」(毎日新聞社)、1500円はちと高いと思ったが、なき父の巡り合わせかもしれぬと思い、買い求めた。ぼくの父はいわゆる懐メロが好きで、晩年若干のレコードを買って聴いていたものだった。戦前の歌のもたらす感性は、ぼくの青春期にも微かな影響を与えている。この本、昭和初期から戦中・戦後初期を経て、昭和51年までの歌謡曲を扱う。つまり今となっては、親子2代の懐メロということになる。

 夜は、上石神井駅前にて、谷川健一「日本の神々」石田晴久「インターネット自由自在」(ともに岩波新書)。あとの本は実は新刊のときに買っていたことが、自宅に帰って判明。ガーン。

 妻子たちが、檜原村のキャンプから帰ってきた。手作りの木工品なかなかに素晴らしい。

 日経新聞朝刊。辻邦生の遺稿エッセイは吉田健一について。文化面随筆は、詩人宗左近「愛、ふるさとに帰る」。読みながら涙を零した。

 その他にもうひとつ、Web 上でめぐり会いがあった。

 8月26日(晴れ

 昨夜はツタヤにてガリレオ工房編「大人も子供も夢中になれる科学実験」(三笠書房)、今朝は駅前古本屋にて瀬戸内晴美「かの子撩乱」(講談社文庫)(岡本かの子の評伝のつもりで買った)、ケン・フォレット「モジリアーニ・スキャンダル」(新潮文庫)、夕方石神井公園にて、なかにし礼「愛人学」(河出書房新社)・山口正介「ぼくの父はこうして死んだ」(新潮社)、その他。一日中、微分の勉強をして過ごした。ま、それはいいのだが、夜更け、先日買った昭和歌謡集につられ、ちあきなおみの「喝采」を歌いながら、夜の町を自転車で疾走していると、あつい涙が零れてくる。おいおい、道ばたで携帯で情痴喧嘩してるそこのお兄さん、やめてよね。この歌のヒットしたのは、昭和47年だと先日の本の年譜にあった。ぼくの一番美しい年か。であれば、紅白の最終部で大粒の涙をこぼしながら詠唱したちあきなおみのことを、まざまざと覚えていてもおかしくはない。このうた、けっこうぶんがくてきだよね、今思うと。とある女性歌手は、郷里の恋人の制止もきかず東京にでて、恋のうたをうたう歌手になっている。この状況(上京)が、栄華なのか、卑俗(貴族)への転落なのかは、語られない。その日常に舞い込む元恋人の死のしらせ。郷里(?)の教会で、じろじろ見られながらの淋しい、孤独な告別。一転して、上りの汽車を待つ待合室に。孤独。疎外。そこに流れてくる、ラジオの自分の「恋のうた」。そして今日も、幕があき、自分は、恋の歌をうたっているだろう、と。この「入れ子」的な最後の大団円は、まるでプルーストのようじゃありませんか。

 というわけで、微分法の勉強にいささか疲れ、生活に疲れて、久世光彦「マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)を、夜更けに読んでいると、妖しい気分・悲しい気分になって、この日の随想を、北道にすむとあるひとに、捧げてみたくなって、しまう。

 8月28日(晴れ

 というわけですっかり歌謡づいた私は、毎晩、夜のまちを自転車で疾駆しながら、森新一「おふくろさん」、ちあきなおみ「喝采」、西田佐知子「アカシアの雨がやむ時」、以下「サルビアの花」「白い一日」「天まで届け」「俺たちの旅・主題曲」「池上線」などを詠唱しているのである。作詞家の川内康範・なかにし礼などのことを、追体験しているのである。

 今朝は早く起きて数学のお勉強。朝食のあとは長男の勉強を手伝う。(次男は石神井公園の塾)そのあとは近くのPC-DEPOTでパソコン見学。行き詰まっていたTomb Raider2 は、http://www.TOMBRAIDERS.NET/stella/ のwalk through のお陰で随分進展した。いつもおもうのだが、この手のゲームの攻略サイトはさすがアメリカのほうが丁寧で親切だ。

 夕方、サッカーから帰ってきた息子たちを連れて、石神井公園の熱帯魚店に赴く。万札を握りしめて。ところが件の熱帯魚点(石神井公園駅北口、富士街道沿い)は、爬虫類・両生類系に特化する店に変わっていて、イグアナやサソリやカメの歓迎にたじろぐ。富士街道沿い、石神井中学校そばに熱帯魚の専門店があったような記憶があったので、息子どもを連れて道幅の狭い富士街道を南下したが、店は見つからず。石神井公園駅に引き返し、きさらぎ文庫の店頭に筑摩書房の「校本 宮沢賢治全集」が1000円均一でたくさんでているのを横目でみながら、富士見台に引き返した。今度は、富士見台小学校そばの小さな熱帯魚専門店。初心者向けのセットを訊ねたところ、横60センチの水槽にもろもろをつけて17500円だという。予算を大幅超過したので、近くの公衆で妻を呼び出す。結局、満を持してというか、この17500円のセットを購入した。お魚は水槽のセットがすんで再び出直す予定。この富士見台の閑静な住宅街の熱帯魚専門店は、飯塚泰二氏の経営する Nou Neim (TEL03-3999-0470)。飯塚氏は日本のアクアリウム界ではbreeder として夙に有名だということだ。

[ HOME ]