1月1日(

 謹賀新年。今年も宜しくお願いいたします。さて、

 年賀状にてこのホームページの宣伝をした。今年はもう、お気楽なことは書いてられない。学術色を強めようと思う。間違っても紅白で「SPEED」と「モーニング娘」の2組を観て、総勢12人の若い娘が万華鏡のように繰り出す歌と踊りに満足して眠った、なんてことは書かないことにする。

 尾崎翠の「第七官界彷徨」のことが気になる。群ようこ「尾崎翠」(文春新書)も出たようだ。ファンが作ったいくつかの素敵なホームページもある。尾崎翠は1971年に75歳でひっそりと没している。それからまた30年近くたって再評価されるなんて珍しいことではないだろうか?不幸な中傷によって文壇を追われたあたり、龍胆寺雄にも似ているか?その龍胆寺雄を追放した張本人川端康成が、ついに生前本名を明かすことのなかった北条民雄のこと。いくつかの戦争詩のために戦後文壇を放逐された大木惇夫のことは、久世光彦「卑弥呼」(読売新聞社)でも知ることができる。(267頁)

1月2日(

 日本晴れの日が続く。朝、息子たちは書き初め。午後、風が吹き始めたので、近くの校庭で親子4人で凧揚げ。写真上空の小さい白い斑点が凧である。毎年三が日のいずれかで風の強い日を見計らって凧を揚げる。その高揚感は筆舌に尽くしがたいものがある。いつの間にか子供をさしおいて夫婦で愉しむことになる。夫婦愛の昂揚である。ウィトゲンシュタインも凧揚げが好きだったんだって。(ウィトゲンシュタインの研究家、宮崎大学の伊佐敷くんお元気ですか?) そして蕪村の次の句である。 いかのぼりきのふの空のありどころ 蕪村

 ビデオ"The Fifth Element"まずまず楽しめた。Air,Fire,Earth,Waterの四大元素に加えて最後の第5の元素とは何か?ここでは明かさないが、それが判明して地球を救うシーンにすら目がうるうるとする単純なとうちゃんである。異星人役の女性は監督の奥さんなんだって。ビデオ"Deep Impact"、SFX以外はみるべきものがない、予想外に緊迫感のない作品であった。IMDbでこれらの作品に関する読者のコメントを読む。パソコン雑誌でも読者のお便りコーナーが面白いが、この映画評でもアメリカやカナダのひとたちの率直な意見に共感したり反発を覚えたりして楽しい。英語の勉強にもなるしね。

 鈴木志郎康先生の歳末・新春日記。「有毒ネット」に関する新聞の大仰な非難に疑問を呈しておられるのに同感。「自殺」で検索すると2000件だか20000件だかヒットするなんて新聞で読めば、全文検索の強力さを知らないひとはさぞかし有害な情報だらけだなんて誤解するに決まってる。ま、ともあれ、詩人と同時代(同日・同時刻というべきか)を一緒に生きてることにほのぼのとした共感をいだく鈴木先生のホームページである。

1月3日(

 西垣通「デジタル・ナルシス」が興味深い。蒸気機関が社会を激変させていた19世紀初頭のイギリスにあって、現在のコンピュータの祖型ともいうべき、「階差機関(Difference Engine)」を作り上げ、さらには「解析機関(Analytical Engine)」の設計・構想まで視座に収めていたCharles Babbage。現在のコンピュータサイエンスでいう、プログラム・メモリー・プリンタなどの具体的設計はすでに彼の構想にあったが、当時の技術では日の目をみることはなかった。彼を支援した女性が、Ada Augusta、バイロンの娘である。史上初のプログラマは詩人の娘なのだ。(アメリカ国防総省が開発した人工知能言語Adaは彼女にちなんでいる、ちなみにPascalは当然のことあのPascalにちなんでる)そういえばサイバーパンクの彗星、W.ギブソンに「ディファレンス・エンジン」ってSF小説があり、山田正紀に「Ada」という小説があるね。他にもノイマン・シャノン・ウィーナー・チューリングなど早すぎた天才たちの計算機械に賭ける異常な情熱を書く本。(以上西垣通氏の著作や、岩波講座情報科学1「情報科学の歩み」、石田晴久「パソコン言語学」(アスキー出版局)などを参考にしました。)

1月6日(水)

 冬休みも残りわずか。三が日を終えて仕事が急に忙しくなり、息子たちとも会話が持てない。

 MacWorld EXPOの話題でネットや新聞が盛り上がる。iCEO ジョブズ氏たいしたものなり。カリスマ性においてゲイツ氏にひけをとらぬ。もっともっと頑張ってくださいってエールを送りたい、なんてAptivaの上でものしてる自分であるが。(自分はMacintosh初代マシンやNeXT創設の頃からのファンだと急に書いておく)

 Connectix社が、G3上で動くPlayStatiionのエミュレータを販売するとか。面白いこと考えるね、このひとたちは。3日に訪れた中古ゲームソフトの店では、プレステ版のRivenやLode RunnerやWizardryやらPC/Macゲームの移植版が安く売られていて、興味をそそられた。中年ゲーム三昧というのも楽しい気がするのだが、子供の手前そうもいえないのがつらいよ。

1月7日(木)

 相変わらず仕事が忙しい。帰路、TSUTAYAにて、丸谷才一・山崎正和「半日の客 一夜の友」(文春文庫)を買っておいた。丸谷才一とはほとんど縁のない自分であるが(どこか優等生で敬遠してきた)、この本は読んでみようという気になった。対談中、エミール・シュタイガーの言として「抒情詩とは思い出ならずや」と。稲垣足穂曰く「地球とは思い出ならずや」。その言やよし。

Connectix社のVirtual Game Station続報(Play Stationのエミュレータ)。いったい日本で発売できるのだろうか?息子はサンクスでファイファン8を予約したいって今朝いってたけど・・・プレステのゲームがiMACでできるようになればまたまた人気が出るだろうな。

1月8日(金)

 丸谷才一・山崎正和の「半日の客 一夜の友」の表題は平家物語にちなんでいるとか。

  花の下の半日の客、月前の一夜の友、旅人が一村雨の過行(すぎゆく)に、一樹の陰に立よッて、わかるる余波  (なごり)もおしきぞかし。(巻第三「少将都帰」)

 国文学に詳しいひとが聞いたら笑うかもしれないが、平家物語や謡曲の物語世界ってどこか日本を超越した、超=東洋的な感じがする。仏教・神道・道教などの東洋の諸宗教の混交がなせるわざなのか?ともかく、この対談集、一読の価値がありますぞ。

 高校時代の友だちN君がM信託銀行の吉祥寺支店に配属になって、とうちゃんを訪ねてくれた。実に14年ぶりのことである。 うれしかった・・・。そして、

 恩師西亮一先生からは年賀状のていねいなお返事がきた。とうちゃんのことを、「バイタリティを感じてホホウ!でした」って褒めていただいた。ああ、生涯の教師よ。教師は教え子をそこまでして元気にしてくれるのか。その優しさを、教育を業とするとうちゃんも終生忘れてはいけないよ。と、真剣におもうのであった。

1月10日(

 午後から仕事。その前に、PCDEPOTにて、丹治佐一「最新最速DOS/Vパソコン組み立てマニュアル」(BNN)購入。先日買った「PC Life 創刊3号」(ソフトバンク)所収のゲームの動きが鈍いので、ビデオアクセレーターの購入を検討したいが、なにせDOS/Vマシンのハードウェアに疎いので、この本を買った次第。今度は最速のマシンでもこさえてみるか。他に近くの本屋で、芥川龍之介「羅生門・蜘蛛の糸・杜子春 他18編」(文春文庫)、堀辰雄「風立ちぬ・美しい村」(角川文庫)購入。どちらも実家にはあるのだが手元にないのでしかたなく。芥川は朗読カセットのテキストとして息子たちのために。(ふりがなが振ってあって良心的なつくりだ)堀辰雄は先日NHKで観た児玉清氏の文学紀行に触発されて。27年ぶりに堀辰雄の本を買った。息子どもは「チョコボの不思議なダンジョン2」同攻略本(デジキューブ)に夢中。とうちゃんは「Tomb Raider3」デモに感激。おいおい・・・・。

1月14日(木)

 実家の母がみかんを送ってくれた。島みかんといって、郷里特産の、おそらく世界で一番ちいさなみかんだが、甘くてとってもおいしい。ポンカンと並んで柑橘系の隠れた傑作である。とうちゃんは中年になっても元気で風邪ひとつひくことがないのだが、これは小さい頃よく食べたみかんのお陰ではないかしらと時々思う。仕事に疲れたときもみかんをたべると頭がすっきりすることに最近気づいた。

 

1月15日(

 成人の日。朝PCDEPOT。駅前に振り袖の二十歳の娘たちが集っていた。井草3丁目、新装開店のコジマにて洗濯機買い換え。親子3人でじっくり選んで日立製の6kgタイプを購入。夕方、石神井公園まで古本屋巡り。きさらぎ書房良書多し。草思堂目新しいものなし。文芸春秋編「孤高の鬼たち 素顔の作家」(文春文庫)140円。ついでに買う本を探したがついに見つからず。恥ずかしいが140円の本1冊だけを買った。鬱々として楽しまない日々。いっそ大雪でも降ればいいと願う。

1月16日(

 センター試験初日。問題を入手して、数学1A、数学2Bを解く。こくのある深い問題が少ないように思った。ベクトルの、確率分布の、コンピュータサイエンスの、複素数平面の、そして初等幾何へのアプローチへの、本質的な問いがないように思うのは気のせいか?当社の模試のほうがまだしもこくがあるのではないか?もっともっと入試問題にも学問への感動があっていいと思う。なんて勝手なことを書いておく。

 「孤高の鬼たち 素顔の作家」読む。140円にしては得難い本なり。まずは瀬戸内晴美萩原葉子山之口静江のエッセイをとりあえず読む。どれも楽しめる。しかもしみじみ懐かしい。太宰治の奥さん津島美知代さん先年三鷹で亡くなったことをウェブで知った。萩原葉子の半生をウェッブで知った。山之口貘の全集は石神井のきさらき書房にあるんだよ。いろいろなひとの文学に殉じた生涯を、古本やウェブで知って複雑な思いであった。(リンクはいつまでもつんだろう?)

1月17日(

 センター試験2日目。21時時点で、インターネット上でO社+Dグループ、A新聞、K塾などが解答を掲載している。O社の場合、Dグループとの連携が濃くなった。某有名サーチエンジンのトップページを押さえているのはいかにも有利である。

 どこか知らない街で迷ってみたい。そんな夜が年に何回かある。今夜もそうだった。上石神井の本屋兼ビデオショップで、ゲーテ「詩と真実」などを立ち読みした後、上石神井駅に北上、新しい古本屋を見つけた。ショーウィンドウには、内藤湖南南方熊楠葉山嘉樹のきれいな全集が揃いで陳列されている瀟洒な本屋だ。 まあ、店内は普通の私鉄沿線の古本屋にありがちな普通の本が並んでたけどね。今度ゆっくり探訪しよう。

 それとは別に、吉祥寺東映そばの古本屋で、沼田真「自然保護という思想」(岩波新書)(180円)を買っておいた。このひとの書いた「植物たちの生」(岩波新書)を買ったのは、昭和47年の11月11日だ。つまり26年以上を経てこのひとと再会したことになる。書中、熱帯の動植物の多様性に言及する箇所に実感として共感できた。あの沖縄のがとこしえに豊饒でありますように。

 「孤高の鬼たち」を引き続き読んでる。河盛好蔵「憂国の詩人・三好達治」北川荘平「小説・高橋和巳」。文章を読むことの喩えようのない幸福を感じている。親友T・I君(彼の曾祖父さんは高橋英夫「偉大なる暗闇」で有名な岩元禎旧制一高教授である。このかたについては中村真一郎の「私の履歴書」(平成5年5月日経新聞連載)でも触れられていたようにおもう)の23年前の梅ヶ丘の下宿で、みすずの中野好夫のエッセー集を手に取ったときのような、不思議な幸福である。あの日は晩春だったけ。暖かい陽の降り注ぐ小部屋で、白い表紙のハードカバーを手に取ったのは。<およそひとの一夜を過ごすだに、三億六千の想いあり・・・>中野好夫の絶筆となったエッセイにあるという、おそらく謡曲かなにかの引用である。この引用中、三億云々はうろ覚えである。おそらく仏教の時間論の転用であろうが、この文句が気になって時々調べるのだが出典がわからない。3年ほど前観た「冬の花火(螢?)」という映画で、同じ文句を聴いたのだが、その映画もまた分からずじまいになっている。織田信長の愛好したという「下天は夢」云々の謡曲と同一なりや?これとて津本陽の本を図書館でパラパラめくっても出典はわからずじまいである。

 早稲田大学文学部の井桁貞義教授のインターネットを活用した授業の事例が、今朝の日経教育面に紹介されている。この先生とは昨年9月の「情報化報告会」(於:井深ホール)でめぐり会った。若いひとに教えることが好きな先生だとお見受けして、ひとめで好きになれた。http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/

1月19日(火)

 元旦に書いた文春新書「尾崎翠」の著者は中野翠ではなくて、群ようこだった。(元旦の原稿を訂正しました) 中野翠「ムテッポー文学館」(文春文庫)に「第七官界彷徨」の書評があったのでてっきり彼女の作かと勘違いしたのだ。ごめんなさい、群ようこさん。今夜ツタヤでこの新書をぱらぱらめくってみた。日本文学は「第七官界彷徨」の1冊でいいと彼女はいう。ぼくならさしずめ稲垣足穂「弥勒」というところだろうか・・・。昭和53年の厳冬、中目黒のアパートで夜明けにこの本を読んだとき、涙が零れてとまらなかったよ。

 先日の井桁貞義教授のインターネット活用事例。上記のURLでは、日経の新聞記事の該当個所それぞれにハイパーリンクが施してあって、該当のページにジャンプできる。とても便利な、ハイパーリンク記事なのだ。そういえばasahi.comでもなんでもたいていのインターネットニュースはリンクなしのプレーンなテキストで構成されている。ハイパーリンクの施された新聞記事というものをつくづく眺めてみて、そういえばこうした記事は少ないな、なんて思ったことである。

 河西朝雄「Java Script入門」(技術評論社)1713円をツタヤで購入。Javaへの再度の挑戦である。たまにはこんな本を読んで、鬱を晴らそう!元気をだそう!

1月20日(水)

 Yahoo!の企業情報ホームページなかなか有益なり。ま、類似のサービスはいろいろあるのだろうが。自分の会社の情報も調べてみた。

 Yahoo!の合否判定ホームページなかなか工夫されているなり。さっそくダミーの得点を入れてみた。ごめんなさい、O社さん。張り巡らされたリンクが受験生には有益だろう。明日のセンターリサーチの前に、すでに公開されているのなりね。(なんだかキテレツ大百科のような文体なりね、俺は勉?蔵さんのようなキャラクタが大好きなり。苦学生のモラトリアム。宇野浩二の「苦の世界」鶴丸さんのようなキャラクタだから。)

1月23日(

 朝、長男に算数と漢字を教える。漢字は藤堂方式を参考にして、漢字を「つくり」でグループ化する方法で再構築を図っている。その後、PC-DEPOT。G3 Mac新シリーズの廉価版21万程度。一際目立つボディー。さわってみたがなるほど速い。i Mac、PowerBook、このG3マシンと選択肢が多いので迷ってしまう。DOS/V機関係では、PanasonicのCD-R CW-7502 3万を切る価格で惹かれたが、帰ってからWWWで調べると、いろいろと不具合もあるようなないような、そんなCD-Rだ。昨夜買った週刊アスキー。ちょっと悪のりの記事も目立つような気もしないではない。表紙にCD-Rの特集を大々的にうたっていたので買ったのだが、たいした記事ではなかった。

 図書館では、山本夏彦「その時がきた」マイケル・ドロズニン「聖書の暗号」(ともに新潮社)。石神井公園きさらぎ書房にて、東洋文庫「神道集」(平凡社)1200円也。20年来の悲願が今朝叶った。他に室生朝子さんの犀星に関する伝記など数冊有り。保管状態がよい美本のコレクション。その連想で、萩原葉子「父 萩原朔太郎」を探すが、ない。昨春、豊島園そばのぼろい古本屋で店頭均一の角川文庫版を買っておけばよかったと、反省する。室生朝子さんについては、幼い頃のおかっぱの姿が目に焼き付いている。犀星の「杏っ子」を原作にしたテレビドラマ「娘の結婚」を昭和53年頃観たことがある。池辺良・佐野厚子・浜田光夫が演じていたように思う。そのドラマを夏に郷里で観て、天文館の書店で、「杏っ子」を買ったのを覚えている。こんなことをぐだぐだ書くのも、「孤高の鬼たち 素顔の作家」を読み続けているからだ。先日に引き続き、水上勉「枯野の人・宇野浩二」坂口三千代「坂口安吾と「青鬼の褌を洗う女」」などを読んだ。どれも作家への愛情がにじむエッセイである。室生朝子・萩原葉子・南方文枝・・・・。父の営為を後世に語り継ごうとする娘の純な情熱が恋しい。

1月25日(月)

 「オーロラの街」最終話。3つのオムニバスが何十年後かに同じ時間・同じ場所で完結する。その仕掛けに気づいて深夜のサンクスで涙ぐみそうになり、あわてて購入してしまった。ま、早書きの欠点がいくつかあったけど、山本おさむを許す自分である。2月17日に小学館まんが文庫で、映画化される「コキーユ」が発売されるんだって。この日に買うぞ。実らぬ初恋の後日たんというテーマについてはいろいろ書きたいこともあるが、いまは書かない。

 1月27日(水)

 息子たちのために、知能ゲーム「インクレディブル・マシン」をラオックスで購入。税別3,400円と良心的値段。その昔、とうちゃんの子供の頃、アメリカ産のテレビ番組で、こうしたマッドな機械のことを知った覚えがある。ま、つまり、ハムスターが花火に驚き、車を回し、その車の回転がキャムで直線運動に変換され、バケツの水をこぼし、それがボールを転がして、猫のしっぽにぶちあたり、びっくりたまげた猫は・・・てな具合の連続運動を工夫して、与えられたアポリアを解決するというゲームなのだ。妻は「またゲームなの」って不興だが、実のところよくできたゲームで、いわばGUIのプログラム環境なのだね、これが。仮想的な空間・時間において、物理的な法則に従って所与のテーマを達成するという。その昔、シュルレアリスト(M.エルンストとか)が考案した自働機械の夢のような、ロマンがあるよ。はたまた、物理学のシュミレーションソフトとしても楽しめるのではないか、なんて過大な評価だろうか?アメリカでは小学校でも採用されているらしい。バカにしちゃいけないよ。

 都心へいく用が多い昨日今日である。昨日は研修で麹町に。女子学院・日本テレビのそばなので、デジカメを持ってでかけたが、撮影する間なし。今日は赤坂TBSそばのスタジオ「ピンク・フラミンゴ」にてCDの収録。人気声優宮村優子さんを迎えての、高校生向け英語CD教材のナレーション収録。いやー、おじさんは心から感激したね。プロの仕事に。3年来のつきあいのミキサー氏、いい仕事をするじゃないの。アシスタントの録音女史、いい仕事をするじゃないの。こうしたカウンタカルチャのひとたちの仕事ぶりの真摯さ。ぼくは好きだな。カウンタカルチャの仕事人って禁欲的なんだよね。自分を律する様が。(以下明日)

1月28日(木)

 今日も帰りは11時半。あぷちばに火を灯し、ひともすなるいんたあねっとに今晩も書き込みじゃ。ほぼ毎日更新してる、ま、更新が取り柄のホームページなのだが、「けっこう暇ですね」なんてニュアンスの感心をされると、複雑な気持ちである。ほんと、このAdobe PageMillって、作ったりFTPでアップするのが簡単だよ。

 声優宮村優子さんの続き。とうちゃんは、最近とても涙もろくてひたすら感動してる、変な中年なのだが、今回もみやむ〜のトークに感激し、職場に帰ってテープを聴きながら、ひとり涙ぐんだりした。すごいよね、26歳のさあ、いわば昔の教え子くらいの年代の女の子の、即興のトークに、純真と可憐とひたむきな努力を感じて、とうちゃんもがんばらねば、って心から思ったことであった。とうちゃんの職場は、教育を業とする、かなり堅い職場なのだが、そこで「いいですね〜、芸能界のお近づきの楽しい仕事で」なんていわれる筋合いはないよ。分かってるのか、社長と副社長を両方満足させるコンテンツをつくるため、とうちゃんは今晩も帰宅は11時半だぜ。ま、いいけどね、根が好きだから。教育コンテンツの制作のため、B社やK塾とはりあうつもりで頑張るぜ。ま、地方の高校3年生のたったひとりの子が、一瞬、自分の自己実現に向かってなにか思うことが、わずかでもあるならば、私は救われるのである。なんてなんて、大乗仏教の教義のようなことを書いておく。

 「もののけ姫」のテレビ放映。アニメーション技術の究極。しかし、究極の美の映像を、監督は再び破壊せねばならぬ。(若きひとびとがこの美に酔わないようにと。考え尽くされたアニメ映像を、再び創造のためにぶちこわさねばならないということ。ひとは芸術に心酔してはいけないということ) 芸術の、創造のディレンマを、とうちゃんは理解する・・・・・。

1月29日(金)

 母の長姉逝去。享年85歳。幼い頃とても優しくしてもらった。それは高校生の頃もそうであり、大学生の頃もそうであり、妻を迎えて里帰りしたときもそうであった。・・・・・・・。老いても叔母さんの笑顔は高貴で美しかった。その優しさ、その弘毅に、自分はなにをもって報いたのだろう?そこにおいて、自分は粛然たらざるを得ない。極楽でなき夫とともに微笑んでいる叔母さんに、ぼくは何を語ろうとするのだろう。

諸国の天女   作:永瀬清子

諸国の天女は漁夫や猟人を夫として

いつも忘れ得ず想つてゐる、

底なき天を翔けた日を。



人の世のたつきのあはれないとなみ

やすむひまなきあした夕べに

わが忘れぬ喜びを人は知らない。

井の水を汲めばその中に

天の光がしたたつてゐる

花咲けば花の中に

かの日の天の着物がそよぐ。

雨と風とがささやくあこがれ

我が子に唄へばそらんじて

何を意味するとか思ふのだらう。



せめてぬるぬる春の波間に

或る日はかづきつ嘆かへば

涙はからき潮にまじり

空ははるかに金のひかり



ああ遠い山々を過ぎゆく雲に

わが分身の乗りゆく姿

さあれかの水蒸気みどりの方へ

いつの日か去る日もあらば

いかに嘆かんわが人々は



きづなは地にあこがれは空に

うつくしい樹木にみちた岸辺や谷間で

いつか年月のまにまに

冬過ぎて春来て諸国の天女も老いる。



(思潮社 永瀬清子詩集 1990年 より引用)

1月30日(

 晴朗なれど風強い朝に、新聞広告で気になった本を石神井公園の本屋で立ち読みしてきた。島森路子「広告のヒロインたち」(岩波新書)、宮沢りえ・広末涼子など一世を風靡したヒロインたちの広告を通じての、女性像の変遷を書く。後藤道夫「子どもにウケる科学手品77」(ブルーバックス)、この手の本は頭に新風を吹き込んでくれる。「タイタニック」(竹書房)、かなり精緻な撮影記録。大冊。キャメロン監督がこの映画を仕上げるまでの脚本・フィルム編集の試行錯誤を詳述。なぎら健壱「フォーク私的大全」(ちくま文庫)、加川良のところを読む。巻末に詳細な日本フォーク史年表がついている。以上立ち読みのみ。ごめんなさい。

 石神井公園きさらぎ書房にて、柄谷行人編 浅田彰+蓮実重彦+三浦雅士「近代日本の批評 昭和編(上)(下)」(福武書店)2冊で定価2900円のところ800円。以前から講談社文芸文庫で買おうと思っていた本なので飛びつくように購入。文庫版だって2000円ぐらいするんじゃなかったけな。最近この店はいい本が多いよ。

1月31日(

 先日のY.Sさんの送別会の様子をアップしておく。今井美樹の名曲らしい。とてもすてきなコーラスだった。

 上石神井駅前、碩文堂書店(03-5991-4500)にて、百目鬼恭三郎「の文庫談義」(文芸春秋)500円。訪問記念に買っておいた。初老とおぼしきひとと、店頭均一本でかちあわせ。おおう、目に光があるぞ。と、互いに意識してともに入店。大学の先生かな?それとも町のディレッタントか?そちらも好きだけどね。先生は、小学館日本民俗大系のうちの2冊をお買いになられた。「稲と鉄」その他。店主との会話を聞くともなく聞いていた。それからとうちゃんは上記の本を買った次第。ショウウィンドウの「南方熊楠全集」買い手があったのか既になかった。

 早速夕食のあとひもといてみた。亡くなったのは1991年3月と、奥付にある。近所の長命寺で告別式のあった日を想い出した。よく晴れた4月2日であった。と、さも覚えている風に書くが、実は丸谷才一氏の弔辞がこの本の巻末に載せられているのを読んだからだ。最大級の賛辞。よき友であったのだろう。享年65歳というから、今生きていても73歳くらい。このひとの本を読むのは20年ぶり位なのだが、「現代作家の101人」や「奇談の時代」は愛読したものだ。結城信一を教えていただいたのもこの人から。よくまとまっていて(それはそうだ、新聞のコラムなのだから)しかし本質を見事についた批評が懐かしい。今回買ったこの本でも一見平凡な本を紹介しながら、背後に膨大な読書と見識を窺わせている。恐るべし百目鬼恭三郎、である。

 今朝の日経文化面。高橋英夫。岩元禎教授のひととなりにも言及す。載ってますよ、岩元くん。

 

 

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