9月3日() 快晴

 昨日仕事の合間をぬって季節はずれの熱波(フェーン現象のせい?)のなかを吉祥寺の新刊書店、古書店計5店を巡った。関心の拡散を恐れて最近はあまり本を買わないように<努力>している。最後に入ったりぶろ・りべらる店頭本で集英社版日本の詩「北原白秋集」「堀口大學・西條八十集」計600円。西條八十の摩訶不思議な詩的世界がずっと頭の隅で気になっているので・・・。それと、西條八十の残した膨大な童謡・歌謡の数々のことも。(話はそれるが、「日経ビジネス9月4日号」都知事石原慎太郎の小特集のなかで、終戦直後の霧島昇が歌ったという「麗人の唄」を知った。「夢は破れて 花嫁人形 はでな袂が 恥ずかしや 覚めて浮き世の 窓見れば みんな泣いてる ああ人ばかり・・・」 なんて恐い歌なんだろう)

 某ポータルサイトのためのコンテンツ制作第2弾、某通信会社とのeラーニングの仕事がなにはともあれ無事完了してほっと一息。ひきつづいて某ゲーム機プラットフォームのための某英語資格関連の仕事を手がけていきたい。

 9月1日から始まった電子書籍のサイト「電子文庫パブリ」をさっそくチェックしてみた。のどから手がでるように欲しい本はないみたい。そもそも趣味の本をPDFで読みたいか?ということに帰結するのだが。文庫の大手が電子化する文庫の多くは品切・絶版になっているものなので、広い視野で考えれば、電子書籍で供給する体制が整うことは、安価に安定的に優れたコンテンツが生き残ることになるわけで、それはそれでいいことだと思うけれど。

9月7日() 雨

 先日の日経書評で知った岡谷公二「南の精神誌」(新潮社、1600円)。文化人類学者今福龍太氏の激賞を読んで迷わずBK1に注文。翌日届き、届いたその日と翌日の朝に読破してしまった。

9月10日() 晴 人生の間奏曲

 昨日、そして今日と、急に高くなった秋の空と、夏の名残を思わせる強い日差しにとまどいながら、季節の移ろいをたのしんだ。28年前のある秋の日の朝、とある田舎の中学校の運動会で、美しいひとと再会した。それは<世界>との再会であった。不思議なことに今朝、煙草を買いに散歩する道すがら、秋に不釣り合いな輝かしい日差しと高い深い空のしたを歩きながら、唐突に、かつての再会の瞬間を、その前後の風光の全体像を、再体験できるような予感に襲われた。路上にうずくまり、あるいは川の欄干に凭れて、目を閉じれば、かつての豊饒で、優しい、深い、体験の細部が、とめどなく噴出してくるような予感に襲われた。それにしても自分は、と、あきれながら思うのだった、なぜこんな小さな想い出から抜け出すことができないのだろう、忙しい日々、父として仕事人としてやるべきことは山積しているのに・・・。

 「南の精神誌」の幸福な読書体験の余韻にひたっている今日この頃だ。

 このところ鬱々として楽しまず、新着雑誌も積んだままになっていたので、「日経エレクトロニクス」「日経ビジネス」それとEさんの勧めで「日経トレンディ」などの雑誌に目を通した。現行のCDやMDの容量を2倍に増やすDDCD、MDLP規格の動向をおさえた。光り物・放送・インターネット配信と、コンテンツを巡る動きも加速している。

 日曜の朝、ひそかに楽しみにしている日経文化面。今朝は小林信彦「二十世紀最後の夏」。芳賀徹のコラム詩歌の森は、「さらば、光の夏よ」。Baudelaireの秋の歌について永井荷風「珊瑚集」の名訳の話題。

9月16日() 曇り

 成島東一郎監督の映画「青幻記」。主人公 田村高広が、洗骨のために取り出した実母の頭蓋骨を額におしあてて泣くシーンがある。傍らに立って、小松方正はこう云う。「あんたの歳になって、母が忘れられないところをみると、東京(本土)の生活も楽じゃなかったんだな・・・」なにしろ二十年以上前に2回だけ観た映画なので、科白はうろ覚えだが、この数年ふとこの科白を思ってみたりするのは何故だろう?岡谷公二「南の精神誌」を読んで、幸福な余韻にひたりながら、折口信夫「古代日本文学に於ける南方要素」・柳田国男「南小記」などを、微かに読んでいるという今日この頃だ。柳田国男といえば、

 吉祥寺の古書店「BOOK STATION」(井の頭通りを駅から新宿方向に徒歩5分)に、「定本 柳田国男集」揃いがたったの2万円ででていた。別巻も含めた完全な揃いのようだ。これってとても安いのじゃないかしら。同じく「谷崎潤一郎全集(新書版)」(中央公論社)7000円も、安い。次に買おう。というわけで、同店で "American Short Stories of Today"(Penguin), William Morris"News From Nowhere and selected writings and designs"を買った。2冊で350円はこれまた安い。BlakeからMorrisへ、そしてH.リードへ。はたまた柳宗悦・寿岳文章へ。

 DVDで「ジョー・ブラックによろしく」「身代金」を借りて観た。英語の学習にDVDは最適だ。字幕も音声も英語にしてひたすら観てると、擬似的な英語ONLYの空間と時間ができあがる。ま、効果がないとは思わない。

 某有名ポータルサイトへのコンテンツ供給第2弾が正式に公開された。このところ、いくつかのポータルサイトや超優良企業からのオファーが多く、面白いご時世になったものだと喜んでいる。オンライン上のコンテンツを駆動するDBの肝になるIRTの理論と実践を学ばなければならない。XMLに関しては畏友F君が、ばりばり研究している。恐るべき読書家・勉強家だと、このところ舌を巻いているのである。

9月17日() 雨

 台風のせいで時折激しい雨が降った。近くのBOOK TURNで、「アメリカ文学史入門」(井上謙治編、創元社)53円。掃きだめに鶴のような美本を均一本のなかからみつけて半分以上通読した。実際のところ、フランクリン・エマーソンからピンチョンまでアメリカ文芸の4世紀を久しぶりにおさらいし、おまけにアメリカ文化の拠って立つ、ピューリタニズム以来の思想史の流れが実感できて、なかなか有意義な読書であった。これで53円とは、いやはやこれほどの清貧読書はないだろう。

 オリンピック。地球の反対側のシドニーの、初春の風光が美しかった。

9月24日() 雨

 昨日は長男の中学の学園祭。今日は私の四十何回目かの誕生日。田舎の母から電話をもらった。私の父は六十歳になる目前に世を去っている。今日の私の誕生日から16年しか生きていないわけだ。今朝、夜明けに目を覚まし、布団のうえでそのことで粛然とした思いをもった。

 なぜかこのところ本を読む気にならない。吉祥寺の古書店の新書版谷崎全集は、先日既に店頭からなかった。縁がなかったのねえ・・・。あのとき小金をもってればなあ。細々と、TOEICの単語集や大友賢二「項目応答理論入門」(大修館書店)を読んでいるところ。

 今朝の日経文化面。高橋昌男のエッセイ「オフィス街の驟雨」で引用された永井荷風「ぼくとうきたん」と、その左欄のコラム芳賀徹「お茶の水の夜の秋」が呼応しあっていて面白い。「ぼくとうきたん」が東京の市井の夕立の光景を活写する有名な箇所。対して江戸の儒者菅茶山の漢詩「茗水即事」は約200年前の江戸のとある初秋の夜の風景をうたう。「緑多かった江戸の、嵐が迫ってにわかに秋めいた一夜の涼気が、この詩をとおしていまなお私たちの身辺によみがえる。」(芳賀徹) シリーズ美の巨人たちでは陶芸家加藤唐九郎の第3回を竹田博志が書く。コラム「描かれたエルダー」<(雄)氏>では中里恒子「時雨の記」が激賞されていて、俄然読みたくなって買ったままになっていた文春文庫を引っぱり出したのは私だ。

 日経エレクトロニクス(9-25号)小特集「ゲームルネサンス」。いつの間にかゲームの主戦場は重厚長大のゲーム機のプラットフォームからケータイに移っている、と。そのキーワードは常時接続とコミュニケーション。私も先週、あの小さい画面にあわせてTOEICのサンプルをこさえたばかりだ。直感的にいえば、あの画面で、教育でも娯楽ゲームでも、なんらかましなものができるとはとうてい思えない。だが・・・。いくつかアイディアもある。ちょっと考えてみるか・・・。そんな気になった。携帯の技術動向をおさえなくちゃいけないな。

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