9月1日(晴れ

 早朝6:30に起きて、USAのZifDavisのホームページにアクセス。現地時間は8月31日の午後2時頃か。予想通り、Jobs iCEOはG4 Macの発表をおこなっていた。高級感漂う新G4 Macにうっとりした。

 深夜のツタヤにて吉本隆明「私の戦争論」(ぶんか社)1680円。結局のところ、吉本隆明がいま何を考えているのかということについては25年来気になっているのだ。

 始業式の朝、空は透き通るように青く、雲は遥かに高かった。そのせいもあってか、日差しは真夏の南国のように射るように激しかった。晩夏のほうが、日差しは峻烈であることを、懐かしく思いだすのであった。

9月3日(晴れ一時雨

 上石神井にて、江藤淳「荷風散策」(新潮文庫)514円。日銀エコノミスト吉野俊彦氏の「断腸亭の経済学」や川本三郎氏の力作など、荷風を巡ってはこのところも様々なアプローチがたえない。ひとつには荷風散人の人徳のなせるわざか?

 今月の日経「私の履歴書」は元駐日大使マイク・マンスフィールド氏の自伝である。御歳96歳、いまなお矍鑠としておられる氏に敬意を表して毎朝読んでいます。

9月4日(晴れ一時雨

 石神井公園にてチャート式数学IIIC(数研出版)、1650円位。ところで今、買ったばかりの大きな水槽のなかを可愛らしいグッピーつがいの4匹が泳いでいる。グッピーって卵胎生っていって、メスの腹のなかで孵化した卵が、いきなりおなかから飛び出すんだって。もらったメスのお腹はパンパンにふくれている。はやく生まれないかしら。

9月5日(晴れ

 微積分をもう一度最初から、という試みを、ラング先生の「解析入門(原書第3版)(岩波書店)で初めてから、一月あまり。結局積分の半ばで難しくなり、昨日買った数3Cの参考書に帰ってきているところ。昨日、マンガ微積分入門阿部恒治、ブルーバックス)を読んでいたら、「円の表面積と体積の関係」に関してわかりやすい解説があって積年の疑問が氷解した。喩えていえばこんなところなのか。完全に球体のリンゴがあるとして、ごく薄く皮をむいてゆけば、皮をむくまえの体積から皮をむいた後の体積を差し引いたのが、球の表面積であると考えていい。つまり半径の増分を限りなく小さく(つまり皮を薄く薄く)してゆけば、体積の増加率のニュートン商は、表面積になるわけだから、体積を微分したのものが、球の表面積なんだよね。(この説明正しくないかもしれません)

 ゲーム三昧でつまらぬ半日を過ごした。先日かっておいたPCComputing 9月号(SoftBank)所収のシェアウェアなどにはまってしまった。Vector のシェアレジ便利ですね。

9月8日(晴れ

 「あたしゃね、65年生きてきたけどネ、2次方程式なんぞ解けなくともちっとも不自由しなかったわヨ」田舎の婆さまの繰り言じゃない。れっきとした文化人、曾○綾子の弁である。ああ、このひと、昔から虫が好かなかったけど、やっぱりねえ、と思うのである。「分数ができない大学生」のことが、ともすればセンセーショナルに取り上げられていて、ま、それはいいことだと思うが、この小説家なども張本人のひとりなのであろう。理系音痴の開き直り・数学的な概念を修辞的に玩ぶ何人かの批評家たち。(関連ページ)

9月9日(晴れ

 今晩、テレビ東京で放映された仲代達矢主演「ネシアの旅人」観たかったなア。「を越えた縄文人」(祥伝社)という本もでるそうだから、機会があれば読んでみよう。ヤポネシアからミクロネシアへ、メラネシア、ポリネシアをへて南米大陸まで、環太平洋の壮大な旅のドキュメンタリーのようだ。わたしも歳をとるにつれて、多民族の争闘の歴史であるヨーロッパ文化に、隔たりを感じるようになっている。私の郷里である鹿児島県桜島では、盂蘭盆の終わりに、七夕の笹を、に流すならわしがある。子供心に不思議な習俗だなと思っていた。南ののいずこか、祖霊のすまうニライカナイから、年に一度帰ってきたご先祖様が、再び還るその舟としての七夕の笹。沖浦和光「竹の民俗誌」(岩波新書、1991)を読むと、隼人族のもたらしたこの南洋の儀礼は、ひろく南太平洋にひろがる「八月十五夜祭」と深い関連があるのだそうだ。進歩も争闘もなき世界。非歴史的世界への憧れ。

9月10日(晴れ

3Dグラフィックカードを買った。近くのPC Depot にてバルク品のRiva TNT(16MB) 10,700円 は安い。とうちゃんは予算の関係もあって日頃はハードウェアの増設はしないのだが、Tomb raider2 の動きに業を煮やして踏ん切りをつけた次第。増設はすんなりいって、当のゲームも、従来640*480でもぎくしゃくしていたのが、約倍の解像度でも躍動感のある美しい画像で動くようになった。銃弾の閃光があたりをほの明るくする様もはっきり。コストパフォーマンスは高いといえよう。(詩人鈴木志郎康氏のPower Mac8500 のG3アップグレードの格闘記はこちらのURLを。「曲腰徒歩新聞」より)

 近くの古本屋で、「アリストテレス詩学・ホラティウス詩学」(岩波文庫)250円。他に西村寿行「滅びの宴」(角川文庫)200円は、意外とありきたりの展開。週刊アスキー9月22日号

9月14日(晴れ 心の中が紳士ならば、ぼろの洋服を着ていても紳士である。(森茉莉)

 今、雨が降り出した。熱帯低気圧のせいか?帰宅がまにあってよかった。日経夕刊に連載中の「パソコン革命の旗手たち」。今日はSONYのNEWS開発チームの回顧。回顧といってもたかだか14年前。たかだか14年前といっても、こんな比較には驚くばかりだ。当時のUNIXベースのミニコンVAX11は一億5000万円もしたのだが、これが当時は妥当な価格だった。そのMPUの演算速度は、今のプレステの35分の1だという。隔世の感があるね。マルチユーザー・マルチタスクのワークステイションだから、プレステのMPUと単純比較はできないけど。今日の日経朝刊のMAC G4 のデビュー広告も、さもありなんと頷けるところだ。そのワークステイション業界に、なぐり込みをかけたNEWSチーム。そのデビューには、村井純教授の紹介で、SUN創業の頃のスコット・マクネリーやビル・ジョイも駆けつけたのだとか。HIT BIT・MSXなど様々な豊饒な試行錯誤の上に、いまのVAIOの繁栄があるのだろう。

 森茉莉「私の美の世界」(新潮文庫)150円。「チャート式 新物理 I B・II 」(数研出版)600円。

9月15日(晴れ 「門閉めて黙って寝たる面白さ」 (「招魂のささやき」より)

 風が猛烈に吹いた一日であった。石神井公園にて古井由吉「招魂のささやき」(福武書店、1984)400円だけど美本でうれしい。中年になると、こうしたエッセイを細々と読んで気に入ったフレーズをみつけたりするのが楽しくなる。朝は、メモリー増設に挑戦、というかあっけなく 32M の増設ができた。このところ周りの影響で、ハードウェアにも目が向いていて、近くのPC Depot にもでかけた。Linux 関連の本やPerl の本などを立ち読みして、結局迷ったあげく、板垣朝子・尾久土正己「マックでSOHO!!」(日経BP,1890円)を買った。Mac OSとMklinux とでつくるインターネットサーバー奮戦記。今、面白く読んでるところ。ついでに書くとアメリカ陸軍がセキュリティ強化のためサーバーをMacに切り替えたらしい。骨の髄までGUI だから、ハッキングしようとしてものれんに腕押しなんだろう、推察するに。柔構造の高層ビルが地震に強いようなものか、と推察する。

 ホームページに LYCOS の検索エンジンのリンクを貼り付けてみた。

9月16日(晴れ一時雨

 今晩は志水辰夫「いまひとたびの」(新潮文庫)を手に取ってみた。2年前の夏に、優しく癒されながら読んだ本だ。この本に限らず、志水辰夫の本は、ある種のいかがわしい優しさに満ちている。だまされちゃいけないよ!と、心の一部が叫んでいる。キミの本領はここにはないのだよ。もっと本質的ななにか、との格闘を忘れちゃいけないよ、と。自分は実は、慰めてほしいのだ。志水辰夫のような、年長の、やさしいおじさんから。

9月18日(曇り

 朝、「マックでSOHO!!」に刺激されて、MacHTTPをアメリカのサイトからダウンロードし、Local Talk でPowerBookとLC520を繋いでみた。どちらか一方をWEB サーバーにしてみようというもくろみ。TCP/IPの設定に悪戦苦闘した末、やっと仮のWebサーバーが実現した。専用線でつなぐわけではないので実用にはならないが、これでも何台ものMacがつながれば、家庭内イントラネットということになる。一方、68KMacでも動くNetBSD というOS に急遽関心を寄せてYahooで調べると、親切丁寧なサイトが多数ある。開店をまって近くのPC Depotにでかけてみると、Macで構築するUNIXサーバーの入門書がけっこうあった。但し、68KMacではFPUが必須のようだ。とうちゃんのPowerBook550c(黒い鳥)には、FPUが実装されているので、一応動くわけだが、仕事に使っているのでそんな実験はできない。このところお眠りなさっているLC520 をUNIX のサーバーにするへんてこなプランはいったん中断。ま、本気でやるのでなければ、意味がなさそう。DOS/Vマシン用のネットワークカードやハブは合計3500円位で手に入るのがわかった。

 石神井公園きさらぎ文庫にて、室生朝子「父 室生犀星」(毎日新聞社、昭和46年)400円。おかっぱの可愛いお嬢さん時代の写真には、ずっと昔から親しみを感じているので、喜んで買った。他に「校本宮沢賢治全集」店頭1000円均一や「座談会大正文学史」「座談会明治文学史」(ともに岩波書店)各1000円、ユリイカ復刊第1号(青土社)200円、筑摩の世界文学大系諸々250円均一などがあってそそられたが、懐寒く見送り。「ユリイカ」は、先日なくなった青土社々主清水康雄氏が、伊達得夫の遺志をついで創刊(復刊)したことが、巻末のあとがきなどで確認できた。

 グッピーのメスが臨月のまま、一匹死んだ。Nou Neimの飯塚氏に電話して、家庭訪問してもらう。エサのやりすぎに注意。水が酸性化しないように留意とのこと。明日は赤キャベツの煮汁で簡易pH指示液をこさえてみよう。同じく臨月のメス2匹をもらった。

9月19日(曇り

 日経日曜版の報告。文化面、「荷風と東京」(読売文学賞)の川本三郎氏のエッセイ「荷風あとさき」。両国の江戸東京博物館での「永井荷風と東京」展の感想など。同じく文化面、芳賀徹氏の連載「詩歌の森へ」は、芭蕉の「四畳半の心理学」。「秋ちかき心の寄(よる)や四畳半」「ひやひやと壁をふまへて昼寝哉」。四畳半という親密な空間のなかで、残り少ないいのちの疲れをいやす芭蕉の心境が興趣深い。

 秋山駿氏の新しい連載「遠去かる戦後の影」(上)「江藤淳さんの死」。書評欄では、小林恭二「父」(新潮社)<評者:清水良典>。

 詩人鈴木志郎康氏の「曲腰徒歩日記」。先生はこんどはJAVA に挑戦されてるもよう。ぼくもがんばろう。

石神井公園にて、今日は古井由吉「日や月や」(福武書店)と佐藤愛子「我が老後」(文芸春秋)、しめて550円。

9月23日(晴れ

 富士見台駅前山本書店にて佐野眞一「遠い山びこ〜無着成恭と教え子たちの四十年〜(文春文庫)。散髪のついでに購入。午後おおよそを通読した。

 グッピーの赤ちゃんが2匹産まれた。夕食のあとびくんを帯びて熱帯魚屋さんへ。水槽のガラスに生える水苔を食べるお掃除やさんの魚(名前失念)3匹を購入。

9月24日(曇り後雨 

 小生43回目の誕生日。昨夜は郷里の母から電話をもらった。ありがたいことだ。「我正路を失いて人生半ばに至りし時、とあるま暗き林にありき」(神曲)、目下のところ私はそんな感じの中年のウツ状態。何をやっても楽しくない。たったひとつ、掲示板を通じての交遊が楽しい。ひとりひとりが、ホームページと掲示板を持っての淡い交流。島嶼を結ぶ交易の舟のように、いただいた投書のひとつひとつがしみじみ楽しい。そもそも、実生活ではひとに本を薦めたり薦められたりするのって、いささか気が重くなるじゃないですか?こころの借金が増えるみたいで・・・。でも愛書家のみなさんは、打てば響くというのか、ちゃんと応えてくださるのが、すごくうれしいですね。そんなわけで、たろうさん、垣屋三猫子さん、それからトーボさん、Miaさん、愛心さん。今後ともよろしく。

9月25日(晴れ

 息子たちの後学のために都下某私立中・高の文化祭訪問。今朝はまた一転して真夏のような暑さだった。駅からすこし歩くところなのだが、往復でばてばて。乗り継ぎを嫌って、西武新宿線井荻駅まで自転車で往復したので、疲れも倍増だ。肝腎の文化祭だが、まずまずといったところ。理科展示会場でうごいていたロボットに興味あり。展示されていたマニュアルからプログラム可能な教育用ロボットを販売する http://www.elekit.co.jp/ を知った。吉祥寺ロフトでも扱っているらしい。

 淡谷のり子さん逝去。92歳の大往生。昭和50年前後に家族でみた懐メロ番組で、貫禄たっぷりで歌っていたブルースの女王を懐かしく思い出した。

 昨日来、Gregory Bateson に関心を持っていくつかのサイトを遊泳した。Roger Caillois。

9月26日(晴れ 鈴木志郎康あるいは現代詩の希望

 鈴木志郎康氏の「曲腰徒歩新聞」を拝見。JAVAに、はまっておられるらしい。このところとうちゃんも再びプログラミングへ還ってきていて、時折Yahoo! のダウンロードの頁や関連サイトを覗いている。ほとんどの言語はフリーで公開されていて、コンピュータ文化の面目躍如なのだが、さすがに<紙の本>なしに言語をマスターするのは難しい。しかも昔と違って選択肢が多く、進化も激しいので、めくるめく眩暈を覚えるのがせきの山ということになってしまう。挫折続きの言語の勉強だが、ここいらで腰を据えてどれか勉強しようかしら?

 そんなことを書くのも、実は、人生の限界を感じるこの頃だからだ。昔のことをよく思い出す。夜明けに、夜更けに・・・。<世界をより明晰に理解したい>という切実な願いにかられて、数学3を学び、古典物理を再学習し、英語を学び、コンピュータ言語を学び、・・・。

 かたや、昨夏の沖縄における珊瑚礁体験。強烈だった・・・。神様の前で人類を代表して尋問をうける私。「で、結局、人類を選びますか?それとも他の生物を救いますか?」と訊かれて、自分はなんとこたえるだろう。このジレンマについて、Gregory Bateson がなにかを啓示してくれるような予感がしている。「環境保護思想」とカウンタカルチャの婚姻、さらには情報理論のめくるめく壮大な援護。たぶんベントソンとは<ずれて>くるのだろうが、このあたりの領域に、2000年カウントダウンからの跳躍が、人類の今後が、たくされている気がする。

9月28日(晴れ

 9月も残り少ない。急いで近況をまとめよう。まず、昨日例のロボットを2体購入した。吉祥寺のロフト2Fにて。計4,800円は散財だが、息子たちの教育のためとあらばしかたがない。光センサー(フォトトランジスタ)・音センサーを実装した4足歩行ロボット。但し電子部品は組み立て済み。小4と小6にはやや難しいとも思ったのだが、ままよとカードで買った。今日は学校から帰るなり早速工作に取り組んだようで、遅く帰宅したらすでに完成していて、手拍子や光で動くロボットが完成していたのだった。次男がとくに喜んでいて、早速大五郎というニックネームをつけて可愛がっているとか。

 昨日は下林国語教室の下林先生から職場に電話があり、しばし業界の動向やマルチメディアの趨勢を話した。三鷹の国語専科塾K先生の話題(朝日新聞)、講談社現代新書をものした工藤順一先生のことなど。こんど上石神井の個人塾を訪ねてみよう。

 今度は、ベイトソンのこと。急浮上した世紀末の天才研究者。なにしろ彼は難解な情報理論の泰斗であり、人類学の教授であり(マーガレットミードの何番目かの夫であり、愛娘を残している。)精神分析学の大家であり(ダブルバインド理論)、そしてこれらのくびきからゆるやかに飛翔して、未知の領域で(「天使のおそれ」る場所で)、晩年とある場所に到達している。吉祥寺さかえ書房にて、あたりまえのように「精神と自然」はみつかった。1600円。今度買う。このところ、古書店でじっと念じると、不思議なことにその本が見つかる。これで2回目だ。不思議な符帳、不思議なめぐり会いに私は感激している。屋久島在住の星川淳。ジム・ラブロック「ガイヤ仮説」など。大乗仏教。カイヨワ。環太平洋文化。G・フェヒナー。稲垣足穂「地球」他。これら諸概念の混淆に優しく癒されて、今晩なぜか満たされている私なのだ。

 夜はTUTAYAで、JAVAなどの本を立ち読み。

9月29日(曇り

 日経夕刊の記事から。川上弘美の連載エッセイ。「檀流クッキング」にすっかり感化されて、この夏オクラのおろし和えにはまったそうな。今度読んでみようかしら、と思わせる楽しいエッセイ。その右頁、ジョンレノンの軽井沢での生活を追うルポ。いやはや私は「ジョンの魂」以来のファンだが、ジョンが軽井沢で毎年避暑を楽しんでいたなんて全くしらなんだ。目からうろこ。ついつい読んだ。文化面は「白洲次郎のリバイバル」。そういえば、今月の新潮文庫新刊に、白洲正子自伝があった。今夜ツタヤで眺めてきた新潮文庫の新刊には他に、古井由吉・庄野潤三の新刊。

9月30日(曇り

 9月も終わりだ。終わりに簡単に書いておきたい。教育とは贖罪にあらずや?いかに何万人を救おうとも、たったひとりの生徒の癒されぬ涙のために、自身のおかした罪を償っていこうという魂がなければ、それは輝ける悪徳に過ぎない。現場をダメだというのはたやすい。だが、何人が進んで代わるというのか?成功だけの物語のうさんくささ。都立C高校のO先生の数学の原稿に、25年来のフィボナッチ数列に関する疑問が氷解した、ことも付記しておく。 

 ベイトソン「天使のおそれ」古書店になし。 アマゾンで調べたが原書「Fear of Angel」も品切れのようだ。(了)

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