1月3日() 晴れ

 新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

 新年早々、ビデオ漬け。「ツウィスター」(竜巻が主人公のシンプルな映画)「エネミーオブアメリカ」、「踊る大捜査線 MOVIE」「スピード」。

 ギボン「ローマ帝国衰亡史」2・3・4巻(中野好夫他訳、ちくま学芸文庫)1260円。ぼちぼち読むこととしよう。(新たな千年紀にあたってローマ帝国の政治と文化にふと思い当たった。古本屋にて、突然)※第2巻、293頁に、初期キリスト教の千福年(ミレニアム)の教義について詳述してあった。2000年という節目の年は、キリスト教徒にとっては特別の意味を持つのだろうが、その思想的背景の深さはわたしの窺いしれぬところであろうか。小学6年のとき修学旅行で宮崎にいって、そこで仰いだ八紘一宇の塔。紀元2600年を国をあげて祝ったのは昭和15年わたしの母が小学生の頃である。母の時代には、仏教伝来の年号を、「兵隊さんが仏像かかえて、オイチニ・オイチニ(1212年)」と覚えたそうだ。今手元で計算してみると、戦前の日本史では日本書紀説(552年)を採用していたわけなのね。

 石村園子「すぐわかる微分積分」(東京図書)に明け暮れた正月だった。テイラーの定理やマクローリン展開までこぎ着けた。以下は、内部で十進演算を1000桁の精度でおこなう十進BASIC for Windows95 ver.3.08(白石和夫氏)を使って作った、自然対数の底 e の近似計算プログラム。それほど美しいプログラムではないのだろうが、ままよ、ソースを載せてしまう。一応、小数点以下65桁まで真実の値を返してくれる。

! Maclaurin展開によるExpの近似値計算
LET ex=1
for C=1 to 50
LET k=C
!' factorial routine
LET fact=1
for J=1 to K
LET fact=fact*j
next j
LET ex=ex+1/fact
next c
print "EXP=";ex
END

EXP= 2.71828182845904523536028747135266249775724709369995957496696762772・・・

1月7日() 曇り 月日は流れ、わたしは残る・・・

 ミラボー橋のしたを、セーヌ川は流れる。わたしたちの愛も。思い出すべきであろうか、月日は流れ、わたしは残ると・・・。

 「トランスパーソナル心理学入門」(講談社現代新書)240円。手放しで受け容れるわけではないが、一応のことを理解しておきたいと思って吉祥寺の古本屋で買ってみた。今朝読もうとおもったが、妻が出がけにもっていったので、筆者不詳。(後記:諸富祥彦氏)パラパラめくっただけなので本来コメントする権利はないのだが、アメリカ流合理主義の嫡子じゃないかという疑念もいっぽうで、ある。「今このときも、森羅万象草木鳥獣のことごとくがあなたの済度の為に働いている」(大乗起信論)。トランス・パーソナルなんて大乗仏教徒のわたしにとっては当たり前のようにも思えるのだが。※引用はすべてうろ覚え

 年末に光が丘の図書館から借りてきた中川与一「天の夕顔前後」(古川書房、1986)を読んでみた。いくつか興味深い発見があったので記録しておきたい。(1)わたしが新潮文庫版「天の夕顔」を鹿児島の天文館の本屋で買って、一気に読んだのは昭和48年の夏休み、8月2日のことである。当時、わたしは筆者のことをどれくらい詮索したのか、あまり記憶にない。もともと時代を超えたような趣の恋愛小説なので、作者が存命か他界しているかなんて、高校生の自分には関心がなかったのか。今回自筆の年譜を読んで気付いたのだが、ちょうどこの時、中川与一は、ギリシャに旅立つ直前であった。御歳76歳、今でこそ、70代での外旅行は珍しくはないが、当時にしてはやはり勇気を伴うことだったであろう。ギリシャからイタリアに向かうこの旅で、氏は地中文明の深奥にふれている。矍鑠たること!また翌年昭和49年には、鹿児島開聞岳(薩摩富士)に登っている。意外なところで接点があったわけである。(2)84歳の時だかに、長年連れ添ってきた奥様を亡くされている。そして85歳の時に、再婚している。これはすごいことで、今わたしにはボルヘスの最晩年における日系女性との結婚のことが思い出されたりするが、ところで、この結婚式に参列したひとのひとりに、川内康範がいる。昨年大晦日の紅白で森進一がうたった昭和の名曲「おふくろさん」の歌詞を書いた人である。久世光彦氏が、この川内氏は謎めいたひとだと、どこかで述懐しているが、なるほど不思議なところで出くわして驚いた。

 「ローマ帝国衰亡史」第5巻(ちくま学芸文庫)、420円。息子たちがよく勉強した。感心感心。

1月10日() 雨後晴れ しかし私はこの地に住み友を忘れ友からも忘れられて・・・

 ・・・沖の彼方とどろくポセイドンを眺めていたい。 とは、ホラチウス流たくの時代の書簡詩の一節である。自分はこの一節が好きで、かつてペンギンの" The Satires of Horace and Persius" を買い求めたことがある。

1月13日() 雨後曇り  寂しい冬

 大友賢二「項目応答理論入門」(大修館)を紀伊国屋BookWebに注文した。4100円位。旺文社+セコムラインズ「センター試験対策キット」をセコムのサイトで注文した。4800円位。吉原健一・寺田敏司「現代線形代数学入門」(学術図書出版社)1,100円は吉祥寺さかえ書房にて。ジュリー・アンドリュース主演の「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ一家の末子ヨハネス・フォン・トラップ氏の回顧録が日経文化面に載っていて、たいそう興味をそそられた。

1月14日() 曇りのち晴れ  歴史の転回点(或いは日経オタク)

 時代の慌ただしさに関していえば今日の日経夕刊が象徴的だ。一面トップ記事、MSとGEの提携発表(一方で「日経エレ」はBlue toothが世界を席巻すると書いているが)、その下の記事はMSのCEOに新たにスティーヴ・バルマーが就任したと。今朝は「日経エレクトロニクス」「日経ビジネス」も届いていたのでそちらにもすばやく目を通さなくてはいけない。日経エレ特集、「ザッツ・エンターテインメント」、そうコンテンツの川下からハードウェアの川上まですべてを制覇せんとするソニーの戦略に他社が驚異を感じ始めていると。日経ビジの記事、AOLとタイムズ・ワーナーの合併は企業規模が肥大化するのみで双方の文化や活力を活かせぬならば失敗に終わる可能性もあると。ご覧のように日経だらけ。かたやこっそり日経エンタテインメント2月号を読んで、2000年にブレイクするアイドルをチェックしてたりするからわたしも芸が細かい?後藤理沙ちゃんや池脇千鶴ちゃんをこっそり頭にいれておくオヤジである。もっとも小社も今後芸能コンテンツに力をいれるという噂もあるから、まさに芸は身を助くじゃ。かつて小社塾部門で人気を博した学生講師Mさんが日経関連企業に就職が決まった当時、わたしは「日経バイト」「日経パソコン」を購読していて、はたまたさらに昔は「日経コミュニケーション」なんて専門雑誌も購読していたことを彼に告白すると、とうのMクン曰く、「Y先生は、日経オタクですネ!」。日経に就職したヒトにそこまでいわれたひとなんて、私くらいじゃなかろうか。おおいに自慢したいのであります。そういや1冊1万円の雑誌日経E-BIZも会社でよんでるナ。

 吉祥寺ラオックスで、Macromedia Dreamweaver3+Fireworks3 のバンドルパッケージ、19800円で購入。本日発売のミレニアム記念パッケージは世間の関心も高いらしく、わたしが買ったのが平積みの最後の箱だった。FLASH4も買いたいが金がない。

 最後に、かつての僚友Fくんがおなじ部に異動が決まった。かれはインターネット技術の動向に明るい。ともにミレニアムを猛スピードで疾走しよう!

1月16日() 晴れ  センター試験その他

  17日が阪神大震災の5年目の日。昨日の日経、永田耕衣と西東三鬼の震災後の晩年を、今日の日経文化面は藤本義一氏(昭和46年頃11PMでアシスタントをしていた笹田泉さんも健勝みたいでなにより)の震災直後、その後の生活のありようをエッセイに書く。あの当時・・・、首都圏の日常生活は思いの外平常のままであり、絶望を感じたり憤りを感じることも多かった。そんなことを思い出したりする。

 センター試験。インターネット強化はEくんの努力に拠るところ大なり。

 吉祥寺よみた屋にて、「正宗白鳥集」(筑摩書房、1977)、ゲーテ「詩と真実」第1巻〜第3巻(小牧健夫訳、岩波文庫)、合計で1500円ほど。

1月17日() 雪のち曇り

 よみた屋にて、木下栄蔵「多変量解析入門」(啓学出版)1155円。

 教師としての魂。都立M高校卒のTくんお元気ですか?他に名前を失念した子がいっぱいいるが、ともかくだ、高校で自己実現できない不幸な生徒を救済するのも、教育者のはしくれとして大事なことだと再確認した。(唐突だが)

1月20日() 晴れ 愛の奇跡か学芸への回帰か?

 恒例センター試験のあとで忙しい。鈴木志郎康氏のサイトから不思議な掲示板へジャンプ。片根伊六氏は存じ上げないが、たちどころに惹かれる自分です・・・。

1月21日() 晴れ Mais c'est un beaute defruit...(G.Nerval)

 大友賢二「項目応答理論入門」(大修館書店、1996)が届いた。著者と2月に会う予定である。テストは、被験者を評価するためのシステムであると通常思われている。が、違うのだ。その被験者の受けた教育システム・教育カリキュラムの妥当性を測るためにあるのだ。(教育システムの妥当性について優劣をつけることで教育システム自体が疎外されてしまうというヂレンマに陥らないか?この危惧は無用でると思っている)

 Kさん逝去の報に接し絶句。今は何も語るまい・・・。語ることばがみつかるまでは。「ああ、あなたに肉体があるとは不思議だ」と、かつて「詩人」は書いた。ぼくは悲しいので、これ以上は書かない・・・。

1月23日() 晴れ後曇り さようならKさん・・・

 昼過ぎまで雲一つなかったのに、そののち天気予報通り急に雲が広がり夕方は少し雨が降った。国分寺の斎場でKさんの告別式。不思議なことに涙は零れなかった。これを読んだひとで経緯を知るひとはやや怪訝に思うかもしれない。でも事実をどう書こう。今考えるとこういうことだろうか?残されたご主人がいる。残されたふたりの愛娘がいて、未だ幼い。おそらく自分の身になぞらえて、今は泣くどころじゃないという心情のかけらみたいなものが、私のこころに鎧を着せたのだと。そんな風にも思ってみたりするのである。

 それにしても、歳をとるごとに、不思議なことだが、あのひとがなくなったということが、実感としてピンとこなくなってきているような気もする。どこかであの笑顔が、あの優しさが、生き続けているような、既視感のような、こころの揺らぎ。おそらくは、と愚考するのだが、歳を経るごとに追憶のなかの体験の総体は豊饒になってゆくのに対して、これから先の未来に予感される体験の期待値はだんだんと少なくなってゆくので、記憶の中の幸福やこころのときめきが、相対的にどんどんと優位にたってゆくのではないだろうか。昔、少年の時分、夕焼けの雲のむこう、山のむこうには未知の人間の生活があって、眺めるだけで胸がときめいた。いまや私はしっている。山の向こう側、空の彼方にある生活も、なんら新奇なもの、ロマンチックなものはないのだと。中年になって、だから、夕焼けが懐かしいのは、昔の自分が信じた夢のことがなつかしく思い出されるからだ。

 日経朝刊文化面。山崎正和「さよなら、スヌーピー」秀逸。その下段、芳賀徹「詩歌の森へ」冬籠りの名人〜蕪村小論〜も面白い。冬ごもり妻にも子にもかくれん坊(蕪村)他。

1月28日() 晴れ 

 今日は、美しい、澄んだ空が広がっていた。

 先日、若いひとの死に接して涙しなかったわけを、自分の生活になぞらえて書いたけど、書いたあとすぐに違和感を覚えた。ほんとうのところ、結局は、たいへんな「ショック」だったのだ。悲しかったのだ。空しかったのだ。さびしかったのだ。それだけのことだったのだ。

 祖母が死んでから三年、

  -おばあ-あれは埋葬のとき

 皆、家族も友も泣いていた、

 本当の悲しい痛みから



 ぼく一人、家の中をうろうろと

 悲しむよりも驚いて、そうやって

 棺に近よると、-だれかにぼくは叱られた

 それをみて泣きも叫びもしないとは、と



 騒がしい痛みはいち早く過ぎ

 三年のあいだにほかの動揺が

 悲喜、-革命-を織りまぜて

 その記憶を人の心から消し去った



 ぼく一人、思い出しては涙する

 時が悲しみを増幅する三年

 それは木の幹に刻んだ名前

 彼女の思い出は、より先に掘られてゆく



 -Gerald Nerval-(篠田知和基訳)

 ぼくは生き続けていこう。Kさんのためにも・・・。

1月29日() 晴れのち曇り

 石神井きさらぎ文庫にて、「折口信夫全集」第8巻、第16巻(中央公論社)1000円。中学生の頃、ふるびた図書館で憧れた、天の黒いあやしい本をはじめて手に入れた。昭和50年頃始まった中公文庫版での復刻(?)版で8冊持っているので、いったん家に帰り、持ってる巻を調べて後、仕事の帰りに上記の巻を買った次第。珍しくバラで出ているので追々揃えてゆこう。

 http://www7.versity.com/   http://www.xcalat.com/   Assessment Systems Corporation  

[ HOME ]