7月29日(月) 曇り 南方熊楠アルバム

いまひとつ調子の出ない今日この頃であるが、短い夏期休暇まえの今日から3日間で、難しい仕事を前に進めなければならない。がんばろう。

『南方熊楠アルバム』足早に読了。☆☆☆☆☆ 石神井の古本屋で買った本だが、奥付に著者長谷川興蔵氏の訃報記事の切抜きがはさんであった。1992年12月11日の日付が鉛筆で書き添えられている。平凡社版『南方熊楠全集』や『南方熊楠日記』(八坂書房)の編集に参与し、91年の第1回南方熊楠賞を受賞された由。 さてこの熊楠アルバムだが、じつによくできたアルバムで、貴重な写真や手稿のコピーはもちろん、そのそれぞれにていねいな解題がつけられている。稀代の天才(岩村忍評)の生涯を追ってページを繰りながら、なぜか妙にぎすぎすした気持ちが慰められた。ちなみに、先日の日経夕刊コラム(プロムナード)で荒俣宏氏が嘆いておられた「熊楠の亀の死」事件であるが、生前の亀の写真も収められている。熊楠にはまだまだ未公開資料・未公開書簡も多い。没後六十年を経て、なお全貌には謎も多い。

7月28日(日) 晴れ 緑陰読書

半藤一利『昭和史が面白い』のことだが、これがなかなかの好対談集。昭和史の数々の事件に直に関わった当事者や深く関わってきた学者・研究者ふたりの対談を、半藤一利氏がコーディネイトする対談集。廃刊になった雑誌『ノーサイド』に5年にわたって連載された企画らしいが、いかにも文藝春秋らしい企画である。例えば『信念の(太平洋)戦争終結』(鈴木哲太郎・東郷いせ)。二氏は鈴木貫太郎首相の孫、東郷茂徳(終戦時の外務大臣)の娘である。一般によく知られた史実なのか、そうでないのか、私はよくわからないが、ともかく、興味深いエピソードがポンポン飛び出す。この会話のスピードとリズムで、残された子孫とともに、あの時代を紙面で再び(はじめて)生きることができる。藤原てい・なかにし礼の対談『「引き揚げ」修羅の記憶』、池田俊彦・秦 郁彦『新証言 二・二六事件』など、貴重な証言が目白押しの対談集です。

兵藤長雄『善意の架け橋 ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋、1762円)が届き、早速読んだ。1920年頃というから、ロシア革命直後に、シベリアに送られたポーランドの孤児たちを、日本赤十字と日本政府の迅速な決断で救済したという史実を中心に構成されている。筆者は元ポーランド大使であるが、赴任に至るまでこの史実は知らずじまいだったという。先日の天皇・皇后両陛下のポーランド訪問で、最近話題になったばかり。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog142.html (このポーランド孤児救済についてはそれほど深く掘り下げて書いてある本ではありませんでした。念のため)

中瀬喜陽・長谷川興蔵編『南方熊楠アルバム』(八坂書房、1500円)@石神井草思堂。以前から買いたかった本だ。ぱらぱらめくっているといつの間にか引き込まれてしまう。

7月26日(金) 晴れ 緑陰読書?

休日。実に暑い。朝、田舎の母に電話。それから、家族のパスポート取得のため、区の出張所に赴き、そこから保谷駅に向かった。保谷駅で古本屋に寄り道。アカシヤ書店。バブルの頃、高層ビルの建設でいったん立ち退いた店だが、しぶとく生き残っていた。車関係の専門店になっていて驚いた。一般書は昔日のほどは無し。昔日とは約16年前の頃である。記念に半藤一利『昭和史が面白い』(文春文庫、250円)を買って帰りの車中で読んだ。保谷駅前、草古堂。見るべき本なし。もうひとつ、老舗の店は店を閉じていた。駅前の様子はバブル前後とさして変わらず、感興なし。

長谷川勝也『これならわかる Excelで楽に学ぶ多変量解析』(技術評論社、2800円)。版下の作り方に不満はあるが、なかなかの良書かもしれない。ともかく重回帰分析から主成分分析まで、おおまかのことは理解できたのだから。筆者開発のExcelのアドオン・ソフトウェアの体験版が付属する。

アマゾンからは、David Berlinski "The Advent of the Algorithm"(Harcourt)が届いていてこれも読まねばならぬ。難書のよう。

一方で、デフォオ『ロビンソン・クルーソー』をぼちぼち読んでます。

7月24日(水) 曇り

ラシーヌ『フェードル』読了。いやはや、ヨーロッパという概念については、キリスト教信仰だとかギリシャ・ローマとか、いにしえからの農耕儀礼の数々だとか、黒いマリアのようなアフリカ起源の土着的信仰であるとか、いちおうわかったつもりにしているわけだけど、この悲劇を読むと、つくづくヨーロッパというものがわからなくなる。例によって渡辺守章の精緻な解説に助けられる。直感だが、ギリシャ悲劇・ローマ悲劇から、フランス古典悲劇へ連なるベクトルは、ヴァレリーの詩までまっすぐ延びているのではないかと。

●DVD『交渉人』。☆☆☆☆ 主役の交渉人二人がかっこいいぜ。極限状況のなかで事態を冷静沈着に解決しようとする行動が頼もしい。ひとがほとんど死なないのがいい。ドラマを盛り上げるために人がやたらと死ぬのはもうたくさん。

難しい仕事を抱えている。進路適性検査・職業適性検査。あちこちのサイトを調べる。多変量解析も勉強しなくちゃ。原口氏の労作というべきページもみつけた。

7月22日(月) 曇り

昨夕のこと。神田駅近くの居酒屋「紙風船」の片隅で、気炎をあげる3人のおじさんがいた。すなわち、青幻記のIさん・Kさん・私の3人であった。古今の文芸談義・日本古代史・太平洋戦争の前後の話題・旧友たちの近況・・・・。まことに楽しい数時間でありました。IさんをこのHPに引きずり込もうという作戦をじわじわ進行させているところです。

 

7月21日(日) 晴れ

辰野 千寿『個性を生かす学ばせ方』(図書文化社、728円)、同『学習方略の心理学―賢い学習者の育て方』(図書文化社、1500円)をアマゾンに発注。開発中の模擬試験のなかで使用する学習適応性検査の研究のため。

DVD漬け。●『コン・エアー』は『ザ・ロック』の監督と主演ニコラス・ケイジのつながりで。最初から最後までハチャメチャなアクション映画だが、意外にスリルに乏しい。☆☆☆ ●『メン・イン・ブラック』、後になにも残らないエンターテインメント。エピローグ、NYの街角からず〜っとカメラがパンしてゆき地球・太陽系を経て、最後は銀河系になり、その銀河があれよという間にビー玉サイズの球に収まって、宇宙人の手で玩ばれるシーンが面白い。☆☆☆

●『小説家を見つけたら』。ショーン・コネリーの最新作。某洋酒メーカーの一昔前のCFで、ヘミングウェイとおぼしき風貌の老作家の役をこなしていたのを覚えておられる方も多かろう。そう、「時は過ぎ去らない、それは積み重なる」という科白が懐かしい。案の定、この映画の老作家の役ははまり役だった。処女作で一世を風靡し不出世の作家としての地位を確立しながら、たった1作で筆を折り杳として行方をくらました幻の作家と、16歳の作家志望の黒人少年とのこころの交流を描く。少年は彼に導かれて勇気をもって人生をいきる道を見出し、作家もまた再び生きる喜びを見出す。随所にみられる作家談義も楽しめる。ショー・コールリッジ・ポオ・キプリング・ジョイス・ディケンズなどがちらっと登場する。お薦めの一作。☆☆☆☆☆

7月19日(金) 曇り なぜかDVD

●『π(パイ)』、奇作。天才数学者の苦悩・苦闘を、シュールな妄想として描いているところに好みがわかれそう。私はパス。ただ、映画中、螺旋・黄金分割に関する映像のコラージュがあったので、『螺旋学の招待』に加えておいた。☆☆☆

●『スターシップ・トゥルーパーズ』、なかなかの怪作。一見能天気な戦意高揚映画の衣をまとって、戦争のグロテスクさ・不条理さを執拗にえがく。この監督、ただものではない。☆☆☆☆

●『ザ・ロック』、快作。でてくる俳優ひとりひとりがすばらしい。なかでもショーン・コネリー。老いてなお、強靭このうえない元英国秘密諜報員を演じる。最後はやや演出がありきたりだが、それでも最後まで一気にみせる。☆☆☆☆☆

 

7月16日(火) 大雨のち晴れ 夜

今日は、午後から変則出勤という変な一日だった。(そもそも休みの日)朝方、関東地方を台風が通過し、出勤方法および出勤時間を、あめだすの画像やらNHKの中継で判断したのだった。当たり前のことだが、あめだすの画像に相呼応するかのように西の空から晴れ間がひろがってゆく。バーチャル世界よりは、さすがに実世界のほうが反応は速いようであった。ま、それはさておき。

渡辺守章訳の「アンドロマック」を台風のさなかに読了した。西洋の古典的な悲劇を堪能した数時間だった。「イリアス」で書かれたトロヤ戦争の後日譚。であるからして、これは西洋的世界の最古の物語の、変奏のまた変奏である。イリアスはもちろん、ギリシャ悲劇やヴェルギリウスや、はたまた中世のさまざまな劇の、変奏の、また変奏。西洋的な物語世界の歴史をまざまざと思い知らされた。ちなみに脇においたのは、山川の世界史教科書。(わたしは所詮その程度である。) それにしても渡辺守章のこの訳書、たいへんな力作である。訳注の周到、ラシーヌ年譜、そして詳細な解説。解説では、バルトの"Sur Racine"をめぐる緻密な考察もある。そして揺るぎない訳文そのもの。

 

7月16日(火) 曇り 朝

台風のせいで風が強い朝。雨は降っていない。

グアムだの屋久島だの、家族旅行を検討してみたが、夏休み中は料金が高くて現在思案中。ああ、ミクロネシア!ヤポネシア。小笠原諸島のちょっと先にアメリカの準州があって、飛行機で東京から3時間たらず。ミクロネシアの原文化に接せられる、というのには胸がときめくが。ヨーロッパもアジアも、どこにもいったことがない。USAが2回と、カナダが1回だけ。どちらの国でも広大な国土と人情と、文化の懐のふかさに感動した私であるから、ヨーロッパやアジアや、はたまた南の島に旅すれば、きっと深い感銘を受けることだと思うのだが。

R・ピニャール『世界演劇史』(文庫クセジュ、400円)@外口書店。訳者はコルネイユと同じ岩瀬孝氏。なにしろ原始時代の呪術的舞踏から現代の前衛劇まで扱う本だから、シェイクスピアやコルネイユなど個々の作家の分量はそう多くはないが、なにしろ浩瀚である。「ラシーヌ劇の怪物的人間像は、悪霊に憑かれた人々である。(中略)ここでは人生を全的に生き抜こうとすれば自滅するほかないという宿命を背負わされた人間の悲惨が、なまなましく白日のもとにたたきつけられている」(99頁より)ああ、ラシーヌ読みたし。だけど、疲れて帰宅したあとは、アンドロマックに集中できないんだなあ。

7月14日(日) 晴れ

デイヴィッド バーリンスキ『史上最大の発明アルゴリズム―現代社会を造りあげた根本原理 』(早川書房、2600円)の原書 "The Advent of the Algorithm: The 300-Year Journey from an Idea to the Computer"をアマゾンに注文した。1600円位。アルゴリズムの歴史と理論そしてボルヘスばりの奇想を交互にちりばめた奇書らしい、私の英語力では無理かも?

カルデロン『人の世は夢』(岩波文庫、1978年)を再読。スペイン・バロック演劇の精華。このところ、妙に西洋のバロック劇にはまっている。ラシーヌの悲劇に突入したいがこちらはやや敷居が高い。ギリシャ悲劇の素養がないと楽しめない感じ。岩波文庫『フェードル・アンドロマック』、渡辺守章氏の解説が緻密。

暑くて暑くて読書すらはかどらぬ。お勉強はいうに及ばず。

7月13日(土) 曇り 三省堂書店開店

自宅から徒歩3分の練馬高野台駅前に三省堂がオープンした。5月だったかに隣の石神井公園に八重洲ブックセンターが開店したのに続いて、ブランド系の書店がぞくぞくと出店している。もちろん規模的にはターミナル駅の大型書店に及ぶべくもないが、なにはともあれきちんとした本屋に散歩がてらサンダルばきで足を運べるのはとてもうれしい。なぜか少年時代からこのかた、住む場所住む場所大きな本屋に縁がなかったので、本屋コンプレックスとでもいうべき屈折した心情を抱いているのである。(なにしろ少年時代にいたっては、バスに乗り船に乗り市電に乗ってようやく本屋にたどりつくありさまだったので) 本屋のある町にすむというのが人生の憧れだった。

正直にいうと町の規模からして少しオーバースペックなのではと心配している。学生も勤め人も池袋などのターミナル駅を経由するライフスタイルだろうから、なにも自宅そばの本屋で本を買わなくとも、いくらでも本を買うチャンスはあるものだ。そうした理由で、この私鉄沿線には大きな本屋が育たなかったのはまちがいないが、それでも相次いでブランド系本屋が出店するということは、よほど本の売り上げが落ちていることの証なのではと勘ぐりたくもなる。チェーンオペレーションの場合、固定的な費用増加は目に見えていても、体力のあるうちに売り上げの増加を図ろうとするのはごくありきたりの戦略だから。ま、なにはともあれ地域文化の興隆のためにも繁盛して欲しいものだ。

とまあ、家族にもそそのかされ、ウキウキしながら新店舗を覗いてきたのだが、結局何も買わずじまいだった。最近、どうも新刊本屋で本を買う気にならない。これはネット上で交流している他の書友のみなさんとはいささか異なるところかもしれない。以下、私なりに理由を考えてみた。駄文。


1、古本屋病 今ここでしかない本との出合いに賭ける、といったら大げさだけど、古本屋の場合、一期一会が原則なんですね。なにも絶版書のように大げさでなくとも、1冊200円の岩波文庫でも出会いはその場かぎりの実存的なものです。まあ、何週間も古本屋の書棚に委託しておいて買うチャンスをうかがうということはあるにせよ、その間に売れてしまったら、それは自分の責任。だれを恨むというわけではありません。今ここで買うか買わぬか、常に決断を迫るようなところが古本屋通いにはあるんですね。そうした緊張感が新刊本屋にはありません。
2、ネット書店病 立ち読みもできない本屋がいったい繁盛するものかという悲観論が数年前にありましたし、事実撤退するネット書店もあるわけですが、わたしは結構ネット書店は活用しているほうです。なにしろ、大型本屋(西武リブロとかジュンク堂とかそのくらいの規模) にいく暇がない。若い頃と違ってゆっくり立ち読みをする暇がないのであります。また、大きな本屋であれば、お目当ての本を探す時間もかかる。ジャンルがわかりにくい本の場合、勘所を間違うと延々と書棚から書棚へさまよう場合もあります。昔はこれも楽しかったのですが、いまは億劫。ネットの場合、なにしろこれらのハンディが克服できます。すばやく探せてボタンをクリック(笑) 即、注文、です。もうひとつ、ネットの場合には類書を比較したり、書評や読者の意見を参考にできるので、勘を養いさえすれば、立ち読みできなくともその本の真価をある程度推察することができます。対して、実際の本屋の場合、平積みになっている本ですら、立ち読みして得られる情報はもちろんすばらしいにせよ、それ以外の情報ってないですものね。
3、ブックオフ病(笑) こんどできた三省堂の近くにもBookOffがあります。百円均一の文芸書や一昔前のベストセラーが選り取りみどりに並んでいます。なんだかこう、飽和してるんですね。書籍文化が。価値のインフレです。BookOffは愛用してますし、侮りがたいと思いますが、こうも百円均一で美本がならんでいると、わざわざ2200円もだして一番新しい面白い本を買わなくとも、ちょっと古めの面白い本がいくらでもあるじゃないかと、まあけちなわたしには心理的ブレーキがかかってしまうのであります。
4.仕掛けに醒めた 正直にいうと、今の新刊本屋には特徴がないですね。隣駅の八重洲ブックセンター、こんどの三省堂にしても、なんだかこう、全然個性を感じないし、知的挑発をうけないわけです。驚きや感動がないのであります。そりゃ、理工系の棚や人文の棚、コンピュータの棚と、よくよく見ればいい本が並んでいますし、一冊一冊の本には著者と編集者の意気込みを感じることも多いのですが、店全体としての挑発とか見識というのが感じられない。ベッカムの人気にあてこんでベッカムの赤い本を平積みにする、高村薫の新刊を斜めの棚に美しく陳列する・・・書店としては当たり前の営業で悪くいうつもりはありませんが、なんだかこう、この歳になると、大方のTVバラエティ番組が見え透いているのとおなじで、興ざめしてしまうのであります。別に、西武リブロやジュンク堂のような見識と知識を持て、とはいいませんが、もう少し、個性がほしいと思います。漫画だって中身を確認して買いたい客も多いでしょう。青少年の立ち読み防止策としてビニールで封緘するのもわからなくはありませんけど。
5.知的好奇心の衰え これはわたし自身の問題です。昔ほど、いろんなジャンルの本を読み漁りたいという欲望がなくなりました。なんだかこう、先が見えてきたという感じです。人間ひとつのことに打ち込んで石の上にも三年で精進すればなんらかものになりますが、何でもできると妄信してあれこれつまみ食いしても専門家にはなれないなあ、と。これは私個人の人生の反省でもあります。
6.家計の事情 これまた個人的な事情(笑) 上下巻で4000円もだして文芸書を買いまくり読みまくるほどのゆとりはありません。音楽CDやビデオにくらべると本はとても安い商品だと、いっぽうでは思っているのですが。
7.本の素性がみえてしまう・・・ なんだかこう、すれっからしになってしまったというか、目が肥えたというべきか、大枚はたいて買う本じゃないなあ、と、買う前から本の素性がみえてしまうのであります。喜んでいいのやら。4.で書いた著者・編集者の情熱云々と矛盾するようですが、優等生が作りました、ハイ買ってよね、みたいな本や雑誌の多いこと。
8.vsインターネット  いまや大抵の情報はインターネットで入手できます。旅行ガイド・コンピュータ関連・書評 etc, わざわざ本を買うよりも有益な情報があったりします。JavaScript入門の本を買うより、トホホのWWW入門のなかのJavaScriptリファレンスのほうがよほど親切かつ便利。本なら付属のCDからいちいちソースを探さなくちゃいけませんが、トホホのWWW入門の場合、解説本文からソースをコピペしてエディタに貼り付けて動作を確認できたりします。当たり前ですがコンピュータとは親和性が高い。テキスト本文がそのまま実行できるわけです。

それでもわたしは三省堂書店練馬高野台店の繁盛をねがうひとりであります。

コルネイユ続き。ネタばれになるので昨日は詳しく書かなかったが、『舞台は夢』は、劇中劇を主題とする戯曲である。Theatre in Theatre。Film in Film。こうした仕掛けにはめっぽう弱い。すべて許してしまう。映画『ニュー・シネマ・パラダイス』にも、中年の映画監督が、青年時代に恋人を撮った8mmフィルムを実家の小部屋で映写するシーンがあったりして、もうこれだけで許してしまう。Iさんと意見がぴったり合いました。映画『ナビィの恋』でも主人公のおばあ(平良とみ)の若き日の悲恋を、わざと古ぼけた白黒フィルムで追想するシーンがあったりして、こちらはけっこう周到な、ある意味では見え透いた仕掛けだが、でも許してしまう。枠物語というか入れ子構造の物語にはとても純情なのであります。このコルネイユの戯曲、三一致の法則?を遵守するというフランス古典劇を、メタ演劇としてすこ〜んと超越しているような斬新な驚きがあります。ま、このあたり、俊英井村順一氏が、最新の研究成果を踏まえて解説に書いておられるので私ごときが駄文を書き連ねる必要はないのですが、あまりにも驚いたので今日も書くわけです。リカーシブ(再帰的)な美しいプログラミング、数学のエレガントな解法のように美しい、とでもいいましょうか。すれっからしのこの私にも、かつてボルヘスに胸をときめかせた若き日の驚きのような、驚愕をもたらしてくれました。私はこの風雅な悦びを愉しんだのです。(で、このコルネイユだが、昔日買った、ガリマール版かなにかのOeuvres Completes I を持っているはずなので書棚を探したが発掘できず、ついでにカルデロン『人生は夢』(岩波文庫)もみつからず、西洋バロック劇の秘鑰への探求の旅をしぶしぶあきらめた。ネットでは、もちろん、さまざまのアーカイブがフランスのHPにあったりして、今朝方早朝、感銘を受けたが。)

一目ぼれした社長さんと再会(金曜)、驚愕すべき技術の玉手箱のような会社。ますます惚れました。台風の夜のグレープフルーツ一箱Taxi運搬の顛末。両陛下のポーランド訪問を縁に、各種ニュースで報じられたかつてのポーランド孤児救済の美談を知って、兵藤長雄『善意の架け橋―ポーランド魂とやまと心』(文芸春秋、1700円)をアマゾンに注文した。関連サイトはここ。在庫があるかどうか不明。ただいまグアム旅行検討中、ミクロネシア島嶼文化はもちろん、ポリネシア・メラネシア・ヤポネシアなど、環太平洋島嶼文化全般への憧れ再燃。どこかの島には<働く>という動詞はない由。働かないのではない、労働は家族のための聖なる営みで、対価を得るのではない由。クレオール文化の可能性。

7月12日(金) 晴れ

台風一過の快晴が続く。暑い。

吉祥寺にてシェイクスピア『リチャード三世』(岩波文庫、300円)、コルネイユ『嘘つき男・舞台は夢』(岩波文庫、660円)。このうち、コルネイユの喜劇2編を読んだ。いや、驚いたのなんの、読書に目覚めて33年、ま、たいした本は読んでいないが、歳相応にすれっからしになってしまって、滅多なことでは驚かないし、こけおどしの小説など途中で投げ出したりする人間だが、『舞台は夢』(L'ILLUSION COMIQUE, 1639)の大団円には正直参った。降参である。度肝を抜かれた(笑) これ以上書くとこれから読む方の楽しみを奪うので書かないけど、フランス古典劇をなんとなく敬遠してきた人(=つまり、私だが)にこそお薦めの1冊だ。岩瀬孝・井村順一の翻訳もいいし巻末の解説も最新の研究成果をふまえて精緻このうえない。

 

7月9日(火) 晴れのち曇りのち雨

いいことのない人生だ。今朝は晴れた空の下汗だくで出勤したと思ったら、帰りはずぶぬれ(泣)。自転車通勤でだんどりを間違えるととんでもないことになる。

最近の若者は勉強しないとの説が専らである。それはそれで頷けなくはないのだが、それではお手前はどうか、と訊かれると聊か心もとない。このところ、知力・体力・気力が衰え、週末の二日間で、最近のITを追いかけようという野望もくすんだままだ。常に前衛を疾駆するということも難しいものだなあ。ことほど左様に、最近の若者の不勉強ぶりを非難するならば、お手前はどうかと胸に手をあてて自問することも大切なことだ。貴方は毎日<勉強>しておられますか?

と、まあ、書いていると、ろくでもない人生のようだが、いいこともある。今晩。いささか思うところあって、教育における評価(アセスメント)の手法について、また評価テストの自動生成方法について、Powerpoint(このソフトはげしく嫌いだが、みんな好きなのでしかたなく使う)で数ページのプレゼン資料をつくり、あちこちに送りまくった。正直、われながら天才じゃないかと思った(笑)。疲労の連続、ついにいかれて自分を天才と確信するにいたった。

7月8日(月) 晴れと曇り 十二夜

『十二夜』読了。男と女、二卵性双生児?の姉弟の人違い(なにせ姉は男装しているので)をめぐる恋の喜劇。劇を事実上つかさどる道化の役割に注目しながらこの男=女の交換、あたりに挑発的な論を展開する著作も多いだろう。山口昌男とか?でも、小生、学がないので、ヨーロッパ喜劇への茫洋とした憧れのみを、ぼおっとしたままで書いておく。

 

7月6日(土) 晴れと曇り 高円寺・西荻窪古本屋めぐり

かねたくさんやっきさんと、恒例(笑)の古本屋ツアーにでかけてきた。交通費と本代以外は必要経費なしといういたって安上がりの閑雅なツアーである。もっとも、高価な本にめぐり合って家計を圧迫する危険なきにしもあらずであるが。(やっきさんの猟書日記はこちら

今回は、中央線高円寺周辺と、西荻窪界隈。私は例によってそれほど本を買ったわけではない。歳とともに、なんだかこう、買い漁る欲望は、他の欲望と同様に衰退してきた。だから、本にめぐりあう快楽もないわけではないが、同好の二氏がお目当ての本にめぐり合う快楽をともに悦ぶようなところもあるし、町の感性のありようをほのぼのと愉しんでいるようなところもある。このあたり映画『エマニュエル夫人』で怪優アラン・キュニイが演じた老人と似ていなくもないか。

高円寺・西荻窪というふたつの町の古本屋を散策してみて、つくづく町の文化というものを痛感した。高円寺は、生活と文化が渾然一体とした、なんだかこう、けだるいゆとりを感じる町で、これはわたしには親しいところである。西武線では江古田界隈に通ずるところであろうか。昔ながらの乾物屋のとなりに、シュルレアリスムの浩瀚なコレクションを並べた古本屋が白熱電球のもと営業している様を楽しむ感性である。今回は、時間の関係もあってPAL商店街南の一連の古書店には足を運ぶ暇がなかったが、南口方面もそんな感じ。

対して西荻窪は、バリバリのカウンタカルチャの町である。昭和40年代から50年代にかけて、対抗文化のメッカだった町の余熱はたしかにここに残っている。誰が想像できたろう、工作舎第一期『遊』の揃いが4万円で眠っている古書店のことを。工作舎『全宇宙誌』初版が4500円でさりげなく置いてある古本屋のことを。早稲田古書街や神田でもありえないわけではないが、今日はこの発見が妙に象徴的に思われたので、ここに披瀝するわけだ。ただ、カウンタカルチャの押し付けがましさが人によっては気になるところかもしれない。

○球陽書房本店 本店とはいいながら駅前の小さな店。昔ながら。シェイクスピア『十二夜』(岩波文庫、200円)
○都丸書店本店  社会科学専門店。高雅。通り抜けて次の支店に向かった。
○都丸書店支店 文学・人文科学中心。原書と訳書がていねいに陳列されている各国文学の棚がとくに感慨深い。二十年前からこんな雰囲気の店だった。スティーブンソン『バラントレイの若殿』(岩波文庫、400円)、ラシーヌ『フェードル・アンドロマック』(岩波文庫、400円)
○球陽書房支店 昔はここに可愛い白猫がいたのだが・・・。もう故猫となっておられるのだろうか。歳月の流れを実感。
○竹岡書店 本店・支店 相向かい合う両店。なんだか鬱蒼とした本屋であった。本の山があちこちで崩れ落ちて終末期の様相を呈していた。
○高円寺古書会館 うわさに聞く即売会はどきどきの初体験。 南伸坊『仙人の壷』(新潮社、450円)
以下西荻窪
○盛林堂 寺田寅彦衣鉢のロゲルギスト編『物理の散歩道』(岩波書店)三冊揃いをみつけて即買おうとしたが3500円の値付けで断念。だって第2巻は先日数百円で買ったものね。
○天翔堂 改装中で休み、残念。
○天心堂 高円寺古書会館出展中で休み。これも残念。
○スコブル社 う〜む、気合のはいった店である。読書新聞他の書評の切り抜き、しかもデュメジル著作集など硬派な本の書評がペタペタ貼り付けてある。店をでてやっきさん曰く第一期『遊』の揃いが4万円で置いてあった由。妥当な値段だろう、それどころか第一期『遊』の揃いに巡りあうなんて、上京25年来はじめてのことだ。 昔、何度か夢にみたことはあるが(これ、ほんと)。大いに感動。
○森田書店 駅前の典型的な古書店である。
○ハートランド 喫茶店を兼ねた、間接照明のややうす暗い店内には瀟洒な音楽が低く流れていた。 床も木製。まあ、書棚のほうは思ったほど刺激的ではなかったが。松浦寿輝『青天有日』(思潮社、1200円)は本日2回目の巡り合い。この店のほうが安かったので、満足。
○花鳥風月 Yさんお気に入りの店。陽光あふれる雰囲気がうれしい。ここで工作舎『全宇宙誌』4500円をみつけて思わず衝動買いしそうになったがぐっとこらえた。でも近日買うかもしれない。
○音羽館  ここもまた池袋西武リブロの一時期の店内のように白熱電球による間接照明中心のやや薄暗い雰囲気。なかなか高雅な店であった。ナボコフ『Ada』(早川書房、上下巻揃い、3000円)こんなに高いの?ル・クレジオの著作コレクション・金井美恵子の単行本コレクション27冊は圧巻。
○ブックスーパーいとう 昨年の春だったか一度来た店。一見するとただの新古書店だが、かねたくさん・やっきさんそれぞれ掘り出し物を得たようでご同慶の至り。
・・・というわけで本はあまり買わなかったがずいぶん楽しかった。 西荻窪南口「戎」でしばし暑気払いののち、解散。

 

 

7月4日(木) 晴れと曇り たのしい会社

東池袋にある、とあるソフトウェア会社にいった。鬼友F君と連れ立って、サンシャインの超でかいビルを迂回するように、池袋からてくてくと20分も歩いていった。汗だくだく。

ここは自動組版やe-learningの独自の優れた技術をもつ会社で、発見したのはF君である。なるほど大きな構えの会社ではないが、若い社員もきびきびとうごいて職場にも活気がある。へんなノルマ主義・実力主義の、ぎすぎすした暗い会社かなと思っていったのだが、逆だった。きれいな会議室に通されて、プロジェクタに写されたコンピュータ画面を見る。なるほど、舌を巻くような技術だ。目からうろこがボロボロ落ちてゆく。ああ、感動。

さて、ふと気がつくと、先ほど名刺交換したスタッフとは別の、へんなおじさんが座っているではないか。しかも、ウンウンとうなづいたり、ああそりゃ違うねえ、とかブツブツ肯いたりして、若い優秀な社員たちがモロいやがっているようである。おもろいおじさんやなあ、となぜか私は関西弁で思っていたりしたが、しばらくすると矢も盾もたまらないのか、プロジェクタの前に陣取って、やおら解説を始めた。

これが鋭い。的を得ている。う〜む、と納得していると、やおら背広から名刺を取り出して、わたしはこんなもんです、ハイ。 「代表取締役社長○○○○」

ちょっとはしょるけど、この社長様、なんというか、海辺で綺麗な貝殻を拾っては目を輝かせている少年のようなひとなのである。ニュートンがそんなことを書いていたっけ。そう、ニュートンのような天才肌のお方なのであります。歳相応にくたびてれはいるのに、なぜか実力主義をもってならすこの企業の若い社員たちが、ビクビク恐れている様子もない。若い社員の作ったKRメッセージに、みなで笑っていたっけ。敬愛され、親しまれている様子はなんなのだろう?

推察するにこうだ。自動組版で地歩を築き、高収益の体制も整った。しかし、そうなると、もう、あまり面白くない。若い社員が勝手にやってくりはる。そうなると、e-learningだ。紙ですむドリルをなんでわざわざPCでやる?紙のように死んだ、静的なコンテンツを、表示させたり答えさせたりで終わるのはあまりに哀しい・・・。学ぶたのしさを若いひとに実感して欲しい。そうだ、その心意気なのであった。この、躍動する、ダイナミックな、生き生きとして、若者の知的好奇心を喚起する、世界でも有数の、教育コンテンツの萌芽は、その社長の、純な好奇心と憧れから始まるのであった。

社長様、わたしはあなたが好きです。一目ぼれです。

7月2日(火) 曇り

郷里にお住まいのIさんから丁重な礼状とともに、五味康祐『オーディオ遍歴』が返送されてきた。送付時の着払い宅急便、返送時の送料をあわせると、ネット古書店でこの絶版書を何冊も入手可能な金額になる。なんだかかえって申し訳なかったなあ、とふかく反省している。Iさんが熱くなればわたしも熱くなるで、求めに応じてメールの届いたその日に送ったりしたことが、なんだかかえって申し訳ない。

Iさんは鹿児島在住三十年である由、わたしは糸のきれた凧のように鹿児島を飛び出して27年。つまり3年ほどは、Iさんとわたしが鹿児島にいた時期が重なるわけで、その3年はわたしの最も多感な時代と重なるわけだが、そんなことはどうでもいいとしても、その3年ではなんの接点もないふたりが、四半世紀を経た後に、googleだかの検索エンジンで縁をむすび、メールを交換して、実体としての本を交換しあうというのも、またのほほんとして郷愁をそそる結びつきだなあと、面白く思う今宵なのである。

日本橋C社のVideo On Demand のデモ成功。C社COO云う、生授業(講師の登板する普通の授業)とビデオ学習の、学習成果の検証やいかに?さすがCOO、その通りですだ、弊社には実証的な検証なきがゆえに、わたしの思うところを聊か述べておきました。

『暗闇の戦士たち』(朝日文庫)読了。特殊部隊を扱った本としては出色の一冊であるという、熊襲さん説。さもありなん。詳しくは別途。

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