6月30日(日) 曇り

昨日。関東鉄道戸頭駅から徒歩5分のところにある、ある方の自宅で、私たちが提供しているe-leaningの障害が明確に特定できた。うすうすそうではないかと思い、開発元にも照会してきたことが、やっぱり原因だったのだ。特定の機種でしか発生しないので必ずしも責を負う類の障害ではないが、意地になって取り組んできたことではあるので、原因がわかっただけでもなんだかほっとし、帰路の長い電車の旅もなんとなく寛げたのだった。そう、心身ともに疲れていて、早朝に眼が覚めるせいか、慢性寝不足のこの頃だったが、夕刻に数時間眠り、深夜目覚めてふたたび布団のなかでうつらうつらしていると、不思議なことに遥か遠い幼年の日の、小さい背丈で見上げた樹木の葉の風にそよぐざわめきや木漏れ日の強い清冽な陽光がまざまざと暗闇のなかに浮かび上がり、いのちの奥底の、ひそやかで豊かな深い幸福の高揚を感じたのだった。現世に満たされぬたましい。ヘルダーリン(『希望に寄せる』)、トラークル、ホフマンスタール。わたしはこの世に忘れられ、憂きことの多い今日この頃であるが、日常生活・仕事・家庭のキョウザツでがちゃがちゃした営みが、深い疲労のせいか澱のように沈み、濁った泥水の底に粘土のように沈殿してしまうと、濁っていたとばかり思えたこの生活にも、そのような儚い一瞬の高揚はあるのであった。

さらば6月。この日記も丸4年を越えた。

練馬駅目白通り、古本・遥にてKさんの買い物完了、あわせてギボン『ローマ帝国衰亡史1』(ちくま学芸文庫、500円)を買っておいた。

古書・新刊書のメタサーチエンジン、本の枝折(しおり)。日本の古本屋・BookTown神田などの代表的なDBはもちろんのこと、日本中の古書店のHP上の図書目録まで検索対象になっている(書名か著者名を入力後、OBM的古本検索をクリックすればいい)のはまさに驚き。さっそくブックマークに加えておいた。

13号倉庫 自由広場。東上線常盤台の中古ビデオ屋。在庫が半端ではない。入手しづらい邦画・洋画があればチェックする価値がある。

 

6月29日(土) 曇り 

昨日は朝突発的に舞い込んだ仕事の段取りをつけるのに一日中きりきり舞いさせられるは、今日は今日で関東鉄道戸頭駅まで顧客のサポートにでかけるはで、週末をゆっくり過ごすことすらままならない。疲れ果てた、人生に。ままよ、明日こそは携帯もきり、小林正樹監督の映画「上意討ち〜拝領妻始末」でも楽しむことにしよう。決勝戦もあるしね。今日の3位決定戦にはかの熊襲どんも真っ赤なシャツをきて韓国のスタジアムにもぐりこんでいるはずである。観てますよ、熊襲どん(笑)

辻邦生『外国文学の愉しみ』(レグルス文庫、280円)、松本哉『寺田寅彦は忘れた頃にやってくる』(集英社新書、680円)@吉祥寺。

6月26日(水) 雨 青幻記賛。     To M.H、TI、MY、TW、KS。

郷里鹿児島のIさんという方から、五味康祐『音楽巡礼』『オーディオ遍歴』(ともに新潮文庫、絶版)を貸してほしいとのメールがきた。ともに入手困難な本である。それでもネットで検索すると奇特な古本屋で計1000円で購入できることがわかり、そのこともお伝えした。
IE互換のブラウザ、TaBrowser1.07を試してみたが、速くて軽い。安定している。こりゃいいや。開発者のひと、偉いねえ。

旧友Iさんから借りた青幻記を観た。涙腺はずっとゆるみっぱなしだった。高2のとき観たわけだから、以来なんと29年の歳月が流れたのだ。上京して一度だけ、新宿紀伊国屋ホールで偶然めぐり合い、飛び込むように観たことはあるが、それも27年前のことだ。ずいぶんと歳月が流れたことに感慨を禁じえない。 新しく得た感興、というか新しい発見はあまりない。でもいい。優れた芸術作品は1回こっきりのめぐり合いでもその本質を伝えてくれるのだ。再読・再見あらたな発見がないからといって作品の価値が減じるわけではない。29年前の、世間にでる前の高2のころに、すでにこの作品の本質を知りえた自分がいまはいとしいくらいだ。
母とふたりきりの、短かった美しい日々。その時間に終止符をうったのは母と興じた魚獲りの午刻。永遠ともおもえる昼。美しい母。優しい母。かわいらしい母。遠浅の海辺でこの世を超えた幸福に興じるふたりが、ふと気がつくと、大潮の波は母子に迫っており、すでに夕日は山端にかかる。発作で身動きできなくなって、子の危機をさとった母は、息子に振り返ることなく岸辺に向かうようにきつく命じる。 命からがら岸辺にたどりついた子が、海辺を振り返ると、すでに母は波にさらわれて、跡形もなかった・・・。
すでに映画というのではない。文芸というのでもない。音楽でもない。この悲しみは、 藝術そのものの悲しみだ。
映画青幻記は、この、けっして癒されない深いにんげんの悲しみ、<ものごとの本質に気がついたときはすでに手遅れであるという悲しみ>を基調とする。 この悲しみを基軸として、多層的な時間の物語が、今はすでにこの世にいないたくさんの俳優によって演じられる。すでにこの世にいない俳優への愛惜?副次的な感傷ではないのか?断じて否。この映画ほどフィルムにより定着されフィルムにより映されることが予め時の浸食に抗しえないことへの絶望に浸された映画はないと、ささやかながら申し述べておきたい。

 

6月24日(月) 晴れ

昨日。志木のI君宅を訪問した。志木駅のケンタッキーの前でキリン一番絞り半ダースをかかげてぼんやり待っていると車がす〜っとすりよってくる。懐かしい顔がフロントガラス越しにみえるだけで、すべて和解しあえるというのも、彼とは33年来の友だからである。前回会ったのが1995年の秋だから、約7年ぶりということになる。映画の話題・文学の話・JAZZや古い歌謡曲。新旧の話題に2時間半花を咲かせた。瀟洒な本棚にならんでいる、ていねいに集められていねいに読まれた本が、彼らしい。獅子文六全集。川本三郎。志賀直哉全集のある巻所収の『ヴィーナスの割れ目』談義。これは偉大なる暗闇・岩元禎のほほえましいエピソードを志賀直哉が書いたものだ。一読、さすがに直哉は旨いとおもった。

古い懐かしい友と話しに興じていると時のたつのを忘れ、いつのまにか思春期のころにもどっている。ふと気づいたときには、それから30年たったお互いの姿をみつけ、妙にさびしい、だが、妙になつかしいしずかな哀しみを覚える。I君もすきだという『ニューシネマパラダイス』のラストのようなものだろうか?人生に対する静かな諦観をお互いおもう歳になった。諦め、ということだった。世間の栄達がなんになろう、初めから、ぼくは諦めていたのだ。

幻のような『青幻記』のビデオを借り受け、そこから神田のKさんちに向かう。PCの修理をしたあと、Yさんと合流して雨の赤坂に繰り出す。再び歓談すること3時間ほど。宴もなかばにしてふと思う。己の人生にたいする自信とは。ひょっとすると根本的なところで自分にはそれがないのではないかと、妙にさびしく心細く感じたのは当のおじさんすなわち私であった。

・・・それにしてもよく酒を飲んだ一日だった。

6月23日(日) 曇り

日経朝刊書評欄から。森乾『父・金子光晴伝』(書肆山田、2800円)を飯島耕一が評す。著者は金子光晴の長男で元早大教授。父に捧げたであろうこの本は、2000年に没した著者の遺著である。著者の母(すなわち金子光晴の妻)森三千代の奔放な男性遍歴について、息子の立場から書かれているという。「この本を読み終わったあと、なんとも言えない哀切感が残って、正直なところ、その遣り場に困った」(飯島耕一)という、情にみちた評伝である由。松本哉『寺田寅彦は忘れた頃にやってくる』(集英社新書、680円)。評者の佐藤勝彦(東大理学部長)は、寅彦の研究の先駆性を、昨今の「複雑系」「カオス」などにたとえて激賞している。ただ、彼は、百年近い昔にこの分野を切り開こうとしたので、その先駆性は当時のアカデミズムにまったく評価されなかった、と。良書らしい。今日、買いに行こう。

今日は、散髪を簡単にすませたあと、練馬駅「古本・遥」に立ち寄り某書をチェックし、そこから東上線志木に向かい、I君宅訪問。奇跡的にみつかった青幻記のビデオを借り受け、こんどは、神田のKさんちにいって、PCの研究をし、Yさんと合流して、夢の棲む街に繰り出そうという、なんだか忙しい一日だ。

☆☆☆☆

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萩原幸子 『星の声 回想の足穂先生(筑摩書房、1800円)

1969年に刊行されたタルホロジーの金字塔ともいうべき選集「稲垣足穂大全」(現代思潮社)そして生誕百年の2000年に満を持して刊行された「稲垣足穂全集」(筑摩書房)。たいへんに骨の折れる仕事だったにちがいないこのふたつの選集・全集の編集を手がけた萩原幸子女史による回想録。タルホファンのひとりとしては、読まずにはおれない一冊である。

読みながら、所々で目頭が熱くなった。泣きさえした。半世紀におよぶタルホとの交流を経てこの本に掬い上げられたタルホのさまざまな行いや言葉は、タルホのなかのもっとも純粋で清らかな部分である。タルホの身辺雑記や行状の面白いエピソードを期待するといささか拍子抜けだが、タルホの思想(と敢えて書く)の最も良質なエッセンスを知るには最適の一冊かもしれない。

女弟子の手になる評伝としては、すでに折目博子『虚空 稲垣足穂』(六興出版、1980年)がある。こちらのほうが評伝としての情報量は多い。

 

 

6月20日(木) 

室生犀星の長女で随筆家の室生朝子さん、逝去。78歳。『杏っ子』のモデルだった。朔太郎・三好達治らに愛されたおかっぱの娘時代のことが偲ばれた。

6月17日(月) 曇り

映画『青幻記』に関しては、Yoさん、T・Iさん、M・Yさんにたいへんお世話になりました。記してここに謝意を表します。わたしも高2のときにこの映画にめぐり合ったことをひとつの浄福と信じている人間のひとりです。

6月16日(日) 曇り

萩原幸子『星の声 回想の足穂先生(筑摩書房、1800円)@西武リブロ。かねたくさんの掲示板で既に店頭にあるのを知ったので。(そもそもはやっきさんちで知ったのですが)。リブロやぽるとぱろうるで最近の新刊をひたすらチェックし、眩暈と羨望を禁じえずに店をあとにした。辻井喬コレクションby河出書房。既刊ではあるが結城信一全集by未知谷30,000円にも再度惹かれた。荷風全集15,000円@外口書店、漱石全集、足穂全集など、いずれにせよ個人全集はほんとに安い買い物だろう。諸般の物価事情を鑑みるにつけ、つくづくそう思う。

池袋では、アベックの波をかきわけかきわけ、北口の2つの古書店、たもかぶ本の森・池袋古書センター?も覗きにいった。意外に高雅な蒐集ぶりにびっくり。ただし値段もそれなり、安くはない。今朝の日経朝刊で大きく扱われていた、福島発のエコロジー古書店、たもかくの東京支店である。

他に、『ニューホライズン教科書CD』(あすなろ、3950円)。

6月15日(土) 曇り

井上究一郎訳『セヴィニェ夫人手紙抄』(岩波書店、300円)@外口書店。1943年の初版から1987年の第6刷まで44年間で6回しか増刷されていない。文庫通の間ではよく知られた本らしい。以前購入した記憶があるが、先日赤帯文庫目録をつくったとき見当たらなかったので、いちおう買っておいた。たぶん実家にあるはずだが。阿川尚之『アメリカが嫌いですか』(新潮文庫、100円)、別冊宝島・西岡文彦編『デザインの読み方』(JICC出版局、100円)@BookOff。西岡文彦は工作舎『遊』第2期デビューのデザイナー。懐かしい。

かねたくさんのホームページの掲示板で教えていただいた中野氏のサイト。江分利満氏に乾杯! 中野氏は、『変奇館の主人 -山口瞳 評伝・書誌-』 (響文社 定価3500円)の著者でいらっしゃる。すばらしいサイトと著者をお教えいただいたかねたくさんに感謝します。

☆☆☆☆

 

山田 祥寛 『今日からつかえるXMLサンプル集』(秀和システム、2800円)

数年間も追いかけているXMLだが、相変わらずたいして進歩していない。今日この頃はこの本をいつも携帯して、つとめて読むようにしている。

この本のXMLサンプルを用いて、拙サイトの文庫赤帯目録のXMLデータに手を入れてみた。
http://www.ba.wakwak.com/%7Eyamashita/document/xml_doc/book_list.xml

ちなみに、JavaScriptを使用したXSL(eXtensible Stylesheet Language)は、
http://www.ba.wakwak.com/%7Eyamashita/document/xml_doc/workSort.xsl

いちおう、ここまでは、内容を理解しながら読み進めたので、たんにサンプルを当ててみた、というわけではない。簡易の書籍目録が、クリックひとつで昇順・降順に並べ変わる。そのページは静的なHTMLではない。動的に(ブラウザの内部でそのつど)生成されるさまに大いに感動した。

ただ、難点は、ブラウザ(ヴァージョン)の互換性だ。申し訳ないですが、Mac+IE5.0や、ネットスケープ6での動作が確認できていません。たぶんだめでしょう。それどころか、職場のIE5.0(Win2000)ですら動作しません。MicrosoftのMSXMLパーサをVer3にアップしなくてはいけないのだと思います。IE5.5x以降では問題ないと思います。ブラウザの機能実装競争もいいですが、早く標準的な機能に互換性をもたせてほしいですね。

この本によって、やっとわたしのXMLも実用に近いものになってきました。難点をいえば、とにかくつめこみ過ぎであるということ。初心者には、同じ著者による『10日でおぼえるXML入門教室』のほうが懇切丁寧なのでしょう。

◆関連サイト http://member.nifty.ne.jp/Y-Yamada/xml/

 

 

6月13日(木) 曇りと雨 乱文つづき・・・

日本橋C社によるVideo On Demandに関するプレゼン成功。C社のE部長お疲れ様でした。しかしこれから社内をまとめてゆくのが大変だ。いっぽうでオンラインテストの規格確定に動く。モックアップをネットにおいてみた。はたまた、明日は、Windowsの某技術をつかったネット上の動画を介したコンサルティングの実験&プレゼン。AdobeのeBookがらみも燻ってるうちに、Content Serverの英語版はVer3.0になった由。XMLやらSVGやらMathMLやらの動きも目が離せない。鬱な毎日で、ちっともハッピイじゃないが。

村田英雄さん逝去。ご冥福をお祈りします。鶴田浩二も死に、三波春夫も死に、そして村田英雄も死んで、いよいよ昭和は遠くなった、という寂しさ。

松浦寿輝の日経夕刊上のコラム、今夜もいまいち。題して『坂』。「まだけっこう先の話だと思いたいけれど、遅かれ早かれ、わたしも死ぬわけだ。猫も死ぬ、人も死ぬ」(ちなみにわたしも明日死ぬかもしれませんし、40年先も生きてるかもしれません。ま、これは許す。ナンシー関さんの夭折悼む)、「いよいよ最後という瞬間が近づいたら、きれいな音楽を聴きながら、いい気持ちになって逝きたいものである」(ここにきて、もう、いかん。なんだ、久世光彦のまねじゃないの。久世おじさんほど隠微じゃないだけに、見え透いてていやなんだよね。久世おじさんは『マイラストソング』を3冊も書いて、なおも3冊目に至って、沢田研二の幻の名曲『君をのせて』を聴きながら死んでもいいなんて書かれた日には、はい、もう負けましたよ、おじさん、とお詫びするしかないじゃないの。おじさんにくらべりゃぼくもまだまだ若いわけで、毎日憂鬱だの、このごろ老いて情熱がないなどと泣き言をいったら、戦中派の久世おじさんに笑われる。おじさんの撮ったドラマ『寺内貫太郎一家』は高校生のころあまり好きじゃなかったけど、今、中年になった浅田美代子や、あいかわらずの小林亜星をNHKの朝ドラ『さくら』で毎朝みていると、ひょっとして浅田美代子アイドル時代のあのドラマも名作だったのかと、ふと思い起こされ、ともかく、久世おじさん恐るべきエロティシズムを、老いてますます発散する・・・。(疲れた、中止)

6月11日(火) 晴れと曇り一時雨

昨日のヘボな書評の末尾、「文弱の徒」以下を削除しようと思ったが、成り行きなので残しておくことにした(今のところ)。

第二次世界大戦における文学者の戦争責任について、わたしは事すでに終われり、とは思っていない。何人もの大家が、言辞の限りを尽くして当時の若人を戦地に送り込んだこと、その責任をないがしろにして、まあまあ年月もたったことだしいいじゃないの、とは思わない人間である。

文弱の徒とは聞き捨てならないことばだろう。敢えて書いている。行為の実存に対してすべてを引き受ける覚悟がないならば、美辞麗句で現実を歌わなければいいのだ。そう、わたしは歌わない。現世の利益のためには一行すらも書かないだろう。だから、もし書いたとしたなら、すべてをわが身に引き受ける覚悟あることとみなされてしかたない、と、書いておく。

6月10日(月) 曇り時々晴れ

☆☆☆☆

 

阿川尚之『海の友情 米国海軍と海上自衛隊(中公新書、820円、2001年)

いやあ、書評(というか感想文)をちゃんと書くのって大変だなあ。ちょっと気取って別コラムにしてみたが、はや行き詰りそうな気配だ。でもがんばって、仕事を終えた夜に書く。

ご存知のように、筆者は作家阿川弘之の息子である。つまり、このところ檀ふみと仲のいい阿川佐和子の兄ということになるのか。それにしても、さすが阿川弘之の息子である。文章がうまい。簡潔でありながら情感にあふれる文だ。わたしは阿川弘之の海軍提督三部作を一時期愛読したことがあって、なかんずく『井上成美』には胸をうたれた。最近読んだ、阿川の文学上の師の評伝『志賀直哉』も、すがすがしい思いで読了したことを思い出す。わたしは阿川弘之が好きだし、海軍の穏健派の軍人たちにも敬慕の念を抱いている。なにを隠そう、わたしの父も自衛官だった。半生を日本の平和維持のためにささげたのだった。

巻の冒頭、広島の江田島にある海軍記念館の展示にふれたくだりがある。東郷平八郎ほか、戦前戦中の数々の英雄たちの残した遺物に胸打たれながらも、はっと著者は気づく。ここには戦後五十余年の長きにあって、海上自衛隊に関するなんの展示もないことに。

『十八史略』だったかに、有名な鼓腹撃壌というエピソードがある。一日の畑仕事を終えた老いた農民が飲みかつ食らい、腹鼓をうちながら歌う。国がこんなに平和で豊かなのも、おれたちが毎日一生懸命働いているからさ。なんで帝の力なんぞのお陰であろうか?通りかかった堯帝の従者が諌めようとするが、堯はこれを制す。これでいいんだよ、と。理想的な政治のおこなわれている御世だからこそ、政治の恩恵は民衆にはまったく理解されぬことをたとえた故事成句だ。

思えば、戦後57年間の長きにわたり、日本は本当に平和であった。

と書くと、いろいろと難しい議論もあるかもしれないが、そのことはとりあえずおいておく。この半世紀以上の長きにわたる日本の平和を、かげで支え、しかもさほどには感謝も評価もされず、ましてや非常時の英雄などからははるかに遠かった数多の自衛官への、この書はひとつのささげものである。そうだ、英雄のいない時代こそ、真に平和な時代なのであって、それを支えたのは、数ある名もなき英雄たちなのか、はたまた日本の経済復興をささえた無名無数の労働者なのか、それはともかくとしても、この事実(日本が半世紀も戦争に見まわれずかつ戦争に加担しなかったこと)に、もって瞑目すべきことは確かなことなのだろう。

文弱の徒が過激な言説で一世を風靡すること、これまた平成の御世の平和のおかげであろうか。文弱の徒とは?多くを語らない。文句があるなら、無名の自衛官たちといっしょに、ペルシャ湾の機雷の掃海を、命がけで、しかもマスコミの取材なしに、手伝ってみてごらんなさい、ハイ。

(本書の梗概は、左の書影をクリックしてご覧ください)

 

6月9日(日) 曇りのち晴れ

長年の友人I君(志木市在住)から、お誘いがあったが、かねてより長男から釣りにいきたいとのオファーがあったのでそちらを優先させてもらった。いろいろと揺れ動く年頃なので息子とのつきあいも大事なのである。さて息子は楽しみにしていた釣行だったが、早朝起きると風が強い。決行すべきかどうか迷ったが、次男とその友人もメンバーに加わっているので、引くにひけない。結局予定通り、新木場駅に向かった。案の定、若洲海浜公園は風が強い。白い波頭がみえる。風速10mとのこと。午後には波風は穏やかになったが、危惧していた通り貧弱な釣果に終わってしまった。まあ、いいか。夜はTVでサッカー観戦。

 

6月8日(土) 曇り

根本橘夫『人と接するのがつらい』(文春新書、200円)・大平健『やさしさの精神病理』(岩波新書、200円)・阿川尚之『海の友情 米国海軍と海上自衛隊(中公新書、250円)・ヘッセ、秋山六郎兵衛訳『車輪の下に』(角川文庫、100円)@藤井書店。訳者の秋山六郎兵衛は、立原道造の亡くなる直前の九州旅行の際、福岡で彼のめんどうをみた、当時の旧制七高の教授であった。角川にしてはたいへんなロングセラーですね。不幸にして失った本の買いなおし。

鬼才F君と、彼に感化されつつある若きH君は、数学の版下づくりに余念がない。ネットでしらべるといつの間にかMathMLの話題がずいぶん増えていて隔世の感あり。http://www.washitake.com/MathML/overview.html 他たくさん。GoogleでMathMLで検索すると、凄いサイトがたくさんみつかった。WebEQ、SVGからも目が離せない。XMLのほうもずいぶん解ってきた。弊サイトの文庫目録もXSLに手をいれた。JavaScriptくらいバリバリわからないといけないなあ。

いろいろと思い悩む日々だ・・・。

6月7日(金) 晴れ

小浜逸郎『ニッポン思想の首領たち』(宝島社、500円)@りぶる・りべろ。俎上に上っているのは、西部邁・上野千鶴子・西尾幹二・柄谷行人・中沢新一・栗本慎一郎の6氏。

6月5日(水) 曇り一時雨

☆☆☆☆

 

森内俊雄『氷河がくるまでに』(河出書房新社、1990年)

1990年に読売文学賞をうけた作品である。この年、新聞の書評でこの作品に惹かれ、ぜひ読んでみたいと願ったのはいいが、書店店頭で一回手にしたっきりになってしまった。そのうち、著者のなまえがあやふやになってしまった。しかし忘れたわけでない。わたしのようなヘボな読者の、たったひとつの美徳を敢えてあげれば、一度ひかれた作品のことは、とことん忘れないということである。

・・・月日は過ぎた・・・。

たまたま、荻窪の高雅な古書店「竹中書店」の店頭でめぐり合ったのが、この5月のことである。みつけたそのときには、感動してすぐさま手に取り店内に戻って買い求めていた。300円。

 

真名仮名の記      (作業中)

 

6月2日(日) 曇り

とある夜更け、あるいは早朝に、父親の短かくはあったが輝かしかった晩年の数年のことを想い出したりしたのだった。父の数少ない愉しみだった釣りのことを思い出す夜。釣果の、その時々の清い歓び。その清純な歓びが、年月を経て、ある夜、まざまざと心に呼びおこされ、なにか一種の追慕のように優しいこころで思い出されるのだった。

西山明『アダルト・チルドレン』(集英社文庫、300円)他。XSLの概要がようやく頭に入ってきた。FIFAアクセス狂想曲。

 

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