11月3日(祝) 曇り ジャンクな日々

吉祥寺駅三越手前の仮設会場で中古パソコンを拾った。DEll OmniPlex GXa。PentiumII 300MHz、64MB、3GB が2万円。臭いを嗅ぎつけてやってきたF君と一緒に持ち帰り、Red Hat Linuxをインストール。自宅のIBMマシンでは1ヶ月ここで停まっているが、今回のマシンでは驚くほど簡単にインストールが完了。近日自宅に持ち帰り、サーバ運用のお勉強に使うつもりだが、F君が手離さなくて困っている。このところ、仕事場は、ジャンクなコンピュータで一杯だ。起動しなくなったWindowsマシン、見放された古いMac群。過去の亡霊のごときSunのワークステーション(ディスプレイなし)などが、床や机に雑然と積まれ、間を電源ケーブルやEthernetのケーブルがうねうねとつたってひとの通るのを阻む。そのほか、OMR読みとり機や古びたFAXやらくすねてきたキャノン製プリンタなどが仕事空間の周囲に蝟集し、さながら仕事場は中世の錬金術師の怪しげな実験室のごときありさまを呈しているのであった。ああ。この怪しい空間で、地下のモグラのようにディスプレイにかじりつき、屋台をひくおじちゃんのように、机のまわりに数々の機材や書籍やらを積み重ね、常時沈黙、はたまた時折奇声をあげ、TCP/IPについて激論し、WBTの未来について互いの見解を罵倒しあい、やっかいな仕事を頼むときは「せんせー」とおだてあいながら、e-learningサイトの苦情メールにせっせと返事を書いては呻吟しているのは、このF君とわたしである。

クライブ・カッスラー『アトランティスを発見せよ (上)』(新潮文庫、705円)。Simon Singh "The Code Book"読書中。

11月4日(日) 快晴

快晴であった。ちぎれたような雲が一刷毛高い空に流れているのだった。光が丘に家族でサイクリングにいった。クライブ・カッスラー『アトランティスを発見せよ (下)』(新潮文庫、705円)。中原フク-述 村上護-編『私の上に降る雪は』(講談社文芸文庫、750円)は石神井にて。

来週は公私にわたって忙しい。週末は長男の学校と、鎌倉小旅行。ともかく英気を養っておこう。

11月7日(水) 

昨夜は飯田橋「やまがた」にてオフ会。大阪からわざわざお越しの渋茶庵さん、雅洋さん、かねたくさん、由里葉さん、どうもお疲れさまでした。

昨日、吉祥寺りぶる・りべろにて、ラッセル『幸福論』(岩波文庫、350円)、百目鬼恭三郎『現代の作家101人』(新潮社、100円)。そのりぶる・りべろが『東京人』最新号に掲載されているそうなので今日チェックしようっと。

今朝の「ほんまもん」、根津甚八演じる中年の料理人の「中年の危機」。老いてなお矍鑠たる父・妻・一人娘・かつての恋人とその娘。まわりのにんげんたちは皆しっかりとした自信にみちた生を確立していて、当然のことのようにより確固たる生き方を男に求める。社会的な役割という堅い殻に包まれた危うい卵のような生の揺らぎ。根津甚八の演技に、中年男の寄る辺なさを感じて共感してしまう。

11月10日(土) 

百目鬼恭三郎『現代の作家101人』を20年ぶりぐらいに再読した。昭和50年当時、風のペンネームで朝日新聞に連載されて評判になったコラムを集めたものだ。新聞のコラムであるから、難しい理屈は書けない、字数はひとりの作家につき約1200字程度。そんな制約のなかでよくもこれだけ作家の本質をずばりまとめているなあ、と今更ながら感心した。また、昭和50年当時のコラムであるから、その後手法をおおきく変えた作家もいれば、沈黙してしまった作家もいる。ただ、いま読み返してみても、当時書かれた簡潔このうえない批評は少しも陳腐化していないようにみえる。ア行の作家からランダムに抽出してみよう。

●阿部昭 ・・・「父と子」の関係というものは、子の立場からは緊張した関係であるにちがいないけれど、父の立場に立つと、緊張でもなんでもなくなってしまう。父親は、自分の分身である子のすべてを許容する立場におかれているからだ。・・・阿部は、すぐれた私小説作家特有の容赦ない目をもっていると同時に、たぐいないやさしさをもつ作家である。

●宇野千代 ・・・「色ざんげ」は(中略)暴露リアリズム仕立てにしたら、俗悪な痴情小説になってしまったろう。それが宇野の手にかかると、この世ならぬ純な美しさをもつ恋愛小説と化すのである。(>やました(以下同)・・・きゅうきょ古書店で探索中)

●円地文子 ・・・中年の女の若い男に対する愛執をモチーフにした「女面」(中略)などの作品が、真の意味で成功していないのは、結局観念的なモチーフを、作者の肉声のようにみせかけているせいではなかろうか。(>手厳しい)

●遠藤周作 ・・・遠藤のまじめな純文学が、問題意識の強いわりに、読者に訴える力の弱いのは、(中略)文体に主題を支えられるだけの密度がないのである。(中略)かえって、気楽に書いたふざけた小説のほうが、作品として成功しているようにみえる。(>「深い河」で、わたしもそう感じた)

●大岡昇平 ・・・・・・私たちは考証家大岡に、新しい文学、たとえば露伴の「運命」のごときもの、を期待できそうな気がしてならないのだ。(>その後の大岡昇平の作品は見事にこの期待に応えたのではないかしら)

●小沼丹 ・・・小沼の文章には独特のうまさがある。「(引用略ス)」といったうまさがわかる人はだんだん少なくなってきたようだ。とにかく、これまで小沼に対する世間の評価は低すぎた。深刻ぶり、新しがらないと、作家は有難がられないものだ。

昨夜は、神田K君の事務所で、同窓のI君、T君と懇親会。ブロードバンド時代のインフラ基盤やコンテンツのありかたについて情報交換をしていたはずだが、いつのまにやら雨の赤坂に流れて、気がつくと本場韓国焼き肉の店「チョンギワ」にいた。韓国焼き肉のディープなうまさに感動。このところ、地下のモグラよろしくコンピュータに向かう毎日で、ある種の閉塞がいなめない日々だが、同じ世代で、こんなにも多様なものの見方があることに、あたらめて感心し、わたしの頭はリフレッシュ(リブート)したのだった。がんばらねば。K君より、麻生幾『ZERO』(上・下)(幻冬舎)、アテナイオス『食卓の賢人たち』(岩波文庫)を譲り受けた。

日経夕刊コラム、「あすへの話題」。哲学者鷲田清一氏が医療・看護の現場について随想を書く。「それでも辛抱強く待つということが、どうしてもケアには必要となるのだろう。それは自分の苦しみについて語るということが、自分がこれまで浸ってきた苦しみからたとえわずかでも外へ出て、自分の苦しみにこれまでとは違った仕方でかかわろうとしはじめることだからだ。そして、聴くというのは、その作業を傍らで支えるということだからだ」・・・「やはり、何もしないでただ傍らにいるという時間がたっぷりと必要なのかもしれない」 鷲田氏の著作はこちら(amazon)

Book Offにて、中沢新一『リアルであること』(メタローグ、100円)、宇野千代『おはん・風の音』(中公文庫、100円)。『天空の城ラピュタ』を観た。

11月11日(日) 快晴

家族で飯能は高麗駅から宮沢湖までハイキング。宮沢湖釣り堀でニジマス5匹を釣った。石神井公園きさらぎ文庫にて、佐多稲子『私の東京地図』(講談社文芸文庫、500円)、椎名麟三『美しい女』(新潮文庫、100円)。石神井公園には他にもいろいろといい本があった。

11月13日(火) 晴れ

りぶる・りべろにて、佐多稲子『時と人と私のこと』(講談社、300円)、『岡本かの子・林芙美子・宇野千代集』(筑摩書房、100円)「色ざんげ」を収録する。この店、「東京人」への掲載のせいか店内に眼光鋭き客多し。ご同慶の至りだ。なにせ職場の近所なので。

11月15日(木) 晴れ

深夜に帰ってこれを書く。ただ今午前2時すぎ。

日経夕刊、最近気になる鷲田清一氏のコラム、今夕は「ケータイ空間」。読まずとわかる表題だ。他のひとであれば読みとばすところだが、このところ敬慕する哲学者なので、ちゃんとちゃんと読んだ。

「つながりの頻繁さや情報の多さにもかかわらず、ディスプレイやブラウン管に映るにぎやかな画面のなかに自分だけはいないという、妙なさみしさが、ひとびとの気持ちの奥底に漂うようになった」。反論だ。結論からいうと、我々はこの<妙なさみしさ>の果てを追いつめてゆくしかないのではないか?

例えば、25年前、地方都市の国鉄の駅の、深夜の夜行列車における、別れがあった。上京したさきの下宿に電話はない。若者には高価すぎる遠距離電話の代金と、取り次ぐ下宿のおばさんの嫌みたらしいひとことに気後れし、少女はなかなか電話することもできぬ。はたまた、男のほうはどうかといえば、これまたピンク電話にガチャガチャすいこまれる十円玉も悲しい事ながら、そもそも恋人の声を聴くまえに、両親のそっけない取次に、心は萎えざるをえない・・・。

てなことは、古い時代の笑いぐさだろう、今の恋人達には。いつだってどこだって、恋人はpeer to peer でアクセス可能であり、懐かしい声は携帯を通じて、深夜の蒲団の中でも聴けるのだから。どんなに離れていても、いつなんどきでも。

唐突だが、わたしたちは技術の果てを追い求めてゆくしかないのではないか、と思うこの頃である。

吉川幸次郎『他山石語』(講談社文芸文庫、350円)at吉祥寺。

11月16日(金) 晴れ

佐多稲子『夏の栞 中野重治をおくる』(新潮社、300円)。

11月17日(土) 曇り 物好きなとうちゃん

物好きなとうちゃんである。物好きといっても別に、井川遥の写真集をネットで予約したとかそんなことではない。今月のはじめ、職場近くの中古PC市で拾ったDellの本体を、自転車の荷台にくくりつけえっちらおっちら自宅に持ち帰った。PC本体を緩衝材でぐるぐる巻きにし、ガムテープでしっかりと荷台にくくりつけ、衝撃を与えないように時速8kmくらいのゆっくりしたスピードで、運んだわけである。

自宅に持ち帰って、妻子に呆れられながらも、筐体のふたをはずし、掃除機でなかのゴミを吸い取る。筐体をアルコールで拭き拭きすると、まるで新品のように相成った。

枯れたPCである。2万円である。PentiumII 300MHzである。その分いっそう、愛着がわくマシンである。筐体の筺をあけると、PentiumIIの黒々と大きい放熱器が目に飛び込む。不思議なことだ、PC内部にこんなに心がときめくなんて、20年前の富士通FM7以来のことである。すでにLinuxやDBの各種ツールがインストールしてあるが、もう一度インストールし直すか、Windowsマシンに戻して使うか、しばらくのところ思案中である。それはともかく今、俺の寝床のそばに美しく横たわるコンピュータのとなりには、これまた静かに眠る爬虫類グリーンイグアナの冷たい肢体があった・・・。(笑)

山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書、250円)を吉祥寺外口書店にて。たまたまみつけた本だが巡り会えてよかった。帯に「本格的入門書」とあるが、偽りはなさそうだ。「マルクスは、そのヘーゲル化された姿においてではなく、初期の彼がそうであったように、『キリスト教の本質』の著者であるフォイエルバッハに引き寄せて解釈されなおさなければなるまい。ヴェーバーについては、プロテスタント精神の権化のような姿においてではなく、ニーチェとともに近代世界への鋭い反逆を試みる姿において解釈されなおさなければなるまい。」(著者あとがきより)というわかき日の信念を貫き、40年以上も研鑽をつんできた著者が書いたヴェーバーの全体像である。

11月18日(日) 晴れ時々曇り

晩秋らしからぬ強い清冽な光と、曇天のうす寒い天気が交錯した一日だった。そんなように、なんだか低調な一日だった。Linuxのお勉強を除いては。といっても初歩の初歩をやってるにすぎないけど。

八木義徳『家族のいる風景』(福武文庫、150円)、山口瞳『巨人ファン善人説』(新潮文庫、100円)、松長有慶『密教』(岩波新書、150円)、宇野千代『色ざんげ』(新潮文庫、100円)、同『悪徳もまた』(新潮文庫、100円)、城山三郎『男子の本懐』(新潮文庫、100円)。

11月23日(金) 快晴

 『西東三鬼集』(朝日文庫、400円)。「神戸」「続神戸」も収録している。いささか人生に疲れた。晩秋の休日、Linuxのお勉強をした。初歩的なことに躓いている。Webサーバとして公開ができない。

11月24日(土) 快晴

『風の谷のナウシカ』を観た。なぜか紀州は田辺における南方熊楠の営為のことを思いだした。最近、「ほんまもん」づいていて、『千と千尋』をみても『ナウシカ』を観ても、何故か紀州・熊野のことを思ってしまう。東さんの講談社現代新書の新刊やら大塚英志の『物語消費論』やらの文脈かもしれない。なぜ今ナウシカなのか自分でも首をひねるのだが。

次男の誕生日プレゼントにMDプレーヤーを買いにいった。散財痛し。

11月25日(日) 晴後曇り 立ち読み人生

天気に恵まれた3連休であったけど、家にいてLinuxをいじくったり、子供の買い物につきあったり、子供の勉強をみたりして終わってしまった。仕事のほうも山積しているが残務整理する気力もない。鎌倉直行エクスプレスに乗る計画もあったのだがとん挫。気力なし、覇気なしの一家である。

昼過ぎ、勇躍電車に乗って池袋西武のリブロにいった。もとより立ち読みが主眼である。金はない。地下1階、文芸書のコーナーをざっと閲覧すると、ネット書友のあいだで話題になった本があるはあるは。立ち読みマシンになってチェックしまくった。川上弘美の新刊『ゆっくりとさよさらをとなえる』(新潮社、1400円)青い表紙の瀟洒なエッセイ集だ。日経に連載されていた心に沁みる優しいエッセイの数々がたくさん収録されていてそそられたが、今日は立ち読み(すいません)。ちなみに先日ここを訪れたときは当の川上さんがサイン会に臨んでいたけど、今日は嶽本野ばら氏のサイン会であった。不思議な乙女達がたくさん並んでいた。次に、坪内祐三氏の新刊をチェック、チェック。『鳩よ!』の特集号が『三茶日記』などの著作群の隣に平積みされているのはさすが元祖書棚狂の西武リブロである(いまとなっては当たり前だが)。氏学生時代の滋養100冊をすばやくチェックした。約15%位か、わたしの読んだのは。海外文学の趣味が違うので%低し。宇野浩二『芥川龍之介』などがリストアップされているのに意を強くした。三角寛のリバイバル、保田与重郎の文庫、結城信一の全集(未知谷)完結などをチェック。次に、階上にのぼっては、詩の本の店で、ペソアの詩集(思潮社)をチェック。モシキさんのお薦めだ。こんど買おう。永田耕衣の日めくりカレンダをめくる。2500円くらい。見送り。さらには、哲学本のコーナーでは、最近急に注目している鷲田清一氏の著作をチェック。そのほか、松浦寿輝の映画論(筑摩書房)やら、四方田犬彦の『ハイスクール・ブッキッシュライフ』「青い花」のくだりを立ち読み。『日記・花粉』(現代思潮社)のくだりに感涙(ウソ)。「わたしは高校生であったころから、すでに30年以上も馬齢を重ねてしまった。ある書物に最初に出会ったときの驚きと同じものを、現在なお求めようとするのは困難かもしれない。その代わりにわたしには、高校生のときに見過ごしていた細部を、より丁寧に、またより広い文脈のもとで理解し直すことができるのではないかという期待がある。(「はじめに」より)」耳が痛いぜ。 結局買ったのは、中村靖彦『狂牛病』(岩波新書、700円)、榊原大輔・吉川敦『Apache入門〜個人で立てるWebサーバー』(Dart、2000円)。というわけでコンピュータ書籍もはばひろくチェックした。ああ立ち読み人生、幸せ。

11月25日(日) 特別編(笑) 学生時代にわたしを破滅させた100冊の本

何冊まで書けるかやってみよう。資料なし、まったくの記憶で書く。「大学生時代」に限定する。

ホフマンスタール『アンドレアス』(講談社)ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』(講談社)ホフマンスタール『詩集』(平凡社他)ヴァルザー『トゥーンのクライスト』(集英社)ビュヒナー『狂ってゆくレンツ』(集英社)ホフマン『悪魔の美酒』(河出書房)アイヒェンドルフ『のらくら者 他』(集英社)ジャム『三人の少女』ジャム『暁の鐘から夕べの鐘まで』(青土社他)ヴァレリー『テスト氏』(現代思潮社)ヴァレリー『ナルシス断章』(新潮社)スタンダール『パルムの僧院』フロベール『感情教育』バルザック『谷間の百合』バルザック『ウジェニー・グランデ』

チェスタトン『ブラウン神父シリーズ』(創元推理文庫)『詩人と狂人たち』(創元推理文庫)ドストエフスキー『悪霊』『白痴』(ともに岩波文庫)マルドリュス版『千夜一夜物語』(岩波文庫) ここまで20冊

埴谷雄高『死霊』(講談社)『不合理ゆえに我信ず』(河出書房)『闇のなかの黒い馬』(河出書房)稲垣足穂『弥勒』『稲垣足穂大全 I』『稲垣足穂大全 IV』(現代思潮社)稲垣足穂『男性における道徳』(中央公論社)松岡正剛編『遊 9』『遊 10』(工作舎)松岡正剛『二十一世紀精神』(工作舎)山口昌男『本の神話学』林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』(平凡社)林達夫『精神史』(平凡社)渋澤龍彦『胡桃のなかの世界』(青土社)種村季弘『怪物のユートピア』(青土社)種村季弘『失楽園測量図』(版元失念)ここまで35冊

南方熊楠『十二支考1〜3』(東洋文庫)『南方熊楠随筆集』(筑摩叢書)折口信夫『古代研究1〜3』(中公文庫)諸星大二郎『暗黒神話』(集英社)諸星大二郎『孔子暗黒伝』(集英社)石田英一郎『桃太郎の母』(講談社文庫)

ボルヘス『伝奇集』(集英社)『不死の人』(白水社)ド・クインシー『阿片常飲者の告白』(岩波文庫)バタイユ『青空』(晶文社)『わが母・マダムエドワルタ』(講談社)

宇野浩二『芥川龍之介』(中公文庫)宇野浩二『苦の世界』(岩波文庫)幸田露伴『五重塔』(岩波文庫) ここまで50冊 

ワトソン『スーパーネイチャー』(日本教文社?)蓮見重彦『映像の詩学』(筑摩書房)『映画の神話学』(泰流社?)

ネルヴァル『火の娘』『オーレリア』『詩集』(思潮社他)ゾラ『居酒屋』(岩波文庫)武田泰淳『風媒花』『貴族の階段』『ひかりごけ・才子佳人』(新潮文庫)石川淳『普賢』『鷹・紫苑物語』(新潮文庫)エドガー・ポオ『ポオ小説全集1〜4』(創元推理文庫) ブランショ『来るべき書物』『文学空間』(現代思潮社)由良君美『珍?説泰西浪曼派文学談義』(青土社)ルソー『孤独な散歩者の夢想』(岩波文庫) 『聊斎志異』(平凡社)段成式『酉陽雑俎1』(東洋文庫) 半村良『石の血脈』(角川文庫) 『今昔物語 本朝世俗部・仏法部』(角川文庫)やっと71冊 ひ〜

11月26日(月) 晴れ 腰砕け・学生時代にわたしを破滅させた100冊の本(続き)

恥ずかしい深夜の暴走にたいして、多くのネット書友の皆さまにフォロオしていただきありがとうございます。 本当に心から感謝しております。また、気取ったようにみえるところがあればそれはひとえにわたしの不徳の致すところでありまして、わたしの意図するところではありません。とくに冒頭の小説群は、かつてのわたしの行方もしらぬ若い生の混迷を慰めてくれた教養小説群でして、わたしの<破滅>のエピソードなのであります。また、ツンドク本の類がひたすら多い今日この頃でありますが、ここには読まないままリストアップしている本はございません。さて続き。

ムージル『三人の女』(河出書房)、セルバンテス『ドン・キホーテ』(岩波文庫)、S・ブロンテ『ジェーン・エア』(岩波文庫)、W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(岩波文庫)

クリスティ『アクロイド殺し』(ハヤカワ文庫)、T・ハリス『ブラック・サンデー』(新潮文庫)<※あの『ハンニバル』の著者の処女作?アラブゲリラのテロ予告で日本公開が無期限に延期(=中止)されてしまったのがフリードキン監督の同名の映画でした。>ルシアン・ネイハム『シャドー81』(新潮文庫)、カッスラー『タイタニックを引き上げろ』(TBSブリタニカ)J・アーチャー『大統領に知らせますか?』(新潮文庫)、田中光二『爆発の臨界』(角川文庫) V・ダイン『グリーン殺人事件 他』(創元推理文庫)

11月30日(金) 曇り 腰砕け・学生時代にわたしを破滅させた100冊の本(続き)

サルトル『嘔吐』(人文書院)、ナボコフ『青春』(新潮社) 倉橋由美子『聖少女』(新潮社)『暗い旅』(新潮文庫) 85冊目

 

 

 

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