6月3日(日) 晴れ 本探しはやめられない

スキャナを買った。USB接続で、Windows/Mac両方に対応できる。7970円。早速悪戦苦闘しながら、「オブジェマガジン 遊第1期総目次」をこさえてみた。(現在途中までアップ済み)それから、バンドルされてたOCRソフトも試してみた。変換時に日本語辞書を参照しているみたいだ。一昔前のOCRと異なり、読みとりミスがほとんどないのは立派。堀江敏幸さんの精緻な文があっという間にテキストデータになった。

昨日今日で買った本。野崎昭弘「たのしい数学1 数学的センス」(日本評論社 2600円→650円)、高橋英夫「今日も本探し」(新潮社 1800円→450円)、高橋英夫「花から花へ 〜引用の神話 引用の現在〜」(新潮社 2200円→600円)、鹿島茂「文学は別解で行こう」(白水社 2200円→1350円)、「日本の詩歌30 俳句集」(中央公論社 →200円)。他にマンションの雑誌集積所で、Daniel Keyes "Flowers for Algernon"(Bantam Book)、Oxford Learner's Pocket Dictionary「きけわだつみのこえ」(東大新書)などを拾っておいた。 だって可哀想なので。すべて古書だがすべて美本。だから本探しはやめられない。

日経朝刊文化面 芳賀徹「詩歌の森へ」は詩人木下夕爾を激賞する。喩えるに昭和の蕪村、日本のジャムであると。別のコラムでは詩人 荒川洋治さんの近況を伝える。紫陽社という結城信一の書誌などを出している出版社があるが、これは彼が大学卒業後すぐに起こしたものと知った。

6月5日(火) 曇りのち雨  チャーリーズ・エンジェル >MI 2

鬱々たる日々、このところ黙々と静かに仕事をしている。

チャーリーズ・エンジェル。最初から最後までさかんにはげしく戦っているのにも関わらず、ひとは死なない。敵役も殺されたりしない。彼女たちは飛び道具はほとんどつかわない。したがって男どもは彼女たちのくりだす手足の攻撃にうちのめされるのだが、なんだかうれしそうにやられてしまうだけだ。最後にインテリぽい悪の親玉が自分の撃ったミサイルで返り討ちになって爆死してしまうが、これは自業自得というもの(笑) 3人の美女の敵役には、マッチョな男やニヒルな刺客も大勢いるのだが、彼らのつむぎだす鋭い刃(=Pの象徴)や鉛の銃弾は、ぬらりぬらりとそれをかわす豊満な女体にはぜんぜん効き目ない。そして彼女たちの上司というか謎めいた支配人とその補佐役の男性は、ふたりともすてきなおじさまで、なんというか箸より重いものを持ったことのないような男ばかり。マッチョではない。筋肉むきむきというのではなくて、なんだか頼りない、かといって知性みなぎらせるというわけでもない。ただ純粋で、健気で、優しいようなかわいい男。

むせかえるような豊満な女体のうえで無邪気に遊ぶ子供のようだ。敵も味方も、男たちは。

この映画をいかがわしいと思うひとは多いだろう。所詮娯楽映画だと笑うひとも多いだろう。でも私には、昨年の今頃Texusに仕事ででかけてきて何人かの仕事をばりばりこなす女性とそのだんなさんの面白い共棲関係をまのあたりにしてたりしてるので、なんだかアメリカの女性や男性の、日常の幸せのありかた(特に男と女の)が妙に腑に落ちて理解できたような気がしたのだった。

6月6日(水) 雨と曇り

都心の某有名ホテルで全国の加盟校の全国大会のしごと。もはやこんなことに酔うわけではない。わたしはどこにいくのだろうか?

帰路、石神井公園にて、青木玉「小石川の家」(講談社、350円)、小泉武夫「食に知恵あり」(日本経済新聞社、450円)、永田久「暦と占いの科学」(新潮選書、300円)。ついつい安い本を買ってるが、全然本を読んでない。

6月7日(木) 雨と曇り

大学生の基礎教育を補うレメディアル教育(と我々は呼んでいる)に関してNHKの取材・撮影あり。6月15日(金)午前7時45分〜8時15分の間に放映予定とか。

安い美本に目がないこのごろ。今日もまた、職場近くの古書店にて、集英社日本文学全集(昭和48年頃、各冊590円だったんだよね)より「近松秋江」 「徳富蘆花」 「岩野泡鳴」 の3冊計300円(税込)。こうなるとレジに運ぶ手間賃くらいのものだ。本当はもっと買いあさりたいが、なんだか恥ずかしい。筑摩の「明治の文学」に対抗しようという浅はかさ満杯だ。明日も買うぞ!

UMLに関してなぜか興味あり。こちら。この辺が肝心なのかなと思う。けっこう切実。広島大学の岩崎先生がつくった簡易WBT(Web Based Training)コースウェア開発キットはこちら。けっこう思うところがあった。がんばろうと。簡易なシステムだがそのぶんわかりやすい。WBTを手作りで立ち上げるといい勉強になるかも。この開発ツールで、中学生向けの英単語練習サイトをつくろう。はたまた音のでる英和辞典をつくろう、などともくろんでいるところ。

6月10日(日) 曇りのち夕立 ニューシネマパラダイス

土日こそ日頃できない英語やIT関連の勉強をしようと思う。本も読もうと思う。映画も観ようと思う。思うのだがあまりはかどらない。

それでもこの週末で、まず中学生向けの発音の聴ける英和辞典(のようなもの)をHPにこっそり載せてみた。こちらに。まだ完全ではない。本当は別のタグとメタファイルがいるのだが。でも一応聴けます。それと、Perlを用いて、WBTの学習ログを整形する研究をしてみた。

夕方、日の降りる頃、「ニュー・シネマ・パラダイス」のサントラCDを借りてきて、聴いた。部屋がやがて薄暗くなるのに灯りもつけず、先日の映画の余韻にひたった。若き日の憧れのひと。想いが通じたと思ったのもつかの間、人生の転変にまぎれてやがて別れ別れになるふたり。シチリアの貧村からローマに出奔して30年の歳月が流れる。功成り名遂げてやっとこさ故郷に帰る。老いた母は少年時代の主人公の部屋をそのままに保存していてくれた。親子抱擁して再会を喜んだ夜、彼は少年時代の自分の部屋で、二十歳のころ彼のとった8mm映画をみつける。古風な映写機で、むかしのフィルムをまわす彼。(ちなみに彼は高名な映画監督になっている)壁に映し出されるのは、かつての日の美しい憧れのひと。

    わたしはこのシーンで、せつない感動を覚えたのだった。それは、若き日の美しいひとの、その一瞬の時間が、古い8mmフィルムに現像されて、30年という歳月を、不在でありつづけた青年の部屋で眠り続け、30年後のある夜にふたたび解凍されるからだ。男も老い、かつての美しいひとも無惨な時に浸食されていることだろう。語り尽くせぬ幸福や悲しみがあったことだろう。そしてふたりを見守り不在の部屋のフィルムを守り続けた母も老いた。なのに、フィルムは、歳月を無視し、中間の人生を無視し、あの日のその一瞬の時間を再現する。

  この残酷で、冷徹な、それでいて郷愁をさそう再現。それは、映画をかたちづくるフィルムが、オリジナル芸術である絵画や文芸ではなく、<複製芸術>であるから可能なのだ。可燃性のフィルム(そのためにかつての彼の師とも言うべき親友は火事で失明する)。複製可能。にもかかわらず、それはコンピュータデータのように劣化なく無限に複製可能というわけではない。ビデオ映像のように、コマという概念を失い、流れる走査線で、かろうじて映像を映すというわけでない。復元不可能な圧縮を施されたMPEG2ではない。原始的な第一次複製技術の映像のノスタルジーについてかつて松浦寿輝が書いていたことがあったが、それがまざまざと思い出されたのだった。(でもまた今夜もうまく書けなかった)

6月13日(水) 曇り 6月16日(土) 曇り 青春期における喪失の危機

今朝のちゅらさん。2回観て2回とも泣いてしまった。とほほ。今日はNight shift で、夜遅くまで仕事がつまっている。泣いてる場合じゃないんだけど。

「心のなかにたくさんつまっていた大切なものが、はるか遠くにいってしまったように思えたのでした」(おばあ役平良とみさんのナレーション)

大粒の涙を零す主人公恵里(国仲涼子)を映すシーンの音楽は、沖縄音階を基調にしたいつもの優しい音楽だ。喪失の想いにうちひしがれて泣く主人公を大写しにしたままで、意外にも音楽は途中で甘やかに転調し、恵里を慰めるようなメロディをかなでる。

(小学5年の夏、沖縄は小浜島で民宿を営む主人公の家に、東京から訪れた4人家族。不治の病で余命幾ばくの長男のたっての願いで遙々やってきたのだった。そこで、その子の弟文也くんと、主人公は初恋におちる。結婚を約束して別れてのち8年あまりの歳月が流れる。)

今朝、BS2でまとめ録りしながら、このシーンをもう一度みた。このシーンの意味を考えた。

<世界でたったひとりのひと>。「行かないで、あなたがいってしまうと世界が消えてしまうから(ラシーヌ?)」

リルケの古ぼけたランプを主題にした散文詩。20年以上まえ、高校の現代文の教科書で読んだっきり。出典がわからない。大切にしまってきたこころの宝が、ある日古ぼけたランプのように色褪せてみえるということ。「そしてそのとき突然、彼は、大切に心の中にしまってきたものが、なんの変哲もない、古びたものに変わってしまったことに気づいたのだった」(うろ覚え)

主人公恵里は、このときの動揺で、肌身離さず持ちつづけてきたスーパーボールを失う。青春期における喪失の危機。魂の抜けたようになった失恋の数日。この喪失の危機からいかに立ち直ったか。それは、医学の勉強に一生懸命打ち込む初恋のひとの姿をみたからだった。この喪失の危機からの復帰は実存的だ。ともに、今ここにある生(使命)を全うしようと努力すること。この企てにおいて、恋人と私は、この世界にあって、離ればなれになろうとも、より高い愛の成就を目指す可能性に賭ける。(少女期の)純粋な愛の呪縛の超越を図る。

スーパーボールは、片思いのサラリーマン柴田さんの尽力にも関わらず、ついにみつかることはない。スーパーボールは青年期の喪失の危機にあって身代わりになって滅びる。

来週からのちゅらさんは、4年の月日がたったのちの、若き看護婦時代の恵里の七転八倒をえがくことになる。モラトリアムの象徴だった下宿屋一風館も、そこに集った面々ももう登場しないだろう。(宇野浩二「苦の世界」)もてない男の典型のような柴田さんは相変わらず恋人もできないのだろうか。なんだか寂しいような気もする。

(また今日もうまく書けなかったが)

アマゾンから、"600 Essential Words for the TOEIC"(Barron's) (約1000円)が届いた。なかなかいい本みたい。がんばろう。

6月23日(土) 曇り 貧しい読書日記あるいはとうちゃん怒る(笑)

この間、買った本。集英社の文学全集から、「徳田秋声集」、「佐藤春夫集」、「名作集(1)明治編」各100円。三冊で約2kgはあろうか。グラムあたり大根より安い。観た映画。「ナビィの恋」。雑誌。「日経ビジネス6-25」「日経情報ストラテジー8月号」、「別冊アスキー パソコン買い方編」400円は秀逸。相変わらずちゅらさんを見続ける毎日。来週はおばあ(平良とみさん)上京でいよいよ盛り上がる。7月20日、少女時代の第1週分の総集編放映とのこと。手帳にメモ。あとは毎日、仕事・仕事であった。週末も家で仕事だ。

と思いきや、結局ぐうたらな一日。わたしの会社の運営するWBT(Web Based Training)で些末な問い合わせが自宅に舞い込む。過剰サービスだとグチこぼしつつサポートの電話をお客の携帯にいれる。ああ、某世界的優良コンピュータ会社HALの社員とも思えぬリテラシーの低さ。休日舞い込む投票依頼の電話。やんわりと断るが不愉快。電話作戦をとるような候補者には絶対投票しないぞ。家の外では候補者名をがなりたてる選挙宣伝カー。いったい何デシベルあるのだろう?休日の安穏を破りまくって、なにが皆様の生活を守る○○○だ。う翼の宣伝カーのほうがまだましだ。彼らの表情は陰惨だもの。

息子どもがテレビをみる。浜崎あゆみの演ずる某エステのCF。「こころまでヌード」。脱がされる美しいからだ。きれいな足指にはさまれる黒い、瑪瑙のような石。それは、癒し、だとか。いつから、こころは、からだのように、裸にされて、硬くてしかも安全ななにかで補完されるものに成り下がったのか?クリエータの努力が背後で丸見えなだけに、いっそう現代の閉塞感がひきたつ、ともいえる。

嵐山光三郎「追悼の達人」(新潮社)550円。現代の詩人5「石垣りん」(中央公論社)300円。石神井にて。このところ、かつての名叢書の類がひたすら安い。買うのがためらわれるほど安い。はっきりいって恥ずかしいくらいに安い。店頭本を漁ってわざわざレジに運ぶのも恥ずかしいくらいに安い。それにもめげずに買い続けるのは、それは弔いのような営みだからだ。せめて買い求めて長く大切にしようとこころに思うところあるからだ。

谷沢永一が、H社の歴史教科書にかみついた。曰く、「某歴史教科書に絶版を勧告す」? さすが谷沢永一。どんどんやって、某ニーチェ学者Nや某「東大一直線」漫画家Kの愚を世間に知らしめてくれ。毒をもって毒を制すだ。まったくもって、教養のないくせに元気な馬鹿は始末におけないから。

6月27日(水) 曇り グレートヒェン悲劇

陽水。ちゅらさん。「ナビィの恋」 加賀乙彦「宣告」(上・下)(新潮社)無料、竹田青嗣「エロスの世界像」(三省堂)750円。

人生のスランプだ。仕事は山積する。青春の日々が走馬燈のように背後にながれてゆく。

今朝、煙草を買いにのこのこと近所のコンビニまで散歩に行った帰りのこと、はたと思い当たった。「ファウスト」の第一部、グレートヒェン悲劇。あそこに今の自分の混迷をとく鍵があるかもしれない、と。

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