5月5日(土) 曇り 百円均一読書日記

サイトを引っ越しました。5MBの容量が手狭になっていたのと、CGIのことを囓りたいので。ADSLの開通とあわせて申し込んだWAKWAKが50MB、自作CGI可ということなので、思い切って引っ越した。連休返上(笑)のお引っ越し。あわせて同窓会のHPも、このWAKWAKの別のディレクトリに新設した。計15MBの大所帯である。高校の同窓会ではMLの運用もやっていて、結構雑用が多い。下手の横好きというか、根が好き者というか。

掲示板も新しくした。せっかくCGIが使えるサーバなのに、T-CUPに年会費を払うのもんんだかなあ、と。Googleで、「掲示板+CGI」で検索をかけて、一番にリストアップされたサイトは、KENT WEB。 偶然だけど、かわうそ亭御主人も採用されているインターフェースのおしゃれな掲示板をみつけてさっそくビルトイン。それでもCGIの初歩を学びながらなので、完動までは朝方いっぱいかかった。でもいい勉強になった。なるべく趣味と仕事を交ぜていこう。

丘沢静也「マンネリズムのすすめ」(平凡社新書)、ヴィトゲンシュタインの「反哲学的断章」(青土社)の訳者である丘沢さん。もっと過激かつ高踏的なマンネリズム讃を期待していたが、意外と小市民的かも。小生目下の所、NHK連続ドラマ「ちゅらさん」にどっぷりはまる毎日。芸術におけるマンネリズムの意義についても・・・・、と書いていて今めくると、巻中、「木についての会話」「ヴィトゲンシュタインのユダヤ」などでそうした話題にふれているようだ。やっぱりちゃんと読もう。大塚伴鹿「諸子百家」(教育社)、墨子について斜め読み。田中美知太郎「読書と思索」(レグルス文庫)未読。山際淳司「スローカーブを、もう一球」(角川文庫)旅人さんのお奨めの本。「観賞・近代の名歌名句1000」(国文学 臨時増刊)、俳句初心者なのでリファレンス用に。

中村雄二郎「かたちのオディッセイ」(岩波書店)、形態に関する多様な思索。「螺旋」に関する一章をずいぶん前にチェックしたままになっていた。円地文子「傷ある翼」「なまみこ物語」「朱を奪うもの」「女坂」(すべて新潮文庫)。このうち「女坂」を読んだ。なぜか円地文子の文体が鬱々とした中年の性に合う。大野晋「日本人の神」(新潮文庫、新刊)、日本のカミ観念に「神」という漢字を当てたのはずいぶん後になってからだそうだ。ことほど左様に、日本人の神観念、仏教との習合など、わたしは知らないことが多すぎる。

山田祥寛「今日から使える XMLサンプル集」(秀和システム)、具体的でいい本のようだ。未読。

以上この1週間で買った本。しめて6000円位。

5月6日(日) 曇り 石田波郷旧宅訪問記 桃の話題

今朝は、かねたくさんのご投稿がきっかけで、近所の石田波郷旧宅を探訪してきた。徒歩5分。(もっと遠い、谷原の方かと思っていた。)今朝みつかったご長男石田修大さん(「わが父 石田波郷」(白水社)の著者)のHP「風鶴山房」で、旧宅の地番はすぐわかったのだが、すでに更地になっていた。まだ草も生えていないところをみると旧家屋はつい最近まで建っていたのだろうか?もっと早く訪ねるべきだったと後悔。それにしても、すてきなHPに巡り会えてうれしい。ますます波郷に興味がでてきた。

今朝の日経朝刊。芳賀徹の連載コラム「詩歌の森へ」は、「海を渡る桃」。(以下要約)古事記の有名なエピソード、黄泉比良坂で冥府から追っかけてくる鬼退治に、伊邪那岐命が投げつける桃。この桃に鬼は一目散に退散した。この逸話に対しては「日本書紀」でも触れられている。当時すでに中国から桃には邪気を払う呪力があるとの俗信が伝播していたのだ。それはそうと、あの甘くておいしい桃に見向きもせずになぜ鬼は逃げたのか?前川文夫「日本人と植物」(岩波新書)のなかで前川氏はこう推理する。当時日本には本物の桃の実は伝播していずに、桃の呪力の信仰のみが伝わっていたのだと。

それなら、古事記成立後40年後の西暦750年3月に書かれたという、万葉集の有名な桃の花のうた。春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女 (大伴家持 万葉集巻十九)の美しさはどうか?と、芳賀氏は続けている。「これはむしろ、嫁ぎゆく娘の若さと美しさを桃にたとえる「詩経」の一篇、「桃の夭夭たる/灼灼たる其の華・・・」の家持流の翻案だったのではなかろうか。」

日経朝刊文化面では、嵐山光三郎「泣くな美妙」も秀逸。小説「美妙消えた」との十年間の格闘を通じて山田美妙への愛を綴る。

5月12日(土) 晴れ 

サイト内の全文検索エンジンを取り付けようとがんばったが、うまくいかない。工事中。「とほほのWWW入門」の評判の良いCGIスクリプト。もちろん動かないのはスクリプトのせいではない。当方の問題だ。

ハンセン氏病の勝訴判決。北条民雄のこと、高山文彦の書いた北条民雄評伝「花火」。作家の本名をついにあかさぬまま川端康成は泉下の人となった。松本清張「砂の器」の映画では、業病に苦しむ老人を加藤嘉が演じていたっけ。

このところ買った本。内田保雄・富田満「Perlスクリプティング入門」(オーム社)、古典的な記述のしかたでむしろ理解しやすいような気がする。丸谷才一「男ごころ」「男のポケット」(ともに新潮文庫)、麻生幾「宣戦布告」(上・下)(講談社文庫)、同「消されかけたファイル」(新潮社)。オクタビオ・パス「孤独の迷宮」(法政大学出版局)、日高敏隆他訳「ファーブル植物記」(平凡社)。近くのBOOK TURNが在庫一掃セールを始めた。パスとファーブルはなんと1冊70円。無茶苦茶だ。掃き溜めに鶴、どころじゃない。歌舞伎町の場末で天使に逢ったようなものだ。

掲示板の関係で立原道造をひさしぶりに読んだ。フランス象徴派やネルヴァルの影響を感じるのだが、確証はない。おそらく中村真一郎の手ほどきによるものだろう。それにしても水戸部アサイさんは今なおご健在なんだろうか?

5月13日(日) 晴れ

週末は二日続きの五月晴れである。このところ、百円均一本の類で本を買うことが多い。別に意図してそうしているわけでもないが、例えば円地文子の文庫を探すと、たいていあまり大事にされていなさそうな棚に100円かそこらで並んでいる。本の状態は、時の経過相応で美本というほどのことはないが、かといって粗末に扱われてきた本でもない。昨日、近くのBOOK TURN で買ったオクタビオ・パスやファーブル植物記にいたっては、ぞんざいに背表紙に貼られたシールの定価100円が、在庫一掃30%引きセールのおかげでなんと1冊70円である。マンガの単行本ですら350円くらいするご時世に、これはあきらかに価値を無視した無茶苦茶な値つけである。

この手の新古本業界の躍進が、新刊の売れ行き伸び悩みの原因のひとつだという。話はかわるが、ゲームソフトの中古販売をめぐる訴訟では、一転中古販売を認める判決がでたそうで、ゲームソフト開発の将来を危惧する声もあるという。

季刊「本とコンピュータ」が休刊するそうだ。編集者津野海太郎氏の獅子奮迅の努力にも関わらず、「結局どうなるのかという今後の展開は今ひとつ鮮明にならなかった。議論のテーマは四年間たっても少しも変わらなかった。」(日経新聞読書欄コラムより) ことにここ四年で、デジタル出版のプラットフォームも、CD-ROMなどの光り物から、インターネットさらには携帯電話・PDAへとめぐるましく変化している。コンテンツの実体がどこにあるかさえ分からない(意識する必要のない)時代に、古典的な函に収まった書籍のありかたが、かわらないということはないだろう。この時代の趨勢をどうとらえるか?

もっともわたしは古典的な書籍擁護論者でもデジタルメディア礼賛論者でもない。その両方をじょうずに活かしていきたいと思っている。

例えば、売れ行きの低迷する学習参考書に、双方向のサービスを提供するというのはどうだろう。メールサービス(Q&A、メールマガジン)、読み終えた後にWEB上で挑戦できるネット模試。添削サービス(Acrobat5.0などの電子フォームを利用して)・・・いろいろとアイディアはあると思うのだが。(すでにコンピュータ関連書籍ではこうした試みは始まっている。結城浩氏のサイト、MLサービスなど。 )


今朝の日経。梅原猛の「私の履歴書」は、ニヒリズムに沈倫した若き日から結婚まで。見合いの席でひとめ惚れしたとか。そうそう、ちゅらさんにでてくる、さえないサラリーマン(実は牧場主の御曹司)村田雄浩さんも恵里にひとめ惚れだもんなあ。人間はひとめで本質を見抜くんだろうなあ。さて、履歴書の下のコラムは芳賀徹氏の「詩歌の森へ」。先週は桃だったが、今週は雲雀。テーマがいいねえ。そこから引用。

わ が 背 丈 以 上 は 空 や 初 雲 雀     (中村草田男)   息子の大学入試の朝に息子に書いた励ましの文に引用した一句。息子さんはこの句をその日の小論文に援用して見事合格したという、めでたい、ありがたい一句なのだそうだ。

5月17日(木) 晴れ

久世光彦「怖い絵」(文芸春秋)、単行本で買い直し。800円。木田元「偶然性と運命」(岩波新書)、このところ「ちゅらさん」にはまる毎日。メロドラマ(悪い意味でなく)における偶然性と運命の意味について思索を深めるため。ハイデガー・ポンティ・九鬼周造あたりがちらちら目に入る。

中央公論社版 日本の古代8「海人の伝統」(大林太良編)500円 atりぶるりべろ。もち、沖縄モードの一環。沖縄音階の音楽を聴くと無性に懐かしい。ぼくは、たったこれだけのことで石垣島の民宿で泣いたことがある。この懐かしさは、文化的に取得した懐かしさであるとはどうしても思えないのだ。どこからこの<ノスタルジー>は来るのだろうか?このための考究の一環である。

 鬼友FくんのXML開発。excelon

5月19日(土) 晴れ

朝はちゅらさんまとめ撮り。午後はHP更新(高校同窓会と自分のと2つ)物好きだねえ。サイト内の全文検索エンジンが完成した。とほほのWWW入門にCGI応用編としてアップしてあったのを使わせていただいた。ありがとうございました。主に自分のメンテナンス用(笑)、とりとめのない日記なもので。夕方は、イタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(Cinema Paradiso)を観た。いつか入試問題正解で読んだ松浦寿輝の映像論の一節に捧げたい<映画>。今語り尽くすゆとりがない。

5月20日(日) 晴れ

午前中は息子の勉強を見、午後は職場。

城山三郎の永田耕衣評伝「部長の大晩年」やっと読了。耕衣を知るには格好の一冊だと思う。平成9年の冬というから、耕衣九十七歳のことである。城山三郎が取材のため訪れた特別養護老人ホーム。(耕衣の自宅は平成7年の大震災で全壊している)城山三郎は耕衣に尋ねる。「満足な人生を送ったと、お考えですか」耳も遠くなった耕衣は、しばらく考えこんで、「満足でもないけど。不満も半分は・・・」「何が不満ですか」「学問やね」「どんな学問ですか」「哲学。哲学的人間に・・・」このあと、会話は、芭蕉のいい句は最晩年のものだけ、道元さんにはちょっと文句を言いたい、などの放談が続く。(ここだけ引用すると耄碌爺さんの大言壮語に響くかもしれないが)矍鑠たることかくの如しであったという。

5月23日(水) 

今朝の日経朝刊 文化面に、「島ことば 海を渡れ」〜沖縄の方言「うちなー大和グチ」使って一人芝居〜と題して、ちゅらさんの沖縄料理店店長役の藤木勇人さんがエッセイを書いている。もちろん、ちゅらさんの沖縄ことば指導の裏話や苦労談もたくさん。 次の一人芝居は、6月27日神奈川県民ホール、30日東京サントリーホールで「南風世果報便り」を上演するとのこと。

雨で気が重い。池袋に寄って松浦寿輝の本を買ってから、仕事にいこう。(24日追記 結局買わずじまい)

5月24日(木) 

煮え切らない男のような雨が降る。ゆううつだ。「わが愛する俳人」(第一集・第二集)(有斐閣新書)600円は、吉祥寺にて。西東三鬼や石田波郷の評伝などを読んだ。

MLにて、質問がひとつ寄せられた。仕事のためにつくったHPのトップページがIEではみれるのにNCでブラウズできないという悩み。該当のページのソースをみて、ファイル名に日本語が使われているようなので、そのことをご指摘申し上げたところ、30分で半年の悩みが氷解したとの感謝のお返事をもらった。うれしかった。協力いただいたFくんに深謝。ところで、日本語のファイル名のHTMLファイルが、なぜIEではみれるのにNCではみれないのか。その理由が今日はじめてわかったのだ。回答者である私からしてそうなのだった。

5月27日(日) 

昨日は吉祥寺よみた屋にて高山宏「奇想天外・英文学講義」(講談社)800円。由良君美門下の鬼才とでもいうべきか。今日は石神井公園にて堀江敏幸「書かれる手」(平凡社)(署名入り)、同「子午線を求めて」(思潮社)計1100円は安い。美本。

5月30日(水) 曇り

日本古典文学大系「新古今和歌集」「山家集・金槐和歌集」600円。清水隆夫他「フレッツ・ISDN/ADSLでサーバーを立てる本」(インプレス)2200円。

このHPも6月で丸三年を迎える。マンネリにならないようにいくつか新機軸を模索している。

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